日本代表にとって散々な結果に終わったドイツW杯直後に電撃引退を表明した中田英寿氏だが、NAKATAの名はカルチョの歴史にも刻まれている。イタリアが誇る名門ユベントス(ユーベ)での活躍がNAKATAの名を確固たるものにしたのは周知の事実。しかし単に名門相手の活躍という範疇でくくれるほど、またそれだけで名が残せるほどカルチョの歴史は浅くない。圧倒的な実力、全国的人気によるサポーターの後押し、各分野で活躍する大物OBの存在に加え、当時からユーベ贔屓の判定が噂された。イタリアというお国柄、そこまでの立場まで成長したからこそユーベはユーベであり、称賛に値するクラブとともにカルチョの誇りでもあった。

対戦相手にとってホームでさえアウェイの状況にもなり得るユーベ戦。デビュー戦2得点、ASローマにスクデットをもたらした弾丸ミドル・・・。イタリアの誇りであるユーベ相手に、サッカー後進国からやって来た一人のジョカトーレ・ジャポネーゼ(日本人選手)が孤軍奮闘した姿は多くのイタリア人に衝撃を与えた。ペルージャ、ASローマ、パルマ、ボローニャ、フィオレンティーナと渡り歩いたセリエA、メディア露出の高いユーベ相手に黙々と仕事をする侍獲得の狙いは「ユーベ・キラー」であって、もはや「ジャパンマネー」ではなかった。20億円(ASローマ)、30億円(パルマ)と推測される移籍金がジャパンマネーだけで取り戻す事は容易ではない。優勝に向け背水の陣で挑んだ00−01のユーベ戦(第2戦)、相手リードで試合が進む中、集中力を欠いたMFタッキナルディの一瞬の隙を逃さずボールを奪い、ドリブル突破から躊躇する事なく放った豪快ミドル弾。ASローマ優勝で幕を閉じた00−01季、ワンマンで知られるセンシ会長をして「あの一発だけ考えても良い買い物だった」と言わしめた納得の補強劇でもあった。

「ユーベ相手に挑む弱小クラブ」と「W杯に挑む日本代表」。誤解を恐れずに言えば、W杯の舞台に上がる事さえ容易ではない日本代表とセリエA昇格に一喜一憂する弱小クラブの姿が重なって映る。強豪相手に“埋まらない実力差”を誰よりも痛感していたのはNAKATAであり、強豪相手に立ち向かう術を誰よりも知っていたのがNAKATAだったのではないか。ゴール後のパフォーマンスに乏しいと言われた彼だが、雌雄を決する大一番での一発後には常に派手なガッツポーズをしていた事を忘れてはならない。真剣勝負と親善試合の違いを誰よりも理解していたのだろう。

パルマ移籍直後に接する機会があった。練習後のロッカールーム内で流暢なイタリア語で新しい仲間達とコミュニケーションをとっていたNAKATA。初めて「プロ」を目の当たりにした時の衝撃、ウォールフラワーとなっていた自分に対し、明るく話を振ってくれた彼の姿が今でも脳裏に浮ぶ。電撃引退から約一ヶ月。日本代表の強化を心から願ったメッセージは届いているのだろうか?奇麗事だけでW杯に勝てるほど甘くない現実を熟知しているイタリアで、NAKATAを称賛するイタリア人は多い。