※この記事は2021年08月30日にBLOGOSで公開されたものです

SNSで広がった、「反ワクチン」の奇説・珍説

SNSなどで「反ワクチン」とされる人びとが散見される。根拠不明な説をさまざまに唱えてワクチンの有害性を主張しているかれらだが、なかでも一時期とくに目についたのが「ワクチン接種によって5Gに接続される」という、いわゆる「5G説」である。

この「5G説」は、「新型コロナワクチンを接種すると5GやBluetoothに接続され(影の世界政府によって自身の生命維持を恣意的に操作され)てしまう」とする説のことであり「反ワクチン」派の人びと間でいつのまにか信ぴょう性の高い筋書きとして拡散していった。

傍からみればあまりに奇異であるように見えるため、SNSのごく一部の界隈でのみ局所的に流通している怪文書であり、多くの人は相手にもしていないと思われるかもしれない。だが実際はそうではない。この説をテーマにした書籍などもすでに出版されている。

そうした書籍の読者からのレビューを見てみるとも「勉強になった」「真実を知ることができた」といった感動や賞賛の声が相次いでいる。個人的には驚きではあるが、しかしながらこの「5G説」は「反ワクチン」系の言説を支持する人にとっては「ワクチン接種を断乎として拒否するべき十分な理由」のひとつなのである。

「世界を支配する闇の真実に目覚めた!」と感嘆する彼らは、けっして冷やかしでそんなことを言っているわけではなく、嘘偽りなく、まぎれもない本心の本心で賛同しているのだ。「反ワクチン」はネットの世迷言として片づけられるものではなく、すでに大きなマーケットを形成したひとつの「言論圏」にまで規模を拡大しているという認識を持たなければならない。

実際、新型コロナワクチンにかんする誤情報を拡散させようと暗躍するマーケティング会社の存在が確認されているほか、「反ワクチン」の主要なオピニオンリーダー十数名は40億円規模の収益をあげており、すでに一定の経済圏を獲得した「産業」になろうとしている。

「大喜利」のネタとして消費される反ワクチン

「5G説」を筆頭とする「反ワクチン」系の論説はその内容があまりに奇異であったことは否めなかったため、「反ワクチン」をとくに支持しているわけでもない一般の人びとにとっては「面白おかしい」話として受け止められることは不可避だった。とりわけSNSで、「反ワクチン」系の説は「大喜利」的なネタとして消費されていった。たとえばツイッターの検索機能で「5G ワクチン」と入力して実行すれば、「反ワクチン」系の人びとの主張とならび「5Gワクチン説をネタにしたバズツイート」がヒットする。

「まだ生体通信機能を注入されていないの?」
「ワクチン接種のたび『自分もこれで5Gに接続できますね』と言われる医者の身にもなってくれ」

と、「反ワクチン」派の言説を茶化しながら否定する流れが大きなトレンドとなっていった。5Gにかぎらず「ワクチン《解毒》のために硬貨を足のツボに貼ろう!」といった反ワクチン派の呼びかけなども紹介され、そのたびにオーディエンスは面白がっていた。

正直なところ、これら「反ワクチン大喜利」のテクストはユーモアと皮肉が巧みに織り交ぜられ、たしかに笑える内容のものが多い。私自身も思わず吹き出してしまったことが何度かある。数千、数万単位のバズを獲得するのも納得できる。

「ネタ化」を「説得の手段」として見たとき

しかしながら、これを「反ワクチン派の人びとを《説得》し、新型コロナウイルスに対する集団免疫を達成するための方略」として考えた場合、「反ワクチン派の説をネタとして茶化し否定していく」のは、あまり好ましい方法論とは言い難い。

というのも、SNSのコミュニケーションにおいて、特定の主張をする人の言説の誤りを「茶化し」を含みながら嘲笑的に指摘するのは、その人に自説の誤りを認めて改めさせる説得的な効果はほとんどないどころか、むしろ往々にして逆効果であるからだ。

残念なことに「茶化しを含んだ批判・否定」の言説はもっぱら「すでに反ワクチン系の言説を否定的に見ている人」にしか肯定的に響かない。したがって「身内」との結束や共感や連帯を高める役割を果たせるかもしれないが、しかし対立する「反ワクチン」の側の人びととの不和や分断はますます広がってしまう。

たとえ多くの人からは荒唐無稽で論ずるに値しない珍説であろうが、これを信じる人としてはこれまでずっと大事にしてきた価値観や思想を「嘲笑まじりに」否定する人びとの方が、論理的にも社会的にも「ただしい」と認めることは――よしんば科学的に正確であると理解・納得できたとしても――感情的に折り合いがつけられなくなってしまう。

2010年代後半から「ファクトチェック」というタームが世界的にも大きな流行となった。SNSによって伝播する、いわゆる「フェイクニュース」の拡散を食い止めるために、報道機関や専門家が先頭に立って行ってきたムーブメントである。しかしながら、世界各国で行われてきた「ファクトチェック」ムーブメントの果てには、「フェイクが駆逐されファクトが大衆社会に信じられ支持される理想的な世界」はやってこなかった。

「フェイクニュース」に関して、このたび興味深い研究結果が示された。

なんとフェイクニュースを拡散する人に対して、正論を突きつけることは、かえってその人物のツイートの質が低下し、偏りや有害性が強まるというのだ。

「エクセター大学」のMohsen Mosleh氏が率いるチームは、研究において、あるフェイクニュース11件を拡散しているTwitterユーザー約2000人を特定。

そして、用意したフェイクニュース訂正用アカウントから、ファクトチェックサイト「Snopes.com」のURLを貼り付けて、そのニュースが虚偽のものであるとリプライしたのだとか。

その後、内容を訂正されたユーザーのツイートを追跡し、分析をおこなうと、彼らの新たなリツイートの精度がさらに悪化。また、使用する言葉も、より過激な内容になる傾向がみられたという。

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TABI LABO『【研究結果】Twitterでのフェイクニュースに対する「正しい指摘」は逆効果?』(2021年6月2日)より引用
https://tabi-labo.com/300605/wt-twitter-fakenews-correcting-matters-worse

「フェイク」が駆逐された理想的世界はやってこなかったばかりか、むしろ両者の対立はより一層深くなっていった。2020年末のアメリカ大統領選で見られたように、すでに両陣営は相容れることない敵対関係となっていたことだけが可視化されたのだった。

そもそも、SNSで説得などできない?

誤情報を主張する個人に対する「ファクトチェック」的なアプローチが望ましい成果を挙げないばかりか、そもそもSNS上で「本人とは異なる立場の意見」を見せることには説得的な効果が乏しく、かえって既存の自説に対して凝り固まるリスクがあることは、2018年の研究でもすでに指摘されていた。SNS上で「議論」を尽くしたとしても、相手を説得したり考えを改めさせたりすることはできないのである。

人はSNSで自分の政治的な立場に近い意見ばかりを読みがちで、異なる立場の意見を継続的に目にすると、それを受け入れるのではなく、かえって自分の立場に凝り固まるという研究結果がアメリカで発表されました。

アメリカのデューク大学などの研究グループは、SNSで自分の政治的な立場に近い意見しか読まない人が多いことに注目し、1600人余りを対象に、ツイッターで立場が異なる人の意見に目を通す実験の結果を、28日、科学雑誌「アメリカ科学アカデミー紀要」に発表しました。

それによりますと、実験では、保守的な共和党支持者たちとリベラルな民主党支持者たちに、ツイッターで、それぞれ反対側の政治家などの書き込みを1か月にわたって毎日読んでもらいました。

そのうえで政治的な傾向に変化があったかを調べたところ、双方とも、反対の立場を受け入れる傾向は見られず、とくに共和党支持者たちはかえって自分の意見に凝り固まる傾向が見られたということです。

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NHKニュース『SNSで異なる立場の意見は逆効果 米研究G発表』(2018年8月29日)より引用
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180829/k10011598371000.html

SNSで「反ワクチン論」に染まり切った人にいくら言葉を尽くしても、ひとりを説得することは極めて困難であるどころか、結果的に相手の態度をより頑迷に硬化させ、さらに先鋭化した「反ワクチン思想」の深みへと後押しすることにすらなってしまうのだ。

そしてさらに先鋭化した「反ワクチン思想」がまた多くの人の物笑いの種になり、大喜利・茶化しのネタとして消費され、嗤われた側の人びとはますます態度を硬化させていく――この悪循環のループは、パンデミックの発生以降すでにかなりの周回を重ねている。しかしこの問題点は「面白い」「バズる」「ただしい」からこそ見過ごされてきた。

怪しげな陰謀説を無批判に信じてしまう人には、社会的な孤立感や不安感がその背景にある。あるいは適切な情報を与えてくれるような知識や人間関係の乏しさの結果として、ピーキーな珍説にたどり着いてしまう人もいる。

現状の「反ワクチン系言説の茶化しを含んだ否定」は、かれらの主張の科学的根拠のなさや危険性を諧謔的に一般の人びとに周知することには一定の貢献がある。しかし同時に、科学的思考力の低い人、無知な人、孤立している人、精神的な不安感を強く感じている人などを間接的に嘲笑してより頑迷にさせ、かれらをさらに「深み」に嵌らせる側面を含んだコンテンツとなってしまってはいる。

深淵を覗き込むとき、心せよ

先述してきたように「反ワクチン批判/否定/茶化し」系の言説は、新型コロナワクチンをすでに支持している人びとの側には共感的・支持的に受け入れられるが、しかし「反ワクチン」思想に依拠している人びとには説得的ではなく、むしろ強い反発をもたらしうる。

かれら「反ワクチン派」は、自分たちが連日にわたってSNSで嘲笑されていることくらい(連日大量のリプライを受けているのだから当たり前だが)すでに承知している。そのような状況下で「そうか、私は愚かな説を信奉していたからみんなに嘲笑われていたのか。考えを改めなければ」と考え直す人がいったいどれくらいいるだろうか。

もしかれらを「説得」したいのであれば、かれらがなぜそのような思想に傾倒していったのか、個々人の主観的な世界観に丁寧に耳を傾けていくしかない。かれらがなにを不安に感じ、なにを恐怖しているのか。その感情の背景や奥底には、なにがあるのか。それこそが、「反ワクチン」にかぎらず、カルト的な陰謀説に人びとが魅了される理由になっている。

十把一絡げに「愚昧な人びと」と片づけてしまえば、対話は成立せず、対話の先にある理解や説得も雲散霧消する。「反ワクチン茶化し」は、反ワクチンという説そのものの批判というより、反ワクチン的な言説を信じる人びとの動機――不安や孤立感――を嘲笑うものになってしまっている。

「反ワクチン派」のコミュニティでは、根拠の乏しい陰謀説が流布され、それが次々に共鳴するエコーチェンバーのなかで人びとを先鋭化させていることはたしかだろう。しかし一方で、かれらを批判する側の人びとも、「反ワクチン大喜利」などで共感しあえる者同士の連帯を強めるエコーチェンバーのなかにいることはあまり注目されない。それこそ、「反ワクチン批判派」のなかには、「反ワクチン」に支持的・共感的な態度をとる人に対して攻撃的で排他的な言説をとためらいなくぶつける人も現れている。

これはSNSの世界で、トランプ大統領を支持していた「オルタナ右翼」とされた人びとが政治的に先鋭化して「Qアノン」といった陰謀説に回収されていった一方、かれらを激しく批判していたリベラル派の人びとも同じように加速して、直接の暴力も厭わない運動を展開する「Antifa」などに発展していった光景と相似形である。

深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいている。