南武線が全通した日 浅野財閥が生んだ″超過密路線″ -1929.12.11
93年前の1929年12月11日、川崎と立川をむすぶ南武線が全通を迎えました。
川崎直結新線には財閥の思惑も
南武線で使用されていた205系電車(画像:Yamaguchi Yoshiaki)。
今から93年前の1929(昭和4)年12月11日、南武鉄道の分倍河原〜立川間が開業し、現在の南武線が全通を迎えました。
最初の開業は約3年前、川崎から登戸までで、船に代わって多摩川の砂利を運ぶのが主目的でした。宿河原駅から川のほうへ伸びる妙なカーブの路地は、かつての貨物線の跡です。登戸では短絡線を通じて小田急の貨物列車も乗り入れていました。
南武鉄道は1921(大正10)年に川崎で地元有志により発足し、鉄道建設に向けて準備を開始。2年後に浅野財閥が会社を吸収し、開通へ大きく進展します。川崎の臨海部で埋立と工場進出を続けていた浅野財閥は、現在の五日市線や青梅線沿線で石灰石を採掘し、中央線経由で川崎まで運んでいました。南武線は、そうした採掘現場から川崎までの最短ルートとなる意味もあったのです。
開通後は沿線の宅地化と工場開発がすすみ、あっという間に旅客の輸送力が追い付かなくなり、順次複線化に着手することとなります。戦争末期に国鉄の傘下に入り、複線化が完了したのは1960年代後半でした。
平成に入ると一部で高架化が果たされ、現在も連続立体交差事業が進行・構想されています。依然6両編成で運転される南武線。1編成当たりの車両数を増やせないのは、駅の前後に踏切があってホームを延伸できないことが主な理由のひとつであり、混雑の抜本的解決にはほど遠い状況となっています。