ウクライナにあった世界最大の航空機、アントノフAn-225「ムリヤ」の破壊が発表してから1年が経過しました。「ムリヤ」はどのような飛行機なのでしょうか。また破壊後の1年は、同機にまつわる動きがいろいろありました。

最大離陸重量640t

 いまから1年前の日本時間2022年2月28日深夜、ウクライナ政府の公式Twitter/Facebookは、同国のアントノフ航空が運航する世界最大の航空機、アントノフAn-225「ムリヤ」が、ロシアからの軍事侵攻によって破壊されたと投稿。世界に1機しかない、この超巨大機の破壊は、全世界の航空ファンを悲しませました。


アントノフAn-225「ムリヤ」(画像:Transport Pixels[CC BY-SA〈https://bit.ly/2VvpNUU〉])。

 An-225「ムリヤ」の最大離陸重量は“世界最大”となる640tで、全長は84m、全幅は88.74mに及びます。そのデザインも、片翼に3発ずつ計6発搭載したエンジン、32個の車輪をもつムカデのような脚など独特の形状を持ち、日本では「怪鳥」とも呼ばれました。

 1971年、旧ソ連では、ソ連版スペース・シャトルである「ブラン」計画がスタート。この「ブラン」を空輸するために開発されたのが、An-225「ムリヤ」です。ベースとなったのはアントノフ設計局の超大型輸送機、An-124「ルスラン」で、胴体の15m延長や脚の追加、エンジン数の追加、尾翼の設計の見直しなどの変更が行われています。

 しかし1991年、ソ連が崩壊。「ブラン」計画も打ち切りとなり、An-225「ムリヤ」の役割もなくなり、一時はエンジンなども取り外されているような状態だったそうです。

 そんななか、アントノフ設計局の関係会社でもあるアントノフ航空などがAn-225「ムリヤ」を民間機として復活させる計画を公開。その後、航法装置の刷新や新たな空調システムの設置、貨物室の床の強化などの改修を経て、2001年に復活し、民間貨物機として再び空へ戻りました。復帰後の同機は日本にも飛来。現在のところ再度の来日は2020年で、新型コロナ関連の救援物資輸送において途中給油をする目的で、中部空港へ数度やってきています。

破壊後の「ムリヤ」を巡るさまざまな動き

 An-225「ムリヤ」は、その規格外のサイズや完成までの経緯などで、“唯一無二”の存在感を放ち、同国内、そして世界の航空ファンから注目を集めてきました。また同機はある意味「ウクライナの象徴」的な存在であり、2021年のウクライナ独立30周年を祝賀するイベントでは、首都キーウ上空をフライトしています。

 そのような機体が破壊されたこともあり、2022年にはムリヤにまつわる、さまざな反応や事象が起こりました。航空機追跡サイト「フライトレーダー24」に破壊されたはずの「ムリヤ」の機影が、「FCKPUTIN(憎きプーチンめ!)」の便名で出現した「ムリヤの亡霊」事件や、同機をテーマとしたアニメ風のショートムービーをアントノフ社の公式SNSアカウントが公開し、世界中の航空ファンを感動させたことなどです。


アントノフAn-225「ムリヤ」(画像:AntonovCompany)。

 また、アントノフ社は公式SNSで、大破した「ムリヤ」を終戦後に復活させる計画があると発表済み。ウクライナのゼレンスキー大統領も同様の計画を発表しています。

 この一環でウクライナは、パソコンなどでプレイでき世界的に人気のフライトシミュレーター「Microsoft Flight Simulator」を展開するマイクロソフト社とタッグ。2023年2月28日から同ゲームで有料で「ムリヤ」を登場させ、そのすべての収益を、同機を再建するための支援金としてアントノフ航空に支払うという取り組みも進められています。

 なお、「ムリヤ」には完成せずに地上に残ったままの2号機が存在し、再建計画はそれを活かしたものと見られます。今回の戦争の終結とともに、同機の今後についても、多くの注目が集まりそうです。

【映像】広ッ!多ッ!「An-225」操縦席の様子も規格外だった(45秒)