韓国ソウルにあるKBSの本社(筆者撮影)

7月11日、尹錫悦大統領はこれまで電気料金に含まれていたKBS(韓国放送公社)の受信料を分離し、別途徴収する施行令を裁可した。日本でもNHKの受信料をめぐってはたびたびその必要性が議論されているが、お隣韓国では今、徴収方法をめぐり与野党の攻防がヒートアップしている。

KBSの受信料を分離徴収する案は過去にも取り沙汰されたが、うやむやなまま終わっていた。今回尹大統領が施行令を裁可した背景には、KBSの報道姿勢に尹政権が業を煮やしたことがある。

KBS本社には「弔花」が続々と届いている 

KBSの財源は国民による受信料、広告料、政府の補助金などから成り立っている。受信料による収入は昨年の実績では6935億ウォン(約693億円)で収益全体の45%を占める。

KBS側は分離徴収になればその収入は例年の6000億ウォン台から1000億ウォン台にまで落ち込むと予想し、国務会議が開かれる前日には、KBS社長が「非常経営宣言」を発表。12日には、「国民の知る権利と放送の自由を侵害する」施行令は違憲だとして、侵害された基本権の回復を求める訴えを憲法裁判所に申請した。

汝矣島にあるKBS本社の周りには今、弔花の花輪がずらりと並んでいる。弔花が運ばれる光景を目にした時は、一瞬、「何が起きたのか」と思ったが、送り主は「KBS正常化汎国民闘争本部」らの保守系団体だった。

弔花に垂れ下がる名札には送り名のかわりに「KBS社長は即退陣しろ」「偏向報道を止めろ」「分離徴収をしろ」などKBSを批判する文言が書かれており、中には「KBSの死亡をお祝いします」というものも。


KBS本社には弔花が続々と届いている(筆者撮影)

分離徴収をめぐる論争が本格化したのは6月5日。大統領室がKBSの受信料を別途に徴収する法令改正とその処置などを大統領直属機関である放送通信委員会などへ勧告してからで、弔花もこの時から次々と並べられるようになった。

現在の受信料は月額250円

KBSは地上波2チャンネルとラジオ6局、子会社を通し、衛星放送、ケーブルテレビなどを持つ韓国最大規模の放送会社だ。NHKと同じように国民から受信料を徴収しており、1963年の月額100ウォン(約10円)から始まり、カラーテレビが登場した1981年に現在の同2500ウォン(約250円)に引き上げられた。

NHKと異なるのはその徴収方法だ。1980年代の軍事政権時代、政権色一色の放送内容への反発から支払いを拒否する運動が起き、これにより受信料による収入が半分近く(44%ほど)まで落ちると、1994年からは受信料の徴収を韓国電力公社に委託し、電気料金に含めて徴収される方法にかわった。電気料金に組み込んでしまえば、未納はほぼ防げるわけで、KBS側にとってはこれ以上ない妙案だった。

同社はまた広告料による収入もある。クーデターにより政権を掌握した全斗煥元大統領はメディアを掌握するため1980年、メディアの統廃合を行い、そのときに当時の民放「TBC」はKBSへ吸収合併され、主にドラマや芸能などを制作し放送するKBS2が誕生した。このとき広告収入を得た放送も始まっている(KBS1とKBS第1ラジオは1994年から広告収入は得ていない)。

このとき広告収入を得ることも許可された(KBS1とKBS第1ラジオは1994年から広告収入は得ていない)。

ただ、広告収入は減少傾向にあり、2012年にはKBS全財源の44%ほどを占めていた広告収入は連続して減少し続けており、2021年には2705億ウォン(約270億円)と18.6%まで縮小している。

KBSの受信料の徴収方法をめぐる論争はこれまでもあった。4年前の2019年秋の国政監査でも、「KBSが受像機のない世帯からも受信料を徴収しているのは放送法違反」だとする意見が出て、当時あった大統領官邸「青瓦台」の国民請願の掲示板にも、受信料の徴収方法を別途徴収にしてほしいという趣旨の請願スレッドも立った。

値上げ提起も不発に終わる

2021年にはKBSが2500ウォン(約250円)の受信料を3840ウォン(約384円)に引き上げることを提起し、物議を醸した。当時、KBS側からは受信料の引き上げ理由について物価高に合わないこと、収入減などが挙げられ、放送通信委員会は通過したが、世論の反発もあり、据え置きされた。

そもそも受信料から得る収入が増加していることもそのときに明るみに出た。2011年には受信料による収入は5778億8000万ウォン(約577億8800万円)だったが、引き上げ案が提示された2021年には前年度の収入は6790億2400万ウォン(約679億0240万円)と1000億ウォン近くも増えていた。

2022年度も6935億ウォンと微増している。韓国では少子化が叫ばれて久しいが、1人世帯の増加により、電気料金に含まれた受信料の徴収もそのぶん増加したと分析されている。

世論がKBSの受信料に敏感に反応する背景の1つに挙げられるのがKBSの放漫経営だ。ここ数年は赤字を出し続けており、今年度も1〜3月までにすでに425億ウォン(約42億円)の赤字を出している。

2021年に受信料の引き上げをめぐる論争が起きた際、KBS職員のおよそ46%が年俸1億ウォン(約1000万円)プレーヤーであることが明らかとなり、「まずは人件費から削れ」とブーイングが上がった。

この時はKBS職員が引き上げ反対者に向けて、「何を言っても受信料は電気料金に含まれているからちゃんと払われますしね。成果給のようなものはなくても職員の半分は毎年1億ウォン以上もらっている。能力があって機会があれば社友になりましょうよ〜」とオンラインコミュニティに書き込み、炎上。KBSはこの書き込みについて謝罪し、半分ではなく年俸1億ウォンプレイヤーが46%ほどいることを明らかにした。

前政権から社長は交代していない

また、国民から受信料を徴収している以上、政治的な中立が求められることは言うまでもない。しかし、韓国では時の政権が代わるたびにトップが政権寄りの人物へと交代し、与党に利用されてきた。夜のメインニュースの安定的な視聴率があるためだ。

そのため、つねに野党側から受信料の別途徴収が提起されてきたが、いずれもうやむやに終わってきた。しかし、現政権下では前政権時代からの社長が交代しておらず、KBSの報道は野党寄りでしかも度を超しているという批判が起きていた。韓国の中道系の全国紙記者もこう批判する。

「今回は任期がまだ残っているとして前政権時代からの社長がその座に居続けています。報道局長も3年連続して進歩系の民主労総(全国民主労働組合総連盟)委員長出身者で、それだけなら問題はないでしょうが、自分たちに不都合なニュースは報じなかったり、現政権、特に大統領を批判したいがために事実をねじ曲げたりとメディアとしてあるまじき報道が続いていた」

最近では、尹大統領が3月に訪日し首相官邸を訪れた際、尹大統領が日章旗へ頭を下げたとKBSのキャスターは生中継中に批判した。しかし、実際は日章旗の隣りには韓国の国旗「太極旗」が掲げられており、カメラに映り込んでいなかっただけだったことが発覚。

同社は後に誤報だったとして謝罪した。また、5月には、第三国で民主労総の幹部が北朝鮮の工作員と会っていたというニュースを他社が一斉に報じたが、KBSは当時、報じなかった。

世論調査では96%が別途徴収に賛成

業を煮やした尹政権は、この3月に国民参与の掲示板に挙げられた請願により、KBS受信料の徴収方法をめぐる世論調査を行った。すると約96%の人が別途徴収に賛成という結果が出た。これを基に大統領室は6月5日に放送通信委員会などに受信料を別途徴収にする施行令の改正案を勧告した経緯がある。

大統領室からの勧告が出た際、野党「共に民主党」のスポークスマンは、「任期があった委員長を免職させ、分離徴収をエサに公営放送を脅迫し始めた。受信料を餌にして飼い慣らそうとしている」と政府を批判し、李在明党代表は「大統領によるKBSイジメ」と皮肉った。

さらには、施行令が施行された後の7月17日、同党の議員が国会法を改正し、国会が政府の施行令を制御できるようにする法改正を進めると発表。対象はすでに施行が始まっているものも含めるとしており、KBSの分離徴収を無効にしようとする狙いは明らかだ。これに対し、与党「国民の力」議員は受信料を拒否できる法改正を提起するとしている。

テレビ業界では、今回のKBS受信料の分離徴収により、KBSの経営はさらに厳しくなると見られており、「KBSが生き残る道はただ1つ、ドラマ、芸能中心のKBS2を売却すればよい。どうせエンターテインメントでも視聴率が落ちているんだから」といったことがまことしやかに囁かれている。

ドラマ界では、ドラマ制作会社と地上波テレビの力学が変わったことにより、かつて甲だったテレビ局は軒並み、”乙”の立場に追いやられているのが現状だ。そのKBS2を虎視眈々と狙う他メディアや他業界がすでに動き出している。

「受信料廃止の時代へ向かう」

韓国ではインターネットを基盤にしたテレビ「IPTV」に加入している世帯は56%ほどいるといわれる。IPTVには、ニュース専門チャンネルもあればドラマ、映画、音楽専門、そして地上波のコンテンツを再放送するケーブルテレビも含まれており、チャンネルの選択肢は格段に広がった。「受像機があるだけで受信料をとられるのは理不尽」という声も多い。

また、最近増えている1人世帯ではスマートフォンを利用した視聴が主流になってきており、視聴スタイルの幅も大きく変わってきた。与党所属の洪準杓大邱市長は、自身のフェイスブックに「KBSは新しい道を探せばいい。どのみち受信料廃止の時代へ向かう」と書き込んだ。

公営放送KBSの受信料の別途徴収は、変化の速い韓国にあって韓国メディアの構図をがらりと変えるシグナルになるかもしれない。

(菅野 朋子 : ノンフィクションライター)