歴史は復讐する カナダ先住民の標的にされたエリザベス女王 英連邦王国の崩壊が始まった - 木村正人
※この記事は2021年07月07日にBLOGOSで公開されたものです
[ロンドン発]カナダで旧宗主国・イギリスの君主ビクトリア女王とエリザベス女王(2世)の像が先住民によって引き倒された。先住民の子供を家族から引き離し同化教育を強制したカナダの寄宿学校跡地から大量に子供たちの遺骨が見つかったのが発端だ。怒りの矛先は先住民の土地を植民地にした旧宗主国の君主に向けられている。
ボリス・ジョンソン英首相の報道官は「女王の像への破壊行為を非難する。先住民の子供たちの遺骨が大量に埋められていたのはとても悲しい出来事だ。私たちの思いはカナダの先住民社会とともにある。これらの問題を綿密に追跡調査し、先住民の問題についてカナダ政府と引き続き協力していく」と表明した。
引き倒された「英女王」
今年5月、カナダ・ブリティッシュコロンビア州の寄宿学校跡地で3歳児を含む未成年者215人の遺骨が見つかった。6月にはサスカチュワン州の寄宿学校の跡地で無名の墓751基が発見された。
先住民の「カルチャー・ジェノサイド(文化の大虐殺)」に対する恨みを晴らすようにブリティッシュコロンビア州の先住民コミュニティーにある2つのカトリック教会が燃やされ、アルバータ州では10の教会に赤い手形が押されるなどの破壊行為が行われた。先住民の子供たちを死なせた寄宿学校はカトリック教会によって運営されていたからだ。
カナダが自治を開始した建国記念日(カナダ・デー)の7月1日、マニトバ州の州都ウィニペグにある議会のビクトリア女王(在位1837~1901年)像にロープがかけられて引き倒され、先住民たちは歓声を上げた。像の頭部はもぎ取られ、川に放り込まれた。ビクトリア女王の像には「血」のような真っ赤なペンキがかけられ、台座には無数の赤い手形が押された。
Demonstrators toppled statues of Queen Victoria and Queen Elizabeth in Winnipeg this afternoon during rallies honouring the children discovered in unmarked graves on the sites of former residential schools over the past month. pic.twitter.com/Zx0aqPGcOW
- APTN News (@APTNNews) July 2, 2021
近くのエリザベス女王(在位1952年~)像にもロープがかけられ、ひっくり返された。
We also pulled down the Queen Elizabeth the 2nd statue for her crimes against Indigenous children of the 12 Indigenous children that went missing with her husband prince philip pic.twitter.com/0T5kbGFDnH
- Waabishkaa Ma'iingan Naakshig (@CrazyNative1492) July 2, 2021
ブリティッシュコロンビア州にある探検家の英海軍士官ジェームズ・クック(1728~1779年)像も壊されて港に投げ込まれた。台座には赤い手形が押され、クック像の代わりに殺害されたり行方不明になったりした先住民の女の子と女性を象徴する赤いドレスが置かれた。寄宿学校に関係する像への破壊行為は至る所で繰り広げられた。
先住民の権利を守る運動「アイドル・ノー・モア」の「寄宿学校跡地から1300体以上の子供の遺骨が見つかった。カナダ・デーをキャンセル(中止)しよう」という呼びかけに対して80以上の自治体が建国記念日の祝賀行事を中止した。
寄宿学校で無理やり生活させられた先住民の子供たち
「アイドル・ノー・モア」共同創設者シーラ・マクリーン氏は「盗まれた先住民の土地と生活をどうして祝うことができようか」と訴える。先住民には他の市民と比べて不釣り合いに多い出生警告が出され、警察にも不当に扱われる。現在も先住民の女性に強制不妊手術が行われていることがカナダ上院保健委員会の報告書で明らかにされている。
“制度化”された差別と虐待は綿々と継続している。カナダ先住民女性協会によると、先住民の少女や女性が殺害されたり、行方不明になったりする事件は今なお続く。1951年以降に被害(赤色は殺害、青色は行方不明、黄色は事故死や自殺)が報告された308件を記録したのが下のマップだ。
欧州からカナダへの渡航は16世紀に本格化した。17世紀以降、フランスとイギリスが争い、1763年にパリ平和条約でイギリスの支配権が確立した。1867年7月1日に英領北アメリカ法によりカナダ自治領が成立した。1874年に最初の寄宿学校が設置され、2年後には先住民と居住地に関するインディアン法が制定された。
植民地政策の一環として、先住民の子供たちに西洋の言語や文化を教えて同化させるため、無理やり家庭から引き離して寄宿学校で生活させた。学校では身体的・精神的・性的な虐待が横行し、トラウマを抱えて自殺する子供もいた。衛生環境は劣悪で食事も十分には与えられず、命を落としたりする子供たちも少なくなかった。
先住民の元生徒が元教員を相手に寄宿学校での虐待を法廷に訴え出たのは1988年になってからだ。最後の寄宿学校が閉校になったのはその8年後だ。寄宿学校は全部で130校以上が設置された。政府やキリスト教会を相手取った訴訟が相次ぎ、2000年、カナダ政府はインディアン寄宿学校問題解決省を設置、補償や支援に取り組んでいる。
寄宿学校のサバイバーの証言は凄惨を極める。「校長にひどく打たれた。個室に連れて行かれ、服を全部脱ぐように言われ、からだ中を30分近くムチで打たれた。からだ中がアザになり、ふくれ上がった。私は当時13歳だった。オジブウェー語(先住民の言葉)を話そうとした時も罰せられた。私たちは四六時中飢えていたが、罰として食事を与えられなかった」
2008年、スティーブン・ハーパー首相は「インディアン寄宿学校における子供の扱いはわが国の歴史の悲しい一章だ。1世紀以上もの間、寄宿学校は15万人以上もの先住民族の子供たちを家族やコミュニティーから引き離した。インディアンを子供時代に“殺す”ことが目的だった。カナダはこの同化政策が誤ったものであったことを認める」と謝罪した。
寄宿学校のサバイバーはその時点で8万人にものぼった。
被支配者の怒りに火を放った「ブラック・ライブズ・マター」
昨年5月、白人警官による黒人暴行死事件に端を発した抗議運動「ブラック・ライブズ・マター(黒人の命は大切だ)」で奴隷制というアメリカの「負」の歴史に改めてスポットライトが当てられた。南北戦争で南部連合の軍司令官を務めたロバート・E・リー将軍、南軍の将校や英雄の記念像、南軍兵士の追悼記念碑が次々と撤去された。
イギリスでも昨年、奴隷貿易や植民地支配に関わった歴史上の偉人の記念像が次々と引き倒される事件に発展した。
・奴隷貿易で財を築き、学校や病院、教会に寄付したイギリス商人エドワード・コルストン(1636~1721年)の銅像が引き倒され、ブリストル港に放り込まれる(その後、ブリストル美術館に赤いペンキがかけられた像が横たえられて展示されるが、復元を望む保守派の激しい反発に見舞われる)
・第二次大戦を勝利に導いた英首相ウィンストン・チャーチルの像も「人種差別主義者」と落書きされ、第一次大戦の犠牲者を追悼した記念碑セノタフに掲げられた英国旗ユニオンジャックが燃やされそうになる
・英オックスフォード大学では、南アフリカのダイヤモンド採掘で富を得て現地の首相となった「アフリカのナポレオン」セシル・ローズ(1853~1902年)像の撤去を求める運動が強まるが、保存が決まったことに教員が反発。ビル・クリントン元米大統領やスーザン・ライス国民政策委員会委員長も利用したローズ奨学制度は有名。アフリカからの留学生も数多く奨学金を受けている。
・英中央銀行・イングランド銀行は18~19世紀にかけ総裁や理事27人が奴隷を所有したり奴隷貿易に関わっていたりしたことを謝罪
・ロンドンのタワーハムレッツ区は奴隷商人ロバート・ミリガン(1746~1809年)像を撤去
・イースト・ロンドン大学は奴隷貿易に関わった篤志家ジョン・キャス(1661~1718年)像を撤去
イギリスは1807年に世界に先駆け奴隷貿易廃止法を制定。
200周年の2007年には当時のトニー・ブレア首相が英アフリカ系コミュニティー週刊紙への寄稿で「奴隷貿易がいかに恥ずかしいことか、その存在を非難し、廃止のため闘った人々を称賛するとともに、それが起きたことに深い悲しみを表明する」と南北格差と貧困と闘う誓いを新たにした。
しかし、イギリスの「ブラック・ライブズ・マター」運動は英王室も奴隷貿易に関わっていたとして、チャールズ2世(1630~1685年、イングランド・スコットランド王)、ジェームズ2世(1633~1701年、イングランド・スコットランド・アイルランド王)の像の撤去を求めている。
エリザベス女王を元首にするカリブ海の英連邦王国バルバドスは植民地の過去と決別し、今年11月の独立記念日までに君主制から共和(大統領)制に移行すると宣言した。エリザベス女王が高齢になり、不人気なチャールズ皇太子への王位継承の日が近づく中、英王室はヘンリー公爵とメーガン夫人による「人種差別」の告発に揺れている。
英王室も奴隷貿易の過去に向き合わなければ、植民地支配の歴史に対する批判が英連邦諸国から一気に噴出する可能性は否定できない。
参考:「カナダ首相による元インディアン寄宿舎学校生徒への謝罪に関する研究―謝罪への過程とその論理」(広瀬健一郎氏著)