中井りか、NGT48を卒業…保育士を目指した “無味無臭” の新人が「炎上クイーン」になるまで
中井りか卒業コンサートの様子(©︎Flora)
8月5日夜、新潟県民会館で、NGT48・中井りかの卒業コンサートが開催された。終盤には、荻野由佳、加藤美南ら同グループのOG13人が駆けつけ、花を添えた。
彼女を初めて取材したのは、2015年8月のこと。新潟県に足を運び、1期生全員を取材した。これが彼女たちにとって初めてのインタビューだった。
正直に書けば、彼女のことはあまり印象に残っていない。テープ起こしを読み返してみると、保育士を目指していたこと、NMB48が好きでNGT48のオーディションを受けたこと、あまり前に出るタイプではないこと、トークが下手なことなどを話してくれた。
いくつもの “炎上” を繰り返すようになる未来が待っていようとは、本人が一番予想していなかったことだろう。
結成当初はグループの顔というわけではなかった。この事実が心に火をつけた。このままだと埋もれていく。自分が目立てる何かを探していた。そこで出会ったのが、動画配信サービス「SHOWROOM」だ。
中井はチャンスだと感じた。何の編集もせずに、自分の素を出せるからだ。SHOWROOM配信で中井はNGT48のみならず、AKB48グループ全体のファンから注目されるようになる。
素を出すことは共感や応援というメリットを生むこともあるが、反発を買うというデメリットもある。中井はその両方を手にした。口は悪い。素直な物言い。それらによって面白がられもするが、「なんだこいつ」とも思われる。炎上クイーンの誕生だ。
炎上したとしても、中井はあっけらかんとしていた。むしろ、いわゆる “まとめサイト” に載ることをほくそえんでもいた。そんなことで心が折れるタイプではなかった。いつのまにか、NGT48の顔になり、AKB48の選抜入りを果たすようにもなった。
彼女の心が折れたのは、アイドル業ができないことに対して、だった。バラエティ番組から重宝されるようになり、毎日レギュラーを持つようになった。2018年には、タレント番組出演本数ランキングで1位(257本)を獲得した。
しかし、中井の心は晴れなかった。タレントではなく、アイドルになりたくて、この世界の門を叩いたからだ。このままでは、アイドルとして生きていくことができない……。心の限界を迎えた中井は、1位の座をあっさり捨て、アイドル業に本腰を入れることを選択した。
それからというもの、中井はアイドル活動を楽しそうに送っているように見えた。それまでは、どちらかというと一匹狼タイプだった。しかし、積極的にグループへとけ込み、後輩とも絡むようになっていった。自らアイドルとして輝こうとした。
それと同時に、NGT48をなんとか復権させたいと考えるようになっていた。炎上キャラなのに、取材が終わると、毎回深々と頭を下げた。後輩をプロデュースするようにもなった。
卒業コンサートで、中井はこう話した。
「すべてやりたいことはやらせていただいた」
もはやアイドルとしてやりたいことはなくなっていた。だとしたら、卒業を考えるのはとても自然なことだった。
アンコールでは、ピンクの豪華ドレスに身を包み、最後のアイドル姿を満喫した。最後の曲に選んだのは、『青春時計』だった。NGT48のデビュー曲で、中井がセンターに抜擢された、思い出の曲だ。
青春とはどういうものか、を歌った楽曲なのだが、「振り返ったら青春」という歌詞で終わる。あの頃は楽しかったなと回想することがあったら、その思い出している時間を青春と呼ぶのだ――そんな意味だろう。
中井は、最後、ステージの奥で立ち止まり、客席側に一瞬振り返った。そこでコンサートの幕は下りた。中井の青春はこうして終わった。
(文/犬飼 華)