フランス在住のひろゆき氏がオンラインで『M-1はじめました。』の感想を語った(写真:ひろゆき氏提供)

年末恒例の漫才コンテスト「M-1グランプリ」の決勝戦に向けて世間の期待と漫才熱が高まる中、2001年にM-1を立ち上げた元吉本興業の谷良一氏がM-1誕生の裏側を初めて書き下ろした著書『M-1はじめました。』が刊行された。

日本最大の電子掲示板『2ちゃんねる(現5ちゃんねる)』の設立者である「ひろゆき」こと西村博之氏が、本書を読んでの発見を語った。

「M-1」開始当初は漫才低迷期だった

『M-1はじめました。』を読むまで、「M-1グランプリ」は大成功番組というイメージしかなく、「大企業・吉本だから、最初からお金も潤沢にあったんだろう」としか思っていませんでした。


ところが、予算なんか全然ない。スポンサーは集まらない。そもそもテレビ局も決まらない。おまけに、当時の漫才は人気が低迷していて、フジテレビの「THE MANZAI」は視聴率が取れず、逆風だった。

そう言えば、昔のM-1は、「オートバックス」を連呼していたなと思い出しました。本書を読んで、番組のためにこれだけ頑張ってくれていたのだから、そりゃ推すよねと思いました(笑)。

今のM-1は、いろんなスポンサーが喜んでお金を出したい状態だと思いますから、そのギャップも面白いですね。

人は、成功した状況しか知りません。そこに至るまでどれだけ大変だったか、どういう変化があって苦労したかというところは見過ごされがちです。

例えば、今の動画配信サイトでは、ユーザーが生放送をするとき、顔を出してしゃべるのが当たり前ですが、僕たちが「ニコニコ動画」を開始した当初は、「ネットに顔を出すのはやめるべき」という文化が強かったんです。

いかに顔を出してもらうかを考えて、なるべく顔を出しているユーザーを引っ張り上げるなど、「顔を出してしゃべる文化」を作るように考えていました。

使いにくかった初期のiPhone

スマホもそうです。日本中でiPhoneが使われていますが、最初からすごく便利で、よく売れていたというわけではありません。

当初のiPhoneは、端末を買ってきて、パソコンにつないで、セットアップして初めて使えるというすごく面倒くさいものでした。そこから徐々に使いやすく変えていった歴史がありますが、それは知られていません。

成功した人も、昔の失敗を語りませんからね。ブランドやお金のない人が、どうやって問題に対処して解決していったかというノウハウとしても、本書は応用が利くと思います。

著者の谷良一さんご自身の様子が、いろいろと垣間見られるのも面白いですね。

谷さんは、文章は優しくて真面目な感じがしますが、会議でのセリフは、「おれが(責任を)取ったるわ!」とけっこうけんかっ早いんですよね。
リスクがある話を、話し合いで解決することはできません。損するかもしれないのに「リスクはゼロです」とは言えませんから。

そういうとき、どういう勢いで突破するか。

「おれが責任取るからいいだろう!」と怒って突破する、「社長の決裁もらいました!」と他人のせいにして突破する、いろいろやりようはありますが、谷さんは怒って突破するタイプです。

論理だけでなく、情熱の人なんだなと思います。

当初は番組制作を断ったのに、その後「おれが作った」と言い張っている人のことを書いていますね。名前は明かされていませんが、その書き方から、めちゃくちゃ腹が立ったんだろうなというのが伝わってきて、パッション強い人だなと(笑)。人間らしくて面白いですよね。

オートバックスの役員の方が、実はM-1の決裁のはんこを押していなかったという話が出てきますが、これは「大企業あるある」ですね。

決裁は下りていないけど、もう止められないから話は進めていって、ただ、はんこは押していないので自分の責任にはならないという。こういうところは社会人なら面白く読めるところです。

スポンサーになってくれるかもしれないオートバックスの住野公一社長に向かって、「(漫才ブームは)千日前のビックカメラの前まで来てます」という嘘をジョークまじりに言うところも面白いですね。

人間力と相性が仕事の成否を握る

仕事は、最後はキーマン次第です。キーマンを見つけられた人はうまくいきますが、出会えなかった人は、いくらいい企画を立案してもダメ。

誰にも相手にされていない時に、いかに企画に乗ってくれる人を見つけて説得できるかは、人間力と相性ですね。

とにかく足を使っていろんな人に会いに行って、相性のいい人が見つかるまで探し続けて、結果としてなんとかなる。量をこなさないとなかなか巡り合わないものだと思います。

M-1は、漫才を見せるというより、人間ドラマを見せる番組として、大衆受けするものになったのではないでしょうか。

視聴者は、漫才好きだけではないと思うんです。武器も道具も使わない人が、舞台の上で全力を尽くして勝負するという面白さがあるんですよね。

敗者復活戦も、落ちぶれていく姿と、落ちぶれた人が上がる姿、その上がる道も簡単なものじゃないという厳しさの対比を見せています。

賞金は1000万円、優勝者以外は何も手に入らないというシビアさも含めて、ローマの剣闘士を見ているような感覚かもしれません。

視聴者はM-1で頑張った人を好きになる

M-1出場者は、人気が出て仕事が増えますが、それは漫才よりバラエティーが多いんですよね。「あの舞台で頑張って決勝戦まで勝ち進んだ。だから、この人が好き」となるので、その人をバラエティーで見たいわけです。

格闘技の試合なんかは、勝ち負けが決まると確執が生まれがちですが、M-1においては、そういう感じがしないのもいいところです。

負けた側は、悔しがるけど、「この人、明日からいっぱい仕事が来るんだろうな」と思えます。本当につらい思いが伝播しないのが、見やすくしていると思います。

「THE MANZAI」では顔のアップを撮っていたけれど、M-1ではバストアップになったという演出の話は興味深く読みました。

リアルタイムの漫才は、誰が何をしゃべるかがわからないから、画面を誰かの顔に合わせているとずれてしまうし、台本通りに進むわけもない。

「THE MANZAI」に出演していた人たちも、M-1でそれなりに実力を示している人たちです。それでも視聴率が低迷したのは、番組の演出や映像など、作り手によって変わるところがあるということです。プロの演出は超大事なんだなと思いますね。

谷さんは、中川家がすごく好きで、漫才師に対する強い思い入れがありますが、それが演出として視聴者にも伝わっているのだと思います。

演出センスは、僕の予想以上に大きくものを言う気がしています。

人はM-1の演出や状況に興味を持つ

YouTubeでコント動画をアップしている有名芸人はたくさんいますが、再生数は、ジャルジャル以外ほとんど伸びません。でもM-1の動画の再生数は、すごく伸びる。

M-1の演出や状況に、人は興味を持つ。そして、そのほうが影響としては大きいということですね。

本書は、M-1立ち上げのドキュメンタリーとしても楽しめますし、M-1が開催できるのかできないのかというストーリーの中に、ビジネスノウハウが入っているのがいいですね。幅広い年代の方が楽しめる一冊ではないでしょうか。

(ひろゆき : 元2ちゃんねる管理人)