テレビ史に残るタレントとなったマツコ・デラックスの現在地、そして未来を探る(画像:『マツコ会議』HPより)

この9月をもって、マツコ・デラックスの冠番組『マツコ会議』(日本テレビ系)が幕を閉じる。この番組は、マツコが毎回違うゲストとじっくりトークをするスタイル。その点、マツコの考えや価値観がよくわかる貴重な番組だった。2000年代のブレーク以来、いまやテレビ史に残るタレントとなったマツコ・デラックスの現在地、そして未来をこの機会に探ってみたい。(文中敬称略)

多彩なゲストが登場した『マツコ会議』

『マツコ会議』は2015年10月にスタート。マツコ・デラックスがMC・総合演出として、番組スタッフとともに企画編成会議をしているという設定。

その場から話題の場所や人物と中継をつなぎ、トークをしたうえでマツコが総合演出として興味深かった人物のVTRを制作するというのが当初の流れだった。いわば、テレビ制作のプロセスを疑似的に見せるバラエティー番組である。

その後も基本コンセプトは同じだったが、次第に芸能人や有名人と中継をつなぎ、マツコと1対1でじっくり対談する純粋なトークバラエティー番組のスタイルに近づいていった。

近年は、バラエティー番組にはめったに登場しない歌手のAdo、また渡辺謙と杏の親子民放初共演など多彩なゲストが続々登場するように。この番組でのゲストの発言がネットニュースになることなどもよくあった。

そんな『マツコ会議』が、ちょうど8年続いたところで終わりを迎えることになったわけである。土曜夜11時の番組としてすっかり定着していたので、やはり寂しい気持ちもある。

ただ、10月からは同じ日本テレビ系で早速マツコ・デラックスの新番組が始まるとのことだし、マツコがメインを務める番組はほかにもある。その意味では、目にする機会はこれまでとほとんど変わらない。

だが『マツコ会議』には、ほかのマツコの番組にはない特別な魅力があったように思う。そしてそこには、マツコ・デラックスという類まれなテレビタレントの現在地が垣間見えたりもした。その現在地とはどのようなものか? 改めて足跡を振り返りながら、そのあたりに話を進めてみたい。

印象的なビジュアルと抜群のコメント力でブレーク

1972年生まれのマツコ・デラックスがタレントとしてブレークしたきっかけは、TOKYO MXの情報番組『5時に夢中!』への出演だろう。2005年のことである。

マツコはゲイ雑誌の編集者だった時期があり、その後エッセイの執筆など文筆活動をおこなうようになっていた。そしてその一方、女装でパフォーマンスするドラァグクイーンとしてたびたびステージにも立っていた。

『5時に夢中!』への出演依頼が来たのも、同じドラァグクイーンの友人であるミッツ・マングローブとともに営業のため新幹線に乗っていたときのことだった。

当時番組司会だった徳光正行とミッツはいとこ同士。ミッツからマツコの噂を聞いていた徳光が、来られなくなった出演者の代役を探していて思い出したのである。それから間もなくして、マツコは同番組のレギュラーに就任。現在も月曜コメンテーターとして出演している。

そこからの快進撃は、多くの人が知るところだろう。

一度見たら覚えてしまう大柄な体格と印象的なフォルム、そして毒舌のなかにもバランス感覚に優れ、「確かに」とこちらが納得してしまう抜群のコメント力で、瞬く間にバラエティー番組への出演が増えた。

いわゆる「オネエタレント」はそれまでも多くの先達がいたが、その頭脳の明晰さと博識さにおいて、マツコ・デラックスの存在は抜きん出ていると言っていい。

2009年に初の冠番組『マツコの部屋』(フジテレビ系)が深夜にスタートした。


『マツコ&有吉の怒り新党』(現・『マツコ&有吉 かりそめ天国』)は、2011年に放送開始した(画像:『マツコ&有吉 かりそめ天国』HPより)

その後立て続けに『マツコ&有吉の怒り新党』(現・『マツコ&有吉 かりそめ天国』。テレビ朝日系、2011年放送開始)、『マツコの知らない世界』(TBSテレビ系、2011年放送開始)、『月曜から夜ふかし』(日本テレビ系、2012年放送開始)と各局で冠番組が始まった。

ご存じのように、これらは人気番組となり、いずれも10年以上続く長寿番組になっている。マツコ・デラックスに対する視聴者の支持がいかに根強いかを示すものだ。

テレビについて語る貴重な場だった『マツコ会議』

そこには、視聴者がマツコ・デラックスのテレビ愛の深さを自然と感じ取っている部分もあるだろう。目立つ体格やフォルム、舌鋒鋭いトークが主たる魅力であることは間違いないが、それに加えてマツコ・デラックスからは並々ならぬテレビ愛がにじみ出ている。

テレビ本来の楽しさを感覚的によくわかっているからこそ、その存在は画面のなかでいっそう輝くように思える。

テレビ本来の楽しさとは、マツコ自身の言葉を借りれば「バカなこと」をする楽しさだ。

戦後日本の経済的復興を象徴するものとして普及したテレビは、世の中の仕組みやルールにとらわれず「バカなこと」ができる自由な場でもあった。『8時だョ!全員集合』のザ・ドリフターズのコントなどは、その極みである。PTAなどからは低俗番組などとさんざん批判されもしたが、それ以上に子どもはもちろん、大人もその「バカなこと」を心ゆくまで楽しんだ。

だが時代は変わった。「コンプラ」という言葉の浸透が物語るように、テレビは「バカなこと」が遠慮なくできる場ではなくなりつつある。

そんな時代を見て、かつてマツコは「けっこう、もう弱者なんですよ、テレビは」と嘆きつつ、「でもどんな制約があっても、そのなかで面白いものを作らなきゃいけないんですよ」と語ってもいた(『5時に夢中!』2017年7月24日放送)。

そうしたなかで、『マツコ会議』はバラエティー色が比較的薄く、マツコの本音を聞ける数少ない貴重な場になっていた。そしてそこでは、現在のテレビに対する思いも随所で聞くことができた。

例えば、ブレークしてまだ間もない頃のフワちゃんが登場した回(2020年11月7日放送)にもそんな場面があった。

「フワちゃんはテレビでなにがしたかったの?」とマツコに聞かれ、フワちゃんが答えたのは「子どもが大勢出る番組のMC」。と言ってもNHK Eテレのような健全なものではなく、その番組で握りっ屁のような「ちょっと悪いこと」を教えたいとフワちゃんは言う。

その答えにマツコも、「すごく向いてる」と称賛するとともに、「子どもの欲求を満たしてあげる子ども番組って実はない」と現在のテレビを分析していた。

この話は、先ほどもふれた『8時だョ!全員集合』で加藤茶や志村けんがやっていた他愛無い下ネタを思い出させる。当時の子どもたちはそれを見て大喜びし、まねもした。

マツコは、かつてのテレビが担っていた「バカなこと」をやる場としての役割をフワちゃんが期せずして目指していたことに共感したのだろう。フワちゃんのような考えを持つ若いタレントが登場してきた事実に、「テレビもまだ捨てたものではない」という一筋の希望を見出したのではないだろうか。

終了目前でマツコ・デラックスが見せたもうひとつの顔

では、マツコ・デラックス自身は、これからテレビとどう関わっていくのだろうか? むろん今のままで十分とも言えるが、一方で最近のマツコ・デラックスは新たな方向を模索し始めているようにも思える。

つい先日の『マツコ会議』は、その意味で興味深かった(2023年9月9日、16日放送)。

このときのゲストはお笑い芸人のロバートの秋山竜次。「クリエイターズ・ファイル」という企画で、個性的な架空のキャラクターを次々に演じて評判になっている。この企画のファンだというマツコは、お気に入りのキャラクターをあげながら実に楽しげに秋山とトークしていた。そして途中からは同じく個性的なキャラクターを演じる達人である友近も加わった。

すると最後に、思わぬ展開が待っていた。2人がマツコを誘って3人での「町内会コント」を提案したのである。すると台本なしの全編アドリブであったにもかかわらず、マツコも2人とともに、いかにもいそうな町内会の人物を見事に演じ、その場で即興の歌まで披露したのである。

番組中、マツコは秋山と友近を「ダメな人」と形容していた。むろん褒め言葉である。「ダメな人たち」とは「バカなことをやる人たち」であり、そういう人たちこそがテレビでは面白い。そしてマツコ自身も、その輪に加わったわけである。

今までのマツコ・デラックスは、どちらかと言えば現在は不定期で放送中の『アウト×デラックス』(フジテレビ系)のように、「ダメな人たち」を発掘して紹介する側だった。

だが元々はパフォーマーとして「バカなこと」を自ら実践する側でもあり、その片鱗がこのときの『マツコ会議』には垣間見えた。昔の血が騒いだというべきだろうか。そしてこのパフォーマーとしての姿は、テレビではあまり見せてこなかったもうひとつの顔として豊かな可能性を秘めているのではないか。そう思えたのである。

(太田 省一 : 社会学者、文筆家)