「食料自給」はどれほど重要な概念なのか。元農水官僚で、東京大学大学院の鈴木宣弘教授は「2008年の食料危機では、コメを主食とする中米ハイチで餓死者が出るほど深刻な被害が出た。これはアメリカの主導する貿易自由化によって起きた『人災』だった」という――。(第2回)

※本稿は、鈴木宣弘『食の戦争』(文春新書)の一部を再編集したものです。

写真=AFP/時事通信フォト
2010年1月17日、ハイチの首都ポルトープランスで、食料を配給する国連部隊に押し寄せる群衆(ハイチ・ポルトープランス) - 写真=AFP/時事通信フォト

■日本人が忘れている「2008年世界食料危機」の教訓

世界的には「食料は軍事・エネルギーと並ぶ国家存立の三本柱だ」と言われているが、日本では、戦略物資としての食料の認識もまた薄いと言わざるをえない。

食料など経済力でいくらでも買えるものだと思っていて、市場にはいつも新鮮な農産物があるのが当然だと思っている。

だから、食料政策や農業政策の話になると、「農業保護が多すぎるのではないか」といった論点ばかりで、「安全でおいしい食料をどうやって確保していくのか。そのために生産農家の方々とどう向き合っていくのか」という議論にはなりにくい。

しかし、その認識の薄さは大きな危険性をはらんでいる。

2008年に深刻化した世界食料危機を思い出してみてほしい。

何が食料危機をもたらしたのか。

需要の増加と供給の減少による需給の逼迫が引き金になったことは確かだが、むしろ需給原因では説明できない「バブル」(需給実態から説明できない価格高騰)の要因が大きかったことを深刻に受け止めなければならない。

というのも、世界的にはコメの在庫が十分あったにもかかわらず、お金を出してもコメを手に入れられないという事態が起きたからである。

高騰した小麦やトウモロコシからの代替需要で、コメ価格が上昇するのを懸念したコメの生産輸出国が、コメの輸出規制を行った。

その結果、トウモロコシを主食とするエルサルバドルが食料危機に陥ったのはもちろん、コメを主食とする中米のハイチ、フィリピンでは、お金を出してもコメが買えなくなり、ハイチなどでは死者が出る事態となったのである。

■アメリカに嘲笑される日本の食料戦略

なぜそうなったのかと言えば、アメリカの食料戦略のもと、主要穀物をアメリカからの輸入に依存する状況ができあがっていたからである。

つまり、もともとはコメの有数の生産国でありながらコメの関税を極端に低くして輸入を促進したため、コメ生産が縮少してしまっていた。

さらに各国の輸出規制でいざという時にコメを輸入しようと思っても、対応できなかったのである。

このように、アメリカが他国の関税を削減させてきたことによって穀物を輸入する国が世界的に増えている。

つまり、2008年の危機は、干ばつによる不作の影響というよりも、アメリカの食料戦略による「人災」の側面が強かったのである。

写真=iStock.com/John Kevin
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/John Kevin

日本もいずれ、こうした事態が他人事ではなくなるという基本認識がまず必要であろう。

ブッシュ元大統領も、農業関係者への演説では日本を皮肉るような話をよくしていた。

「食料自給はナショナル・セキュリティ(国家安全保障)の問題だ。皆さんのおかげでそれが常に保たれているアメリカはなんとありがたいことか。それにひきかえ、(どこの国のことかわかると思うけれども)食料自給できない国を想像できるか。それは国際的圧力と危険にさらされている国だ」といった具合である。

「そのようにしたのも我々だが、もっともっと徹底しよう」

といったトーンが一貫して感じられる。

ただし、括弧内は筆者が付け加えたものであるので留意されたい。

■関税を削減し輸入を増やした国が危ない

2008年の食料危機には、アメリカが創り出した「人災」の側面がある、ということは先ほども述べたとおりである。

高騰した穀物価格のうち、需給要因で説明できるのは半分程度にすぎず、残りの半分は投機マネーの流入や輸出規制による「バブル」によるものだった。

図表1で検証しておこう。これは、トウモロコシの国際価格と在庫率との関係を示したものだが、需給が逼迫すると在庫が取り崩されるので、需給逼迫や緩和の度合いは、在庫率の増減で簡単に測ることができる。

出所=『食の戦争』

需給逼迫時は在庫率が低下するので、在庫率が低い時には価格が上がるという形で、在庫率と価格との間には右下がりの相関関係があることが見てとれる。

しかし、2008年については、従来の相関関係を示すラインよりも大きく上方に飛び出していることがわかる。

つまり、従来のパターンでは説明できないほど激しい価格上昇が生じたということである。

これは、需給関係だけでは説明できない他の要因が、価格に対して大きな影響を持ったことを示している。

ここで次に、「異常性」の程度について、具体的に分析した例を示す。

国際トウモロコシ需給モデル(高木英彰氏構築)によるシミュレーション分析では、2008年6月時点のトウモロコシ価格は本来なら価格が1ブッシェル(15万粒)当たり約3ドルまで上昇するほどの逼迫レベルだったと推定された。

ところが、実際にはその2倍の6ドルに跳ね上がっていた。

つまり、残りの3ドルについては、需給以外の要因によって暴騰が生じたと考えられる。

同様の価格の「異常性」は、トウモロコシだけでなく、コメ、小麦、大豆についても観察された。

特にコメについては、世界全体としては、在庫水準は前年よりも改善しているくらいだった。

にもかかわらず、コメ価格が高騰したのは、他の穀物が高騰している中で、コメの需要が増えるとの懸念から市場が混乱したことが大きな要因である。

各国ともまず自国の在庫確保を優先するために、輸出規制をするという食料の囲い込みに踏み切らざるをえなくなった。

つまり、「高くて買えないどころか、お金を出しても買えない」事態が起こっていた。

本来はコメの有数の生産国でありながら関税削減を進めて輸入を促進したためにコメ生産が縮小してしまっていた途上国(ハイチ、フィリピンなど)では、主食が手に入らなくなり、死者を出すような暴動が起きたのである。

■「バイオ燃料」により穀物価格をつり上げる

一般に挙げられている食料需給の逼迫要因については冷静に見ておくべき側面も多く、世界的な食料需給が一方的に逼迫を強めるとは考えにくい。

つまり、需給が逼迫するからといって一方的に穀物価格が上がり続けるという悲観的な見方をする必要はない。価格が上昇と下落を繰り返しながら需給を調整していくのが市場である。

では何が問題かといえば、ひとたび需給要因にショックが加わった時に、その影響が「バブル」によって増幅されやすい市場構造になっているということだ。

その根本にあるのはつまり、アメリカの世界食料戦略である。

というのも、アメリカが農産物の自由貿易を推進し、諸外国に関税を下げさせてきたことによって、今では穀物生産を自国でまかなえず、穀物を輸入に頼る国が増えてきたという構造的問題があるからである。

一方、アメリカには、トウモロコシなどの穀物農家の手取りを確保しつつ世界に安く輸出するための手厚い差額補塡(ほてん)制度がある。

しかし、その財政負担が苦しくなってきたので、何か穀物価格高騰につなげられるキッカケはないかと材料を探していた。

そうした中、国際的なテロ事件や原油高騰が相次いだのを受け、アメリカは原油の中東依存を低め、エネルギー自給率を向上させる必要があるとの大義名分を掲げ、トウモロコシをはじめとするバイオ燃料推進政策を開始したのである。

その結果、見事に穀物価格のつり上げを成功させた。

トウモロコシの価格の高騰で、日本の畜産も非常に厳しい状況に追い込まれたが、トウモロコシを主食とするメキシコなどでは、暴動なども起こる非常事態となった。

メキシコでは、NAFTA(北米自由貿易協定)によってトウモロコシ関税を撤廃したのでアメリカからの輸入が増大し、国内生産が激減してしまっていたところ、価格暴騰が起きて買えなくなってしまったのである。

また、ハイチでは、IMF(国際通貨基金)の融資条件として、1995年に、アメリカからコメ関税の3%までの引き下げを約束させられた(Kicking Down the Door)。

そうしてコメ生産が大幅に減少し、コメ輸入に頼る構造になっていたところに、2008年の各国のコメ輸出規制でコメが足りなくなり、死者まで出ることになったのである。

まさにアメリカの勝手な都合で世界の人々の命が振り回されたと言っても過言ではない。

■無防備な日本は狙い撃ちにされる

アメリカは、いわば、「安く売ってあげるから非効率な農業はやめたほうがよい」と諸外国にアメリカ流の戦略を説くことで、世界の農産物貿易自由化を進めてきた。

それによって、基礎食料であるコメ、小麦、トウモロコシなどの生産国が世界的に減り、アメリカなどの少数国に依存する市場構造になった。

貿易自由化とは、比較優位への特化(競争力が高い分野に生産・輸出を集中させる)を進めることであり、輸出国が少数化していくことに他ならない。

そうして輸出する国の数が減って独占度が高まれば高まるほど、ちょっとした需給変化にも価格が上がりやすくなり、高値期待から投機マネーも入りやすくなる。

また、不安心理から輸出規制が起きやすくなり、価格高騰が増幅される。

そうした市場構造の帰結が危機を大きくしたのである。

鈴木宣弘『食の戦争』(文春新書)

つまり、アメリカの世界食料戦略の結果として2008年の食料危機は発生し、増幅されたという「人災」の側面を見逃してはならない。

アメリカの食料戦略の一番の標的は、日本だとも言われてきた。

アメリカのウィスコンシン大学の教授は、農家の子弟向けの授業で「君たちはアメリカの威信を担っている。アメリカの農産物は政治上の武器だ。だから安くて品質のよいものをたくさんつくりなさい。それが世界をコントロールする道具になる。たとえば東の海の上に浮かんだ小さな国はよく動く。でも、勝手に動かれては不都合だから、その行き先をフィード(feed)で引っ張れ」と言ったと紹介されている(大江正章『農業という仕事』岩波ジュニア新書、2001年)。

これがアメリカにとっての食料政策の立ち位置なのだということを我々は認識しなくてはならない。

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鈴木 宣弘(すずき・のぶひろ)
東京大学大学院農学生命科学研究科教授
1958年三重県生まれ。82年東京大学農学部卒業。農林水産省、九州大学大学院教授を経て2006年より現職。FTA 産官学共同研究会委員、食料・農業・農村政策審議会委員、財務省関税・外国為替等審議会委員、経済産業省産業構造審議会委員、コーネル大学客員教授などを歴任。おもな著書に『農業消滅』(平凡社新書)、『食の戦争』(文春新書)、『悪夢の食卓』(KADOKAWA)、『農業経済学 第5版』(共著、岩波書店)などがある。
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(東京大学大学院農学生命科学研究科教授 鈴木 宣弘)