荒木雅博に「何かおかしい」 GG賞6度の礎も…元竜コーチが疑問視した“落合采配”
正岡真二氏は2軍コーチ時代に荒木雅博氏を遊撃から二塁に回した
元中日内野手の正岡真二氏は1987年から1998年までの12シーズン、指導者としてドラゴンズのユニホームを着た。1軍守備コーチ、2軍守備コーチ、さらには2軍監督も務めた。現在の立浪和義監督をはじめ、教え子は数多い。「アライバコンビ」と呼ばれた荒木雅博氏(前中日1軍内野守備走塁コーチ)と井端弘和氏(野球日本代表監督)も中日2軍時代に正岡氏の指導を受け、1軍に羽ばたいていった。
荒木氏は1995年ドラフト1位で熊本工から中日に入団。最初の5年間では計15安打だったが、6年目の2001年から1軍に定着し、そこから安打を積み重ね、2017年6月3日の楽天戦(ナゴヤドーム)で2000安打を達成するまでの選手になった。守備力も抜群。2004年から2009年までセカンドで6年連続でゴールデン・グラブ賞を受賞した。荒木氏が2軍で“修業中”の頃に、守備を鍛えたのが正岡氏だった。
「荒木はねぇ、ショートができなかったんだよなぁ……」と正岡氏は振り返った。熊本工時代、ショートだった荒木氏は、プロでは当初、外野を守ることもあったが、最終的にはセカンドとなり、1軍に定着していった。「荒木は肩が上まで上がらないんだよ。人より、そこの腱が出ている。上がったら当たって炎症を起こす。練習中に何かおかしいなと思って『ちょっと調べてこい』って病院に行かせたら、そういうことが分かったんだよ」。
そこで正岡氏は荒木氏をセカンドに回した。「上から投げるのは駄目だけど、横から投げるのは大丈夫。セカンドだったら、まだ近いからいいってことでね」。そこから荒木氏の守備は安定。その後の大活躍にもつながっただけに「結果的にセカンドにしたのはヒットだったよなぁ」と笑みも浮かべた。
2010年&2011年の“アライバコンバート”には首を捻った
それだけに、落合博満監督時代の2010年と2011年の2年間だけショートに戻ったことには「あれはねぇ」と首をひねった。ショートを守っていた井端氏の動きが悪くなってきたことで、セカンドの荒木氏とポジションを入れ替えたといわれているが「だって、三遊間寄りだったら、荒木は投げられなかったんやからねぇ……」と当時の指揮官が決めたことながら内心、心配でたまらなかったようだ。
荒木氏の“相方”だった井端氏も、正岡氏にとっては思い出深い選手のひとりだ。1997年ドラフト5位で亜大から入団。1年目に2軍で指導した。「井端はあまり機敏な動きができないような、のそっとした感じを見せながら、実際は違うんだよな。パッパッパッって知らない間に行っている、ボールを捕りにね。わりといろんな動きができるんだよ。それが特徴だったなぁ。荒木より井端の方が足が動くって感じだったね」。
井端氏は3年目の2000年から1軍に定着。ゴールデン・グラブ賞もショートで7回受賞(2004年〜2009年、2012年)した。これもまた正岡氏にしてみれば、うれしい教え子の成長だった。このほど井端氏は野球日本代表「侍ジャパン」の監督に就任した。重圧のかかる大仕事だが「大丈夫だろ。周りの人も助けてくれるよ、きっと」とにっこり。「大したもんだなぁ、頑張ってほしいね」とエールも送った。(山口真司 / Shinji Yamaguchi)