元AKB48駒谷仁美が語るブレイク前夜 小嶋陽菜と一緒にファンを目撃し…「普通、逆じゃない?」
●AKB48オーディション受験のきっかけになった“ジミー”の存在
アイドル史に残る数々の偉業を打ち立て、一世を風靡したアイドルグループ・AKB48。その1期生として、前田敦子、高橋みなみ、峯岸みなみらとともに記念すべきデビュー公演のステージに立ったのが、駒谷仁美だ。
今回は、前後編にわたるインタビューの前編を掲載。国民的グループの幕開けを知る数少ない証人の一人である彼女が、いかにしてAKB48と巡り合い、ブレイク前夜のグループから卒業することを決断したのか。濃密で一瞬だったという3年間を振り返ってもらった。
駒谷仁美 撮影:島本絵梨佳
○■ジミーっていう有名な名物おじさんがいたんです
――アイドルになりたいと思ったのは、いつ頃なんですか?
小学生の頃、SPEEDが大好きで。その後、モーニング娘。が大流行して、やっぱり歌って踊るのって楽しそうだな、かわいいなって。アイドルになりたいと思ったのは、その頃ですね。
――AKB48加入前にもアイドル活動をされていたとか。
高校に入ってすぐ、芸能事務所に入っていた友だちから「ダンスやってみない?」って感じで誘われたんです。活動と言えるようなことはしてなかったんですけど、それでライブに少し出るようになって、いわゆる地下アイドルって感じでした。
――それからAKB48に加入するわけですが、駒谷さんは1期生で、当時はまだAKB48の存在も世間には認知されていなかったと思います。オーディションはどんな風に知ったんですか?
当時、渋谷のセンター街にジミーっていう有名な名物おじさんがいたんです。なぜだかプリクラをいっぱい持ってるおじさんで、若い友だちが多いからだと思うんですけど、芸能事務所の人も「いい子がいたら紹介して」と頼んでたみたいで。ジミーから「受けてみろよ」って渡されたのが、AKB48のオーディションのチラシでした。それを家に持ち帰ったら、母が「秋元さんは有名な人だから」って申し込んでくれて、そこからですね。
○■ファンが推し変「たかみなのファンに(笑)」
――オーディション合格後、グループの雰囲気はどんな感じだったんですか?
オーディションの段階で仲良くなった子たちと一緒に合格できたので、メンバーと一緒にいるのがただただ楽しかったですね。あとはもうバタバタと色々なことが進んでいったから、そこからは一瞬で、あんまり記憶もないんですよ(笑)。
――それくらい激動の日々だったと。その後のグループの躍進は音楽史が物語っていますが、AKB48にまつわる有名なエピソードとして、デビュー公演の観客が7人だったという話もありますよね。当時、ステージからその景色を見たときのことは覚えていますか?
幕が開いた瞬間、お客さんが7人だけでもの寂しい感じはありましたけど、デビュー日だし、10曲くらいある曲をこなすことに必死だった気がします。ただ、曲中、客席に向かって左端から右端まで手を振る振り付けがあったんですけど、お客さんが所々にしかいないから、誰もいない客席に手を振るっていうシュールな時間があって(笑)。「どんな感情で手を振ったらいいか分からないけど、リハーサル通りにするしかないよね」って感じで、手を振ってました(笑)。
●卒業決断の理由とは「18歳でもオバサン扱いだったんです」
――後のAKB48では到底考えられないエピソードですね(笑)。それから少しずつお客さんが増えていったんですか?
そうですね。ファンの方の口コミで少しずつ増えていくって感じでした。
――駒谷さんの地下アイドル時代のファンの方も公演に来られていたんですか?
最初の頃、来てくれてましたね。すごく熱心に応援してくれていた方が一人いて、「地上に上がったんだね。頑張ってて良かったね」みたいに言ってくれてたんですけど、気づいたらライブ中、私のこと見てないなって。いつの間にか、たかみな(高橋みなみ)のファンになってたんです(笑)。そのあと、握手会で会うと、ちょっと気まずそうにしてくれてましたけど、別にしょうがないっていうか。
――それを責めるのは違うと。
そうですそうです! たぶん公演中に目があって好きになっちゃったとかだと思うんですけど、推し変とか普通にあるじゃないですか。
○■18歳で「ツインテールなんてもう恥ずかしいよ……」みたいな話をする時代
――AKB48の人気が高まっていくなかで、生活に変化はあるものですか? 街中で声をかけられるようになったとか。
最初の頃は全然なかったですね。むしろ、こっちがファンの方を見つけたり(笑)。当時、小嶋陽菜と一緒に、さいたま新都心で遊んでたら、劇場によく来ている人を見つけたんです。「あっ、あの人だ!」とか言ってたんですけど、「私たちが見つけてる場合じゃない。普通、逆じゃない?」って、だんだん悔しくなってきて、2人でその人の目の前をウロウロするんですけど、全然気づかれない(笑)。「ダメだ! もう諦めよ!」って(笑)。
――これも後のAKB48では到底考えられないようなエピソードですね(笑)。
AKB48がバーンとブレイクしたのは私が卒業した後でしたし、当時からメディアに出る子たちは忙しかったけど、私の活動は劇場が中心だったので。劇場公演に出ていると、新しく公演が始まったら、1カ月くらいレッスンがあるんですよ。まずそれだけでスケジュールが取られるし、公演が始まったら毎日公演が続くし、「AKB48も人気が出てきた」みたいに思うこともなくて、バタバタしてたイメージしかないですね。
――駒谷さんは19歳でグループを卒業しました。年齢的にも随分早かったように思うのですが、卒業を決めた理由を聞いてもよろしいでしょうか?
今って、アイドルの寿命が延びてるじゃないですか。例えば、25、26歳でも若いと言われるけど、私たちの時代って18歳でもオバサン扱いだったんです。18歳で「ツインテールなんてもう恥ずかしいよ……」みたいな話をする時代だった。年下の子がどんどん出てくるなかで、私が選抜組に入っていて、メディアにもたくさん出ていたら、卒業は考えなかったと思うんですけど、劇場の守り神チームだったんで(笑)。
「下も詰まってきてるし、もういいかな。このまま続けててもな」って、自分の中で葛藤がすごくあって、一人でタレント活動をしてみたいっていう気持ちもあったときに、その後に所属した事務所とのご縁もあったので、そのタイミングで卒業を決めました。
■プロフィール
駒谷仁美(こまたに・ひとみ)
1988年12月16日生まれ。2005年、『AKB48オープニングメンバーオーディション』に合格。同年、オープニングメンバー候補生として、AKB48劇場グランドオープンの舞台に立った。2008年、AKB48を卒業。その後、女優・タレントとして、舞台を中心に活動。2011年、SDN48に3期生として加入。翌年、NHKホールで行われた公演をもって、SDN48を卒業した。2020年より、ライブ配信アプリ「17LIVE」でイチナナライバーとしても活動している。
アイドル史に残る数々の偉業を打ち立て、一世を風靡したアイドルグループ・AKB48。その1期生として、前田敦子、高橋みなみ、峯岸みなみらとともに記念すべきデビュー公演のステージに立ったのが、駒谷仁美だ。
今回は、前後編にわたるインタビューの前編を掲載。国民的グループの幕開けを知る数少ない証人の一人である彼女が、いかにしてAKB48と巡り合い、ブレイク前夜のグループから卒業することを決断したのか。濃密で一瞬だったという3年間を振り返ってもらった。
○■ジミーっていう有名な名物おじさんがいたんです
――アイドルになりたいと思ったのは、いつ頃なんですか?
小学生の頃、SPEEDが大好きで。その後、モーニング娘。が大流行して、やっぱり歌って踊るのって楽しそうだな、かわいいなって。アイドルになりたいと思ったのは、その頃ですね。
――AKB48加入前にもアイドル活動をされていたとか。
高校に入ってすぐ、芸能事務所に入っていた友だちから「ダンスやってみない?」って感じで誘われたんです。活動と言えるようなことはしてなかったんですけど、それでライブに少し出るようになって、いわゆる地下アイドルって感じでした。
――それからAKB48に加入するわけですが、駒谷さんは1期生で、当時はまだAKB48の存在も世間には認知されていなかったと思います。オーディションはどんな風に知ったんですか?
当時、渋谷のセンター街にジミーっていう有名な名物おじさんがいたんです。なぜだかプリクラをいっぱい持ってるおじさんで、若い友だちが多いからだと思うんですけど、芸能事務所の人も「いい子がいたら紹介して」と頼んでたみたいで。ジミーから「受けてみろよ」って渡されたのが、AKB48のオーディションのチラシでした。それを家に持ち帰ったら、母が「秋元さんは有名な人だから」って申し込んでくれて、そこからですね。
○■ファンが推し変「たかみなのファンに(笑)」
――オーディション合格後、グループの雰囲気はどんな感じだったんですか?
オーディションの段階で仲良くなった子たちと一緒に合格できたので、メンバーと一緒にいるのがただただ楽しかったですね。あとはもうバタバタと色々なことが進んでいったから、そこからは一瞬で、あんまり記憶もないんですよ(笑)。
――それくらい激動の日々だったと。その後のグループの躍進は音楽史が物語っていますが、AKB48にまつわる有名なエピソードとして、デビュー公演の観客が7人だったという話もありますよね。当時、ステージからその景色を見たときのことは覚えていますか?
幕が開いた瞬間、お客さんが7人だけでもの寂しい感じはありましたけど、デビュー日だし、10曲くらいある曲をこなすことに必死だった気がします。ただ、曲中、客席に向かって左端から右端まで手を振る振り付けがあったんですけど、お客さんが所々にしかいないから、誰もいない客席に手を振るっていうシュールな時間があって(笑)。「どんな感情で手を振ったらいいか分からないけど、リハーサル通りにするしかないよね」って感じで、手を振ってました(笑)。
●卒業決断の理由とは「18歳でもオバサン扱いだったんです」
――後のAKB48では到底考えられないエピソードですね(笑)。それから少しずつお客さんが増えていったんですか?
そうですね。ファンの方の口コミで少しずつ増えていくって感じでした。
――駒谷さんの地下アイドル時代のファンの方も公演に来られていたんですか?
最初の頃、来てくれてましたね。すごく熱心に応援してくれていた方が一人いて、「地上に上がったんだね。頑張ってて良かったね」みたいに言ってくれてたんですけど、気づいたらライブ中、私のこと見てないなって。いつの間にか、たかみな(高橋みなみ)のファンになってたんです(笑)。そのあと、握手会で会うと、ちょっと気まずそうにしてくれてましたけど、別にしょうがないっていうか。
――それを責めるのは違うと。
そうですそうです! たぶん公演中に目があって好きになっちゃったとかだと思うんですけど、推し変とか普通にあるじゃないですか。
○■18歳で「ツインテールなんてもう恥ずかしいよ……」みたいな話をする時代
――AKB48の人気が高まっていくなかで、生活に変化はあるものですか? 街中で声をかけられるようになったとか。
最初の頃は全然なかったですね。むしろ、こっちがファンの方を見つけたり(笑)。当時、小嶋陽菜と一緒に、さいたま新都心で遊んでたら、劇場によく来ている人を見つけたんです。「あっ、あの人だ!」とか言ってたんですけど、「私たちが見つけてる場合じゃない。普通、逆じゃない?」って、だんだん悔しくなってきて、2人でその人の目の前をウロウロするんですけど、全然気づかれない(笑)。「ダメだ! もう諦めよ!」って(笑)。
――これも後のAKB48では到底考えられないようなエピソードですね(笑)。
AKB48がバーンとブレイクしたのは私が卒業した後でしたし、当時からメディアに出る子たちは忙しかったけど、私の活動は劇場が中心だったので。劇場公演に出ていると、新しく公演が始まったら、1カ月くらいレッスンがあるんですよ。まずそれだけでスケジュールが取られるし、公演が始まったら毎日公演が続くし、「AKB48も人気が出てきた」みたいに思うこともなくて、バタバタしてたイメージしかないですね。
――駒谷さんは19歳でグループを卒業しました。年齢的にも随分早かったように思うのですが、卒業を決めた理由を聞いてもよろしいでしょうか?
今って、アイドルの寿命が延びてるじゃないですか。例えば、25、26歳でも若いと言われるけど、私たちの時代って18歳でもオバサン扱いだったんです。18歳で「ツインテールなんてもう恥ずかしいよ……」みたいな話をする時代だった。年下の子がどんどん出てくるなかで、私が選抜組に入っていて、メディアにもたくさん出ていたら、卒業は考えなかったと思うんですけど、劇場の守り神チームだったんで(笑)。
「下も詰まってきてるし、もういいかな。このまま続けててもな」って、自分の中で葛藤がすごくあって、一人でタレント活動をしてみたいっていう気持ちもあったときに、その後に所属した事務所とのご縁もあったので、そのタイミングで卒業を決めました。
■プロフィール
駒谷仁美(こまたに・ひとみ)
1988年12月16日生まれ。2005年、『AKB48オープニングメンバーオーディション』に合格。同年、オープニングメンバー候補生として、AKB48劇場グランドオープンの舞台に立った。2008年、AKB48を卒業。その後、女優・タレントとして、舞台を中心に活動。2011年、SDN48に3期生として加入。翌年、NHKホールで行われた公演をもって、SDN48を卒業した。2020年より、ライブ配信アプリ「17LIVE」でイチナナライバーとしても活動している。