【ネタバレ】ドラマ「大奥」原作との違いは?「医療編」アレンジが秀逸な名シーンを振り返り
男性だけがかかる致死率の高い謎の疫病が流行し、男性人口が極端に減った架空の江戸時代を舞台に、男女の社会的役割が逆転した世界を描くNHKドラマ「大奥」シーズン2(NHK総合・毎週火曜午後10時〜10時45分)。10月31日に放送された第15話で、前半パート「医療編」が幕を閉じた。基本は原作に忠実でありながら、ドラマ版ならではのシーンやアレンジを効果的に盛り込むことによって、また新たな味わいが生まれるところが本シリーズの醍醐味。印象に残ったドラマ版オリジナルの場面を中心に、「医療編」を振り返ってみた。(石塚圭子)
原作は国内外で高い評価を得ている、よしながふみの同名人気コミック。全19巻もの壮大な物語をドラマ化するにあたって、脚本を手がけたのはドラマ「JIN-仁-」シリーズや「義母と娘のブルース」シリーズなど、コミック原作ものにも定評のある森下佳子だ。
〜以下、医療編のネタバレを含みます〜
冒頭から登場する「ありがとう」が大きな意味を持つ
八代将軍・徳川吉宗の時代に入るまでは、色恋と権力をテーマにしたラブストーリーの色合いが強かった前シリーズに対し、シーズン2「医療編」では疫病・赤面疱瘡の撲滅という、不可能と思われた一大プロジェクトに挑む者たちの熱き闘いのドラマが繰り広げられる。
物語は、新進気鋭の本草学者・平賀源内(鈴木杏)が、大奥で蘭学の講義をしてくれる人物を探しに、長崎にいる江戸幕府の公式の通訳者で、優れた外科医でもある吉雄耕牛(飯田基弘)のもとへやってくるところからスタート。ここで吉雄の一番弟子の吾作(村雨辰剛)を江戸に連れて帰りたい源内と、その気がない吾作が、吉雄の家の庭で会話をするシーンが加えられている。武士をやめて、気ままに生きているというくせに、なぜ偉い人の命を受けて長崎まで来たのか? と吾作に聞かれ、「その人に『ありがとう』って言われたいからな。わたしはありがとうって言われるのが何より好きさ」と答える源内。「ありがとうと言われるのが何より好き」だという源内のセリフ自体は、原作では物語がもっと進んだ後に出てくるのだが、これを最初に持ってきたところに大きな意味がある。
源内の言葉を聞いて吾作の脳裏に浮かぶのは、かつて赤面疱瘡にかかり、海に身投げした兄が遺した最期の言葉。「俺たちはあいのこたい。何もせんでも気味悪がられる。そげな俺たちが人に好かれるには、よかこつばするしかなか。よかこつばすれば人に好かれる。おまえは、いっぱい『ありがとう』って言うてもらえる人になるとよ」。これはドラマのオリジナルのセリフだが、兄の言葉と源内の言葉が吾作の胸の内で共鳴したことで、彼は江戸に行くことを決意する。オランダ人と丸山遊女の間に生まれた出自をもち、身寄りのない自分がこのまま長崎にいては、吉雄に迷惑をかけてしまうという後ろ向きな理由よりも、よいことをして、『ありがとう』と言われたいというポジティブな気持ちに突き動かされるところが爽快だ。
「医療編」のメインキャラクターの特徴は、シーズン1での私利私欲で権力の座を争った者たちとはまったく異なるタイプであること。そんな彼らの損得抜きのまっすぐな思いと行動こそが、真の意味で世の中を大きく変革する力になることを、最初にはっきりと提示する構成になっている。
大奥に入り、吾作から名を変えた青沼と、彼に仕えることになった黒木(玉置玲央)が、風熱にかかった患者たちを看病するシーンでのオリジナルのやりとりも印象的だった。「わたしもとてもあさましい医者ですね。とどのつまりは、みんなに好かれたくて、『ありがとう』と言われたくて、医者をやっているようなものですから」という青沼の言葉に感銘を受け、欲にまみれた医者だった父親との違いをひしひしと感じる黒木。水を替えてくる、そんなささいな自分の働きにも「ありがとうございます」と礼を言う青沼に、黒木は突然「では、一両払え!」と言う。そして「例えば、感謝を銭金に代えて求める。あさましいとは、そういうことだとわたしは思います」と続けるのだ。きっと黒木はこのとき、青沼についていこうと心に決めていたに違いない、と思うと胸が熱くなる。
「医療編」を貫く「ありがとう」というキーワードは、これ以降、劇中で何度も何度もリフレインのように繰り返され、物語が進むにつれて、その響きはどんどん大きくなる。そして、ただ一人死罪となり、連れ去られていく青沼に、黒木をはじめとする蘭学を教わった者たち全員が涙を浮かべて口々に「ありがとうございます!」と言うシーンで最高潮に達する。
意次が失意の源内を癒やす場面は涙なしに見られない
「医療編」は血のつながりや主従関係を超えた、“赤面疱瘡の撲滅”という目的を持った同志たちの物語でもある。青沼と源内、黒木たちのように、強い絆を見せるのが、源内と田沼意次(松下奈緒)の関係だ。実在の平賀源内が男色家だったことを踏まえ、本作の源内も同性愛者という設定。意次への恋心を隠そうとしない源内が、褒美にキスを求め、意次がそれに応えるシーンは原作どおりだが、意次が江戸市中の源内の住まいを訪れるエピソードはドラマのオリジナルだ。このときの源内は梅毒持ちの男に暴行を受けた後、自分も梅毒に感染したと知り、失意に打ちひしがれていた。
多忙な身でありながら、わざわざ自分に会いに来てくれただけでなく、女子も蘭学を学べるようになったという新定法を真っ先に知らせてくれた意次の優しさに、源内はどれほど励まされたことだろう。「平賀源内がいたからです。平賀源内がいたから……! この門戸は開かれたのです」という意次の言葉に照れ笑いをしながらも、源内の目にみるみるうちに涙があふれ出すシーンは、涙なしに見られない。原作の源内が女性にモテモテの遊び人で、死ぬときまで歌舞伎役者の恋人が一緒だったのに対し、ドラマ版の源内は独り身で、意次一筋だった点も大きな違い。源内の純粋さを強調する演出により、悲劇的な運命の切なさが際立つことになった。
お飾り将軍だった家斉が母に歯向かい覚醒
劇中、田沼意次と敵対する立ち位置にいたキャラクターの一人が、八代将軍・吉宗の孫である松平定信(安達祐実)。ドラマ版では、定信が十一代将軍・徳川家斉(中村蒼)と1対1で対話をするという、原作にはないシーンがいくつか登場する。中でも強いインパクトを残すのが、家斉が白河藩邸を訪れ、定信と対面し、かつて定信が「このままではいつか上様も、この国もあの方(治済(仲間由紀恵))に滅ぼされまするぞ」と忠告した意味を改めて尋ねるシーン。「なぜ母は自ら将軍にならなかったのでしょう」という家斉の問いに、定信は「あの女には、志というものがないのだ。武家ならば忠義を尽くしたい、世をよく治め、徳川を守りたい。わたしも……道は違ったが田沼も、そういうことがやりたかった。そのために力を求めた。だが、あの女にはそんなものはない」と答える。この「志」もまた、「医療編」における大事なキーワードだ。意次の名前を口にしたときの定信のどこか優しげな表情に、定信も志のあった意次のことを心の中では認めていたことが伝わってくる。
その一方で、家斉の母・治済については「世には人がもだえ苦しむ様を楽しむ趣味の者もおると言うぞ」という衝撃の言葉。これを聞いた瞬間、家斉の脳裏には、治済がかつて武女(佐藤江梨子)に毒入りの茶を飲ませ、血を吐いて苦しむ姿を恍惚の表情で見つめていたときの記憶がよみがえる。そこへ現在の治済が、仏壇にずらりと並べられた、これまで自分が毒殺してきた親族たちの位牌を眺めるというオリジナルシーンをつなげ、治済のサイコパスぶりをビジュアルでも浮き彫りにしていく一連の演出が見事だった。
診療所を営む黒木の家に家斉がお忍びで訪問し、これまでのことを土下座して詫びながら、赤面疱瘡の人痘接種の協力をあおぐシーンでは、家斉の「わたしは……わたしは世を変えたいのだ! 男が女子と同じ力を持てる。男とて、女子を守れる、そんな世に変えたいのだ」という新たなセリフが加えられていた。これは、種付けしか能のない、お飾りの将軍といわれた家斉だけでなく、十代将軍・家治(高田夏帆)の御台所だった五十宮(趙民和)※「民」は「王へんに民」が正式表記)や、青沼から蘭学を学んだ大奥の男たち皆の心の奥に初めて芽生えた「志」だったのではないだろうか。
この想いが、終盤、治済の意に背いた罰として、毒入り羊羹を食べて死ねと家斉が治済に迫られるシーンで効いてくる。原作では家斉は、結局、母には逆らえぬと運命を受け入れようとするが、ドラマ版の家斉は「そもそも彼(黒木)らは罪人ではございませぬし、彼らを憎んでおる民もおりませぬ」と治済に強く反論。さらに「母上がわたくしに手をかけると言うのなら……」と刀に手をかけ、治済を斬ろうとする姿勢まで見せるのだ。あれほど気の弱かった家斉が、恐れている母が相手でも、同志を侮辱することは許さない人間へと成長した描写には、こみあげるものがある。
青沼や源内、意次らの志を引き継いだ黒木たちが、ついに赤面疱瘡の人痘接種計画を成功させるまでをスリリングなタッチで描いた「医療編」。この後、さらなる激動の時代を迎える「幕末編」では、はたしてどんなドラマが待っているのか。新章の展開に期待したい。