山手貨物線にSLが走っていた頃、渋谷〜原宿付近は「乗務員泣かせ」の難所でした。やや上り勾配となり、推進力を得るために石炭を多量にくべなくてはなりませんが、それが禁止されていたからでした。

原宿駅の代々木寄りにあるものは

 JR山手線に乗って渋谷から次の原宿に向かうと、線路は緩い上り坂を進み、左手には明治神宮の森が迫ってきます。この付近は太平洋戦争中、貨物列車を牽引する蒸気機関車の乗務員(運転する機関士と石炭をくべる機関助士)にとっての超難所、「乗務員泣かせ」と言われた区間でした。蒸気機関車の煙突から、絶対に黒煙を出してはならない「無煙区間・無投炭区間」とされていたためです。


原宿駅の宮廷ホーム(2019年12月、内田宗治撮影)。

 蒸気機関車は、発車して加速する時や上り勾配を進む時など牽引力を高めるため、機関助士が火室に多量の石炭をくべる(投炭する)必要があります。そのためにショベルで投炭を繰り返します。通常ならこの区間で機関車は、ドラフト音も高らかに盛大に煙を吐いて走行するはずです。ところが投炭してはならないというのです。

 この区間の勾配は最大でも10パーミル(水平で1000m進んだ時に10mの高さを上る)程度であり、20パーミルを超えるようないわゆる急勾配ではありません。しかし1954(昭和29)年に山手貨物線が電化されるまで、D51形蒸気機関車が約1000トン(当時の有蓋貨車で約40両)の貨車を牽引していました。山手貨物線とは現在、山手線と並んで湘南新宿ラインや埼京線電車が頻繁に走る線路です。緩やかな勾配でも、D51にとっては牽引定数いっぱい、速度は約20km/hにまで落ちての力行運転区間でした。

 この付近が無煙区間とされた理由――それは原宿駅に、天皇陛下が行幸時に利用される通称「宮廷ホーム(皇室専用ホーム)」があるためでした。神様である天皇の専用ホームを煙で汚してはならないというわけです。現在も山手線の原宿駅ホームから約200m離れた代々木寄りに、草むしたレールと上屋付きホームが見えます。正式には原宿駅側部乗降場と名付けられています。

D51の機関士は語る

 ちなみに、このためにとばっちりを受けていたのが、渋谷駅です。D51の機関士として同区間に乗務していた向坂唯雄(こうさかただお)は、自著『機関車に憑かれた四十年』(草思社)で次のように述べています。

「私たち山手線の缶焚(かまたき/編注:蒸気機関車の乗務員)は、恵比寿駅を通過する頃から準備をはじめ、渋谷駅でせっせとD51形機関車の缶に三菱練炭(編注:良質の石炭)を投げ込んだ。(中略)渋谷駅の電車ホームの横を走る頃には、もくもくとものすごい量の黒煙が出る」


JR山手線の渋谷〜原宿間。この付近が蒸気機関車時代、無煙区間だった(2022年11月、内田宗治撮影)。

 原宿付近の無煙区間の手前で、いわばエネルギーをチャージするために石炭をたくさんくべておくので、渋谷駅のホームで電車を待っている乗客は、風向きによっては機関車の煙をもろに浴びてしまい迷惑していたわけです。

 原宿駅の宮廷ホームは、病状が悪化した大正天皇が乗降するため、1925(大正14)年に建設されました。東京駅での乗降では衰弱した様子が人目につくので、周辺が閑散としていた同地につくられたのです。もともとは変電所への側線が設けられていた場所で、明治神宮を造営する際には、全国から貨車で送られてくる樹木などを留置する場所でもありました。

 1926(大正15)年8月、大正天皇は初めてこのホームを利用して葉山御用邸のある逗子へと向かいますが、同年12月同地で崩御。大正天皇がこのホームへ元気に降り立つことはありませんでした。

最後に宮廷ホームを使われたのはいつ?

 昭和天皇は、お召列車で全国を回る際や御用邸への往復に、この原宿駅宮廷ホームを数多く利用されています。戦前の例では、お召列車が東北本線、高崎線、中央本線へと向かう際は原宿駅を、東海道本線、常磐線へと向かう際は東京駅を発着。常磐線利用の場合に東京駅発着としたのは、原宿駅発着だと山手貨物線経由となり田端操車場でスイッチバックする必要が生じてしまい、それを敬遠したためと思われます。戦後では、葉山御用邸へ向かうための横須賀線利用の際は原宿駅発着となっています。


山手線の原宿駅ホームから望む宮廷ホーム。2020年頃からホーム周辺にフェンスが設置された(2022年11月、内田宗治撮影)。

 昭和天皇は特に昭和30年代後半以降、原宿駅の発着が多くなり、1961(昭和36)年から1986(昭和61)年までは毎年10回以上、最も多い1981(昭和56)年では20回も利用されています。この時代に山手線の原宿〜代々木間を頻繁に利用していた方なら、天皇が乗降する場面ではなくても宮廷ホームや周辺線路に警備員が数名立ち、発着の準備をしているのを車窓から見たことがあるのではないでしょうか。

 昭和天皇は崩御前年の1988(昭和63)年まで、宮廷ホーム発着のお召列車に乗車されています。しかしその後ホームは2001(平成13)年を最後に利用されていません。現在はホーム前の線路に背の高い草木が生え、上屋のペンキも一部がはげたままで、やや荒れた印象も受けます。

 こうした様子を見ると、もし今後も利用されないのなら、同地に一般の方が見学できその歴史を知ることができる「お召列車記念館」のようなものができればと、僭越ながら思えてしまいます。