両手で顔を覆う女性

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毒親に育てられた人は、今どのような人生を歩んでいるのか。ノンフィクション作家の中村淳彦さんの著書『私、毒親に育てられました』(宝島社)より、団塊ジュニア世代の52歳、美衣さんのケースを紹介する――。(第1回)

■「お前、ソープに沈めるぞ」

小学6年生になると、ヤクザの借金取りが激しくなった。

毎日、誰かしらが土足で家に上がって怒鳴り散らしている。母親はヤクザに「お前、ソープに沈めるぞ」と脅されていた。

現在、日本の後進国化によって女性たちの売春は常識となってしまったが、昭和の時代は「ソープに沈めるぞ」という文句は、一般的な市民に対してなによりの脅しだった。

写真=iStock.com/Kayoko Hayashi
「お前、ソープに沈めるぞ」(※写真はイメージです) - 写真=iStock.com/Kayoko Hayashi

「母親は『ソープに行けって言われた』って私にマウントを取る。お前と違って女としても魅力があるってマウント。私はもう施設に入りたかった。ネットがない時代なので、施設がどういうとこかわからないけど、家と母親から離れたかった」

■「ソープとかヤバいところ」に売られると思った

「施設に入りたかった一番の理由は、母親はヤクザに『ソープに行け』って言われて喜んでいて、これは時間の問題で自分が売られると思った。だから、施設に入りたいって思ったんですね」

「どう考えてもこのブスなおばさんの母親より、未成年の自分に商品価値があるだろうなと。いずれ、ソープとかヤバいところに両親に売られると思った。そうなったら、本当生きて帰れないなって震えた。だから施設に入りたい。どうして父親のせいで、関係ない私が売られて死ななきゃいけないのよって思った」

■生活保護を受け、母親からの暴力が激化

最終的に両親は離婚して、母親は生活保護を受けた。父親と距離を置いて経済的に安定するようになったが、母親からの暴力はもっと激しくなった。

「離婚して小さい風呂なしのアパートに住んだ。隣の家が同級生の男の子のプロパンガスのガス屋さんで、ガス屋のおじさんがやたらと私によくしてくれた。アパートに電話がなかったから、ガス屋の電話を学校の連絡網に使っていいよって。同じよ。だからガス屋のおばさんが些細なことで私に文句言ったり、嫌がらせしたり、いろいろあった。おばさんは、母親とおじさんがデキているのを知っていた。だから私が責められるみたいな感じになった」

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生活保護を受け、母親からの暴力が激化した(※写真はイメージです) - 写真=iStock.com/Kenishirotie

■真冬に裸で外に出され、凍死するかと思った

美衣さんは中学生になって不良になった。それでも親の存在は絶対、絶対服従という洗脳は解けなかった。母親の虐待、暴力、折檻、下着姿で表に出すなど、身体的虐待の通常運転は続いた。

「体が大きくなっても、母親には抵抗しなかった。貧しい家の子どもだったから小学校のときから不良中学生に目をつけられてて、誘われてやっぱり不良になる。誰も助けてくれないってわかっているから、不良でも自分の将来は考えるわけ。でも、勉強したいと思ってもお金がない。とにかく学校に通えるだけでありがたいと思えって。もちろん参考書みたいなのは買えない。それでも、ちょっと点数悪くなると、ひどい折檻を受ける」

「真冬に裸で外に出されたとき、大げさじゃなくて凍傷とか凍死するかと思った。

いい加減もう耐えられないと思った。先輩に逃げ場所みたいなところを確保してもらって、外の洗濯機の後ろに着替えの服を隠した。荷物とか自分の財布とかを近所の友だちに預かってもらって、用意周到に準備して、次に家を追い出されたら逃げようって」

「で、また母親が怒鳴り散らして、こん棒で私の体を叩きまくり、裸になることを命令されて外に出された。そのときに、隠してあった洋服を着て家から逃げた。それから母親からの虐待が凄まじいこと、異常な人格であること、決して教育や躾(しつけ)ではないことを、あらゆる人に話すことになった」

■「正直、洗脳されていた」

児童虐待防止法がなかった時代である。異常な虐待を大人に伝えても、やめさせる術(すべ)はなかった。中学校の先生たちは過酷な家庭環境に同情して、余った給食のパンを分けてくれる、心配して声かけしてくれる、人に伝えたことでそんな環境の変化があった。

「家出騒動からいろいろ母親の悪事をバラして、そこから私も我慢しないで母親と戦うことにしました。ここまでが長かった。それまでは一方的に殴られっぱなし。親だからやり返しちゃいけないという思い込みがあった。正直、洗脳されていた」

「母親は躾と言って虐待するので、助けてって言っても誰も助けない。ボコボコにされても、棒で殴られていても、通行人は誰ひとり通報もしないし、無視。近所の人は、泣き叫んで、アザだらけになっていることを知っている。でも、絶対に誰も私を助けない」

■「お前〜! 親に歯向かうのか〜! この親不孝者〜!」

「友だちとか学校の先生が、それはひどい、よく我慢したね、大変だったね、かわいそうにって言ってくれた。私はかわいそうなんだって、私が悪いんじゃないんだってやっとわかった。それで、母親が棒を持って折檻してきたときに、ホウキで応戦したんです。ずっと殴られっぱなしだったけど、初めて立ち向かった」

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「母親が棒を持って折檻してきたときに、ホウキで応戦したんです」(※写真はイメージです) - 写真=iStock.com/silviacrisman

このとき、母親は美衣さんに対して、見たことのない驚愕(きょうがく)の表情をしたという。

「それからは殺し合いですよ。素手で戦っても鉄製の棒とか使われるから大変だった。いつも最悪。だって母親は鉄製の棒で本気で殴ってくる。顔はあんまりやられないけど、でも勢い余って頭から血が出たこともある。私からどこを狙うとかっていうよりも、まずは防御から始めた。今まで抵抗しないでずっとうずくまっていたけど、やられっぱなしなのはやめた」

その後、美衣さんが応戦するたびに母親は「お前〜! 親に歯向かうのか〜! この親不孝者〜!」とヒステリックに絶叫し、もっと暴れたという。

■中学2年生から売春し、1回10万円を稼いだ

母親が高校進学のお金を出さないのは、目に見えていた。

学校から給食を分けてもらえるようになってから食べ物に困ることはなくなったが、高校進学はどうしてもしたかった。

美衣さんは中学2年生のときから、宇都宮のテレクラで売春を始めている。時間があれば、宇都宮に行って中年男性たちにカラダを売った。「中学生と本番ができる」と、中年男性たちは喜んで美衣さんを買った。

「高校進学のとき、母親は『受験料が無駄になるから滑り止めは絶対に受けさせない』ってなった。学校の先生は情熱がある人で、母親に説得を重ねたけど、カネは出さないの一点張り。どんなことがあっても入れるところってランクを下げて受験した。中学2年生から売春していたので、学費くらいのお金は持っていたけど、それは言わなかった。当時は売春している子は少なかったし、中学生だったので売春はお金にはなった。一回7万円とか10万円とか、そんな金額で売れた。売春は宇都宮だけ。A市でやると、友だちのお父さんとかになるのでそれはしなかった」

■売春して稼いだお金で、生まれて初めてケーキを買った

売春して稼いだお金で、まず買ったのがケーキである。美衣さんはケーキを生まれてから一度も食べたことがなかった。

「友だちと宇都宮に遊びに行くと、その友だちのお母さんに買い物を頼まれたりする。お供えとか。それで初めてデパートの地下食料品広場に行って、アプリコットデニッシュやばい、レアチーズケーキやばいってなった。何百円もするから、1個が豚コマ何十枚分かなとか思ってました。それとサバのなんか一夜干しみたいのが1000円だった。どういう人がこんな高価な干物を食べているのって、すごく衝撃を受けた。でも、売春で7万円とか稼げたので、ケーキは思いっきりたくさん食べた。何千円も使って食べた。本当に美味しかった」

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売春して稼いだお金で、生まれて初めてケーキを買った(※写真はイメージです) - 写真=iStock.com/kaorinne

■娘が売春で稼いだお金にたかる母親

中学生からテレクラ売春を始めて、高校生になっても続けた。売春を始めてからお金や食べ物に困ることはなくなった。母親は高校生の娘がいくらかお金を持っていることに気づいた。そして、今度はことあるごとに支払いを求められるようになった。

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「中学生からテレクラ売春を始めて、高校生になっても続けた」(※写真はイメージです) - 写真=iStock.com/KEN226

「お金のためとはいえ、おっさん相手にセックスするのは嫌。だから、普通のアルバイトをしたいなと思ってた。足を洗いたいじゃないけど、いい客だけ残して、キモいおっさんとやるのはもうなしにしたいって。本屋でバイトするのに親の許諾みたいなのが必要だったけど、母親は『絶対にサインしない』ってなった。テレクラ売春やっていることにうっすらと気づいてて、『普通のバイトはダメ、そんなことよりお金があるなら食費と光熱費と税金を払え』って言いだした。それから、ことあるごとにお金の要求がはじまった。仕方ないから言われるままに支払った」

■「育ててあげたんだから」「産んであげたんだから」

美衣さんは高校を卒業して水商売の道に進んでいる。母親は社会人になっても家を出るのは絶対にダメだと反対し、「育ててあげたんだから稼いでお金を入れて! 産んであげたんだからお金を入れて!」と言いだした。

「正直迷惑でしかなかった。産んでくれたことも迷惑だし、育ててあげたとか違和感しかない。お前が言うなって。ほかの子どもは商業高校を出て近所の信用金庫とかで働いて、ローンで軽自動車買って家に毎月5万円入れている、お前もそうしようって」

「結局、上京したのは20歳のとき。母親は嫌だったけど、7歳下の妹もいたし、妹の存在が家を出ることを迷った理由。20歳のときに母親だけじゃなくて、地元もなにもかも嫌になった。それで東京に引っ越した」

■虐待に遭った妹からSOSの電話がくる

母親の徹底的な虐待は、人と人との相性ではなく、暴力的な農家で育った母親の人格そのものだった。美衣さんが家を出ると、妹も同じように虐待に遭った。

東京で暮らしていると、妹からSOSの電話が頻繁にくる。いつでも東京に逃げてきていいから、そう伝えていた。

母親は今76歳。A市で、生活保護を受けながら一人暮らしをしている。

「母親は一戸建ての新築の家にすごく憧れていた。最後に付き合っていた地元の農家のジジイかなんかが、その夢を叶(かな)えてやりたいって、母親と妹にローンを組ませて建て売りを買わせようとした。妹に相談されて、ふざけるなって言って、そうしたらジジイの娘の名義でローンを組んで支払いは母親と妹でとか言いだした。人のローン支払ってどうするのって。本当に田舎のジジイとかババアは考えることが狂っている」

■母親は「親になってはいけない人間」

母親とは絶縁したが、妹とは年に一度は会っている。妹は今年43歳。未婚のままA市の介護施設で働きながら一人暮らしをしている。

「妹はあの母親に育てられて、結婚できるわけがないって。虐待とか折檻は妹のほうがまだソフトだったみたいだけど、そんな育ちをした人間が結婚なんてできるはずがないと思っている」

中村淳彦『私、毒親に育てられました』(宝島社)

「私たちはひたすら暴力を受けて育っているから、たとえば彼氏とか、そういう人に当たり前に暴力を振るってしまう。それは悪いことをしたら折檻って育てられたことが原因で、『他人が悪いことをしたら暴力を振るうのは当たり前でしょ』みたいな意識があった。そういう異常な感覚を直すのって簡単じゃない」

「私も、妹も、母親から逃げてから対人関係に苦労した。とにかく母親は親になってはいけない人間だし、ああいうモンスターみたいな人間を育んだA市も狂っている土地ということ。地元も母親も、その血を受け継いでいる私自身も、妹も、本当に気持ち悪い。ずっとそう思っている」

美衣さんの話は終わった。どんな厳しい内容も、淡々と表情を変えずに語っていた。生まれたときからの暴力漬けの地獄と、狂った血を受け継いでいる自分自身を諦め尽くしているのだと思った。

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中村 淳彦(なかむら・あつひこ)
ノンフィクションライター
1972年生まれ。著書に『名前のない女たち』シリーズ(宝島社)、『東京貧困女子。』(東洋経済新報社)、『崩壊する介護現場』(ベストセラーズ)、『日本の風俗嬢』(新潮新書)『歌舞伎町と貧困女子』(宝島社)など。現実を可視化するために、貧困、虐待、精神疾患、借金、自傷、人身売買、介護、AV女優、風俗などさまざまな社会問題を取材し、執筆を行う。
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(ノンフィクションライター 中村 淳彦)