長年在籍した鹿島から北九州に移籍した30代、海外挑戦を決断した40代。「本当にやり切った」と清々しい気持ちでセカンドキャリアに【本山雅志の生き様:後編】
2010〜15年の6シーズンで20試合以上出場したのは13年だけ。本山のポジションには遠藤康(仙台)や増田誓志、土居聖真(鹿島)ら後輩たちが台頭し、背番号10はベンチで見守る時間が長くなった。
2013年に大津高から入団した植田直通(鹿島)は、ベテランの本山の高度なプロ意識を目の当たりにした1人だ。
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「モトさんとはサブ組で一緒に練習することが多かったけど、試合に出ていなくても紅白戦からものすごく激しかったし、闘争心がすごく伝わってきましたね。1人で打開できる力も持っていたし、サッカーIQも圧倒的に高かった。
僕は技術面だとかを要求されることも多くて大変だったけど、毎日声もかけてくれたし、向こうから挨拶してくれるような先輩だった。ああいう先輩になりたいなと心底、思いましたね」と、植田はしみじみと10年前を振り返る。
鹿島では試合に出られなくなったベテランが、絶対に手を抜かずにチーム全体を鼓舞するというのが伝統になっているが、本山も奥野僚右や柳沢敦ら先人たちの立ち振る舞いを見ていたのだろう。
30代半ばになっても100%の力でサッカーに取り組み、若手の模範となっていた。それは少しヤンチャだった東福岡高時代から考えると信じられない部分もあるが、それだけ人間的に成長したのだろう。
だが、30代後半になって「このままではいけない」という思いも日に日に強まったはず。岩政大樹(鹿島監督)も「アントラーズは長年プレーした選手に出て行けとは言わない」と語っていたことがあるが、だからこそ、いつか必ず自らの身の振り方を考えなければいけなくなる。
かつて柳沢が京都サンガF.C.へ赴き、岩政もBECテロ・サーサナへ移籍したなか、本山も2015年限りで18年間在籍した鹿島を退団。故郷のクラブ、ギラヴァンツ北九州へ新天地を求める決断をした。家族思いの本山だけに、「地元で両親にプレーを見せたい」と考えてのことだったのだろう。
その北九州では4シーズン、プレーした。最初の2016年はJ2で36試合に出場し、攻撃の主軸として活躍したが、J3降格を強いられた2017年は膝の負傷の影響でシーズンを棒に振る格好になった。
2018年は9試合に出たが、19年はリーグ戦出場ゼロ。40歳の節目を迎えたシーズンに、プロ入り後初めての出番なしという苦境に直面することになった。
そして同年末には契約満了。1年前に小笠原満男、この年に播戸竜二が現役引退し、長くピッチに立ち続けた黄金世代の面々が第2のステージに進み始めるなか、本山も自身の今後を真剣に考えたはずだ。
それでも、生粋のサッカー小僧はキャリアに終止符を打たなかった。コロナ禍の2020年は家業の鮮魚店を手伝いながら現役復帰を目ざし、21年に海を渡る決断をする。
その先はマレーシアのクランタン・ユナイテッドFC。42歳になろうかという時期の初めての海外移籍に多くの人々が驚かされただろうが、本山本人にとっては「楽しいサッカー」を追い求めた結果だったのではないか。
実際、黄金世代の面々を見ると、酒井友之も30代になってインドネシアへ赴いたし、加地亮も30代半ばになってMLSのチーバスUSAへ移籍している。高原直泰(沖縄SV)は未知なる沖縄へ行ってクラブを立ち上げ、永井雄一郎(KONOSU CITY FC)もはやぶさイレブンや現クラブでプレーを続ける選択をしている。
様々な環境で自分らしい生き様を追い求めるというスタンスは、黄金世代に通じるものなのかもしれない。
本山も「オリジナルの人生」を探し求め、40代で初めて海外挑戦に踏み切った。本来ならば、99年ワールドユースの後に欧州ビッグクラブヘ行っても不思議ではない逸材にしてみれば、一度も海外に行かずしてキャリアを終えられなかったのかもしれない。
何事もチャレンジしてこそ納得できる。本山はコロナ禍での異国のサッカー環境や生活をエンジョイし、納得した状態で今年4月に引退を正式発表した。
「本当にやり切った」という清々しい気持ちになれたがゆえに、本山は第2の人生をスタートさせる覚悟を持てたのではないか。
その大仕事は、次世代タレント育成だ。
「まずは内部の良い選手を育てて基盤を整えることが最優先。内部に足りないところを提言したり、刺激を与えるのが自分の仕事。外から選手を取ることも大事だけど、まずは内部の選手をしっかり育てることをベースにやっていきたいと思っています」と、本人も自身のやるべきことを明確にしている。
多くの人から「本山2世を育ててほしい」と求められるようだが、単に技術が高いだけでなく、人々を魅了するワクワク感を抱かせる彼のようなプレーヤーを輩出するのは、そう簡単ではない気もしてくる。
「僕より技術の高い選手は、たくさんいる。“止めて・蹴る”はメチャメチャ上手いから、そのなかで“違い”を出せる選手を育てたい。サッカーは『ヨーイドン』じゃないし、良いポジションを取れば相手より先に行ける。『オリジナリティ』を持ってやってくれたらいいと思います」と本山は語ったが、まさにそのセンスの部分を磨くのが難しいのだ。
彼や小笠原には子どもたちの才能を見抜き、刺激を与えながら、違いを作れる逸材を1人でも多くトップに押し上げてほしいものである。
取材・文●元川悦子(フリーライター)
