温泉施設は“駅予定地”、裏の遊歩道は“鉄道” 未成の「岩日線」今やドライバーのオアシスに
島根県の西端近くにある吉賀町六日市地区には、鉄道の高架をそのまま転用した遊歩道があります。ここに建設されていた「国鉄岩日線」は、ほとんど完成していたものの、開業されることなく放棄。駅予定地は温泉施設となっています。
温泉のウラにある「鉄道が来るはずだった遊歩道」
島根県吉賀町六日市地区(旧・六日市町)は、城下町・津和野と広島・厳島を結ぶ「津和野街道」の宿場町として古くから賑わっていました。ひと山越えるとすぐ山口県ということもあって、町内を南北に貫く国道187号では今でも陰陽(山陰地方・山陽地方)を移動するクルマが多く見られます。町外れを東西に貫く中国自動車道は、六日市ICでの途中退出が可能(ETC2.0限定、時間条件あり)で、ICにほど近い道の駅に併設の「むいかいち温泉 ゆ・ら・ら」は、ドライバーの格好の休憩スポットとしてクルマが絶えることがありません。
その湯上がりに、建物の裏手にある「かつて鉄道として建設された遊歩道」を歩く人も目立ちます。
温泉の建物裏手からまっすぐ伸びる遊歩道。左右の手すりは設置されているものの、その佇まいは完全に鉄道線だ(宮武和多哉撮影)。
遊歩道は幅4.5mほど。横はコンクリート壁で覆われ、ここにレールを敷けばすぐに鉄道車両が走行できそうな頑丈さです。そのルートは「ゆ・ら・ら」から東側へ一直線に伸び、中国道の下を抜けつつ小さな川を高架で跨ぎ越すなど、とても遊歩道とは思えない豪華なつくりとなっています。
その先にあるトンネルで遊歩道は終わりとなりますが、この先も山口県側まで、鉄道としての建設が進んでいました。しかし、工事の大半が終わっていたにも関わらず、ここに列車が走ったことは一度もありません。
六日市に到達するはずだった「国鉄岩日線」は、その名の通り岩国(山口県)と日原(にちはら。島根県津和野町)を結ぶ予定でした。
山陽と山陰を貫く“陰陽連絡線”とよばれる鉄道(伯備線、智頭急行など)の計画は多く存在しましたが、日原から山口線を経由して島根県益田市に連絡を果たすはずだった岩日線も、そのひとつとして建設されたものです。
もともと駅だった温泉施設 開業できなかった“県境越え区間”
岩日線として計画されていた区間のうち、山口県側の錦町までの32.7km(川西〜錦町)は1963(昭和38)年までに順次開業。その後、錦町〜六日市間(16.6km)も工事が進み、前出の遊歩道を含む六日市駅予定地(現在「ゆ・ら・ら」敷地)もほとんど完了していました。この駅予定地は国鉄バス・JRバスの営業所として転用され、のちに温泉施設として開業を果たしています。
しかしこの頃には経営悪化に伴う国鉄の合理化が始まっており、未開業区間は工事が進んでいた他の路線と同様、1980(昭和55)年に工事凍結。開通済みの区間も、営業係数(100円の収入にかかる営業費用)が1970(昭和45)年の時点で238、その後も悪化をたどり、1987(昭和62)年には沿線自治体が出身する第3セクター「錦川鉄道」に転換され、現在に至ります。
その際に島根県側から「せめて六日市まで開業させてほしい」との働きかけが行われたものの、県境を越えるため通院・通学の流動も見込めず、採算の予想が厳しく断念。錦町〜六日市間に列車が走る可能性は、ここで消滅しました。なお開業できなかった区間のうち、錦町から先の6kmほどは2002(平成14)年から、タイヤで走る遊覧自動車「とことこトレイン」のルートとして活用されています。
錦川鉄道の列車。ツアー客で満杯だった(宮武和多哉撮影)。
岩日線は開業が国鉄の赤字転落と同時期だったこともあって、当時の週刊誌には「(錦川の)対岸にはバス1日100本、こちらは1日6往復」「その先は完成するのか」などと、別の意味で注目を集めことに。そのため当初から建設費用の削減が行われ、列車の交換(行き違い)設備もほとんどなく、駅舎も設備も極めて簡素なものでした。もし全線が開業していたとしても、幹線鉄道の役割を果たしていたかどうかは疑問です。
島根県西部への移動は、現在では高速バス&空路
そして現在、益田から六日市を経由して広島方面へ向かう“陰陽連絡”の役割は、高速バス「広益線(清流ライン高津川号)」に引き継がれています。このバスは山陽側の終着点を岩国ではなく広島に設定したこともあり、岩日線に沿って運行していたバスは大半の区間が廃止となっています。
また山陽新幹線 新岩国駅の近くに岩日線の駅(御庄駅。現在の「清流新岩国駅」)があったことから、新幹線との接続による首都圏・近畿圏との連絡を期待する声もありました。しかし当の御庄駅の設備が「新幹線の最寄り駅」としては程遠い機能しか持っておらず、いまだ新幹線駅とは別扱いのままです。
石見空港。通称は「萩・石見空港」(宮武和多哉撮影)。
一方、1993(平成5)年には益田市郊外に「石見空港」が開港。発着便は1日2本と少ないものの、現在では益田市と首都圏(羽田空港)、近畿圏(伊丹空港。シーズン限定)は空路で直接つながっています。
なお石見空港は、空いた土地で養蜂業を営む国内唯一の空港としてその名を知られ、売店で販売されている「石見空港はちみつ」はすぐに品切れになるほどの人気。空路で益田入りしたなら、岩日線の名残を見にいく前に、はちみつがたっぷりかかった「ホットケーキセット〜空港はちみつ添え」をいただくのも良いでしょう。