菅首相の「温室効果ガス46%削減」で霞が関はパニックに陥った - 木村正人
※この記事は2021年05月04日にBLOGOSで公開されたものです
[ロンドン発]菅義偉首相がジョー・バイデン米大統領主催の気候変動サミットで表明した「2030年度までに13年度比で温室効果ガス排出を46%削減する」という目標について、英紙フィナンシャル・タイムズ(FT)電子版が5月3日、「専門家によると目標は非現実的で、官僚機構全体がパニックを起こしている」と報じています。
FT紙は「何の相談もなく、政治的議論もほとんど行われず、それが実現可能であることを示唆する分析もないまま、菅首相が目標を定めた」と指摘。小泉進次郎環境相がTBS系NEWS23で「46%削減」について「くっきりとした姿が浮かんできたわけではない。おぼろげながら浮かんできた」と話し、ネット民の批判と嘲笑を浴びたことも紹介しています。
さらに50%削減の高みに挑戦するという菅首相は昨年10月に「50年温室効果ガス排出ゼロ」を宣言。これまでは30年度に13年度比26%削減を掲げていましたが、その目標を一気に7割以上も引き上げました。これについてキヤノングローバル戦略研究所研究主幹の杉山大志氏は産経新聞『正論』に寄稿し、こう批判しています。
「日本が46%乃至(ないし)50%としたのは米国が50%乃至52%としたのに横並びにしただけだ。1997年に京都議定書に合意した時は米国の7%より1ポイントだけ少ない6%だった。2015年にパリ協定に合意した時は米国と同じ26%だった。何(いず)れも米国は一旦合意したがやがて反故(ほご)にした。歩調を合わせた日本は梯子(はしご)を外された」
民主党のビル・クリントン元大統領が採択した京都議定書から共和党のジョージ・W・ブッシュ元大統領が離脱し、バラク・オバマ大元統領が採択したパリ協定からドナルド・トランプ前大統領が離脱したように「今回も確実に同じ事になる」と杉山氏は指摘しています。バイデン大統領のパリ協定復帰も共和党政権になれば、ほぼ確実に撤回されるでしょう。
「米共和党は『気候危機』なる説はフェイクだと知っている」
気になるのは、杉山氏が「共和党は『気候危機』なる説はフェイクだと知っている」「先進国はCO2を理由に途上国の火力発電事業から撤退するが、おかげで中国はこの市場を独占できる。先進国に化石燃料を取り上げられた途上国はこぞって中国を頼るようになる」と解説している点です。
温暖化を巡り、スウェーデンの環境活動家グレタ・トゥーンベリさん(18)ら若者に代表される対策推進派と、「『気候危機』はフェイク」という懐疑派は激しい火花を散らしています。FT紙は杉山氏の「1%削減すると年約1兆円かかる。20%ポイントの削減増には20兆円かかる」というコメントを菅首相の批判材料として使っています。
日本が抱える問題は東日本大震災による福島第一原発事故の後遺症です。原発の設備利用率はピーク時の80%台から一時はゼロまで下がりました。再稼働により20%台まで回復したものの、昨年はまた15.5%まで下がりました。このため電源構成における石炭の割合が35%まで増えてしまいました。日本の温暖化対策にとって原発再稼働は不可避の選択肢です。
菅首相は福島第一原発の処理水について「処理水の処分は、福島第一原発の廃炉を進めるにあたって、避けては通れない課題だ。基準をはるかに上回る安全性を確保し、政府をあげて風評対策の徹底をすることを前提に、海洋放出が現実的と判断した」と述べ、原発再稼働に向け、大きな布石を打ちました。
日本国内では温暖化対策推進派の環境省は常に経済優先の経済産業省の風下に立たされてきました。日本の懐疑論者は中国を引き合いに出し、欧米の口車に乗って温暖化対策を進めると経済的に大きなダメージを受けると言い募り、日本政府も国際社会の批判を無視して海外の石炭火力発電所への公的支援を続けてきたのです。
石炭か、原子力か
温暖化対策を積極的に進める欧州連合(EU)は当面「石炭カード」を捨て、「原子力カード」を使うことを決めました。日本の懐疑論者は「中国カード」をちらつかせますが、日本が中国と同じようにやっていて良いわけがありません。ましてや、大気汚染が深刻な中国は積極的に再生可能エネルギーや電気自動車を推進しています。
バイデン大統領主催の気候変動サミットに参加した40カ国の政治指導者は世界の平均気温上昇を摂氏1.5度に制限するため、次々と削減目標を更新しました。
【日本】30年度に13年度比46%削減。さらに50%の高みに向け挑戦
【アメリカ】30年までに排出量を05年比で少なくとも50~52%削減。パリ協定の目標を倍に引き上げ
【ブラジル】温暖化に懐疑的なこれまでの方針を180度転換。30年までに国内の違法な森林伐採を終わらせ、50年までに排出ゼロを達成
【カナダ】30年までに排出量を05年比で40~45%削減
【インド】30年までに450ギガワットの再生可能エネルギーを設置
【ロシア】今後30年間で国の排出量を大幅削減
【中国】30年に排出量の増加を抑え込み、60年に排出ゼロに
【イギリス】35年までに1990年比78%削減
「地球の肺」と言われるアマゾン熱帯雨林の火災を放置していると国際社会から徹底的に叩かれたことがあるブラジルのジャイル・メシアス・ボルソナロ大統領でさえ心を入れ替えたのだから、海外の石炭火力発電所への公的支援をグレタさんからも批判された菅首相が態度を改めないわけにはいきません。
「グリーン産業革命」のロードマップ示す英政府
「50年排出ゼロ」を掲げるボリス・ジョンソン英首相は昨年11月「グリーン産業革命」構想をぶち上げ、30年までにガソリン車とディーゼル車、35年にハイブリッド車の新車販売を禁止する施策を打ち出しました。バイデン大統領の気候変動サミットに合わせて35年までに1990年比78%削減も約束しました。
英政府は独立する気候変動委員会が勧告する「炭素予算」に従って温室効果ガスの排出量を削減しています。それによると50年排出ゼロに向けたロードマップ(1990年比の削減実績と目標)は次のようになっています。
2012年 25%
2017年 31%
2020年 37%
2021年 44%
2030年 68%
2035年 78%
2050年 排出ゼロ
菅首相の「46%削減」について、地球環境市民会議(CASA)は「日本の削減目標の大幅引き上げは評価し、歓迎するが、世界第5位の温室効果ガス排出国であり、累積排出量でも世界第6位の日本には、より高い削減目標を設定する責任があることは明らか」と原発に頼らないエネルギー政策と石炭火力発電の早期全廃に向けたロードマップを求めました。
国際環境NGO 350.org Japanは「気温上昇を1.5度に抑えるパリ協定の目標達成のためには、このような排出削減目標では不十分であり、日本政府にはより高い目標設定を促したい」と厳しい声明を発表しました。
世界の研究者で組織する国際研究機関「クライメート・アクション・トラッカー」によると、パリ協定の1.5度目標を実現するためには「日本は30年までに13年度比62%、40年までに82%削減される必要がある」と分析しています。「46%削減」でも全然、間に合わないのです。
経産省が産業ごとに積み上げた目標ではとても世界の潮流にはついていけません。かと言って、小泉環境相が口を滑らせたように「おぼろげながら浮かんできた」目標では実現不可能な上、産業界が数字に踊らされてしまいます。菅首相の「46%削減」は前出の杉山氏が指摘するようにアメリカに合わせただけというのが真相なのかもしれません。
しかし、この潮流はもう待ったなしです。そうでなければガソリン車、ディーゼル車、ハイブリッド車のあとの環境車対策でも出遅れてしまいます。日本は「50年排出ゼロ」に向けた明確なロードマップを示さなければならないでしょう。