世界三大タイヤメーカーのひとつである米グッドイヤーは過去、戦闘機を開発したことがあります。初飛行し、高性能だったのに大量生産されなかったそう。ただ、その経緯を見るとアメリカが持つ国としての底力を垣間見ることができました。

史上最多の艦上戦闘機「コルセア」なぜそんなに造れた?

 第2次世界大戦中、アメリカ海軍は多種多様な航空機を開発・運用しましたが、空母に発着艦可能な艦上戦闘機のなかで最多の生産数を誇るのが、ヴォートF4U「コルセア」戦闘機です。

 同機は1万2500機以上が生産され、大戦後も多用された傑作機ですが、大戦末期には3000馬力級の高出力エンジンを搭載し、さらに性能を向上させた改良発展型、通称「スーパーコルセア」が計画されていました。しかも開発は生みの親のヴォート社ではなくタイヤメーカーのグッドイヤー社です。

 一見すると航空機など開発したことのないようなタイヤメーカーが生み出した「スーパーコルセア」の誕生と、なぜ計画倒れで終わったのか、その経緯を見てみましょう。


グッドイヤーが開発したF2G「スーパーコルセア」(画像:アメリカ海軍)。

 F4U「コルセア」の最大の特徴は、主翼が左右とも下側へ向け湾曲した形状をしている点です。いわゆる「逆ガル型」といわれるこの主翼形状を備えた艦上戦闘機は「コルセア」シリーズしかなく、グラマン社が開発したF6F「ヘルキャット」とともに、第2次世界大戦の中盤以降、アメリカ海軍および海兵隊の主力戦闘機として運用されました。

 なぜF6F「ヘルキャット」よりもF4U「コルセア」の方が生産数で上回ったのか、それは前者がグラマン社のみでの生産だったのに対し、後者は開発元のヴォート社以外のメーカーも生産に携わったからです。

 要は、開発したヴォート社だけでは軍のニーズを満たす量を供給できない恐れがあったことから、ブリュースター社とグッドイヤー社でも生産されたのです。ただ、前者はF2A「バッファロー」艦上戦闘機などを開発した生粋の航空機メーカーですが、後者はタイヤを始めとしたゴム製品のメーカーだったはず。航空機とゴム製品では、まるで畑違いです。

「ス―パーコルセア」開発なぜグッドイヤーに依頼?

 一見すると航空機生産など行えなさそうに思えるグッドイヤーがF4U「コルセア」の生産を担うことができたのは、同社が飛行船の開発や運用にかかわっており、そのための航空機部門を持っていたからでした。


ヴォートF4U「コルセア」。同機のライセンス生産をグッドイヤーは担っていた(画像:アメリカ海軍)。

 こうして、F4U「コルセア」戦闘機の生産を行うようになったグッドイヤーですが、1944年初頭にアメリカ海軍から、より高性能な「コルセア」の開発を依頼されます。なぜ同機の生みの親であるヴォート社に依頼するのではなく、それ以外のメーカーだったのかというと、本家ヴォート社は、オリジナル「コルセア」の生産で手一杯だったからです。

 そこでブリュースター社とグッドイヤー社のどちらに開発を発注するかアメリカ海軍は天秤にかけます。すると、前者が生産した「コルセア」には不良個所が多発するという技術的な問題があり、加えて金銭にまつわる不正行為などから会社はガタガタでとても新機種の開発を依頼できる状況にはありませんでした(1944年10月に会社閉鎖の決定、1946年に倒産)。このような状況だったため、改良型「コルセア」の発注先にはグッドイヤーが選ばれました。

 こうして生まれたのがグッドイヤーF2G「スーパーコルセア」です。同機がオリジナルのF4U「コルセア」と決定的に異なる点は、プラット・アンド・ホイットニー製のR-4360ワスプ・メジャーという、空冷星型28気筒で3000馬力を発生する「怪物エンジン」を搭載した点です。加えて、視界をより広げるために、コックピット周りを改め、後方に支柱やヘッドレストなどがある従来のファストバック型風防から、全周にわたって視界がクリアな水滴型風防に変更していました。

「スーパーコルセア」の大量生産なぜ消えた?

 F2G「スーパーコルセア」は1945年7月15日に初飛行します。約5000mという中高度域で、約700km/hの最高速度を叩き出し、抜群の視界を備えていたため、同機はすぐさま制式化され、量産型の本格生産も始められる手筈が整えられました。しかし、高性能っぷりを見せつけたF2Gが量産されることはありませんでした。

 というのも、初飛行の1か月後に大戦が終結したからです。その結果、F2G「スーパーコルセア」の本格生産は一転して中止となり、部分実験機や試作機を除く量産型は、わずか10機が生産されただけ留まりました。


グッドイヤーF2G「スーパーコルセア」の飛行シーン(画像:アメリカ海軍)。

 とはいえ、見方を変えるとグッドイヤーはF4U「コルセア」を約4000機も生産しています。これは同機の総生産数1万2500機あまりのうち、3分の1を占める数です。なお、大戦中の日本軍戦闘機で第3位の生産数なのが中島飛行機(現SUBARU)の四式戦闘機「疾風」で約3500機。これよりも多い機数を航空機メーカーではないグッドイヤーが生産しました。

 加えて、同社は前述したような大幅な改修でもはや別機ともいえるほどの高性能機「スーパーコルセア」の開発まで行っていたのです。とうぜん本業の方で軍用車両や航空機のタイヤを生産しながら、こうしたことを行っていたわけであり、このような大量生産能力と技術開発力こそ「デモクラシーの兵器工場」を自負する「マスプロ大国」アメリカのすごさを物語る一片といえるのではないでしょうか。