【新型コロナウイルス現地レポート】学生の強制退寮、医学部生の繰り上げ卒業…ハーバード大にも衝撃 - 井上貴文
※この記事は2020年04月08日にBLOGOSで公開されたものです
米国ボストンで4年暮らし、アーバンプランナーとして現地企業で働く筆者だが、今年3月中旬、自宅近くのUPS(配送サービス)でこれまで一度も出くわしたことのない光景を目にした。
一体何があったというのか?現地でいま起こっている状況をお伝えしたい。
「対岸の火事を眺めるような余裕さ」が3月に急変
私が住んでいるアメリカ東海岸マサチューセッツ州で最初の新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の感染者が確認されたのは2月1日。
この時点では勤め先の同僚や知人の多くは「1ヶ月程度で収束するだろう。震源は中国だし、感染拡大もアジアやヨーロッパが中心だからアメリカにはあまり関係ない」と思っていた。
今振り返れば、まるで対岸の火事を眺めるような余裕さ、ある種の緩慢さがあったように思う。
しかし、3月に事態は激変する。まず2月末にホテルで行われたBiogenの企業研修で、175人の参加者のうち、70人の集団感染が確認され、私の勤務先でも少しずつ不安の声が聞こえ始めた。
中国や韓国からアメリカに留学し、そのままこちらで就職した同僚や友人たちの中には、本国での状況の悪化に鑑み自主的に在宅勤務を申し出る者も増えてきた。もちろん、春節で帰国したままアメリカに戻ってこられなくなった同僚、友人も多数いる。しかし、アメリカ人の中にはまだこの手の危機感はなく、まだ楽観ムードが漂っていた。
その後、マサチューセッツ州では知事が3月10日に「非常事態宣言」を発表、15日には25人を超える集まりが禁じられ、17日には全てのレストラン、バーやナイトクラブが閉鎖、19日にはボストン市内の全ての建設工事がストップした。そして3月23日には自宅待機勧告、すなわち「ロックダウン」となった。私の勤め先では政府による国家非常事態宣言が出される前日の12日に在宅勤務(Work from Home)指示の発表があった。あれよあれよと、まるで急な下り坂を転げ落ちるように事態が大きく動いた3月だった。
「クリスマスまでには帰れる」。第一次世界大戦では、参戦国の指導者、出征兵士、その家族に至る誰もが、この戦争は数週間で終結すると考えていた。しかし、現実の戦いは一進一退を繰り返して長期化、過去に例を見ない悲惨な戦争となったことは誰もが知るところであろう。状況は違うとはいえ、今回のCOVID-19との戦いは既に泥沼化する様相を呈している。極端な楽観論は辞め、この問題に一人ひとりが真摯に向き合うべきだ。
ハーバード大が苦渋の決断。授業も卒業式もバーチャル。学部生は退寮せよ
事態が刻一刻と変化する中、同州ケンブリッジ市にあるハーバード大学は州の非常事態宣言を待たずして大きく動いた。3月10日に講義をオンラインへ移行する計画を発表、併せて14日から22日の春休み期間が明けた後も学生たちに大学に戻らないよう指示した。同大学の卒業生にもバコウ学長からメールが届き、今回の決断は大学内での集団感染のみならず、罹患しやすい人々や地域コミュニティを守るためだとの大儀が語られた。
中でも賛否両論あったのが突然発表された学部生への退寮命令。寮内での人口密度を減らし、キッチンや風呂場といった共用部での接触を避けることが目的だ。10日に発表し、15日までに心も荷物の整理もして退寮せねばならないという、学部生にとっては何とも酷な状況だった。
なんたってハーバード大の学生の約21%は留学生だ。自国の渡航制限、引っ越しや渡航費用の捻出といった金銭的制約から行き場所を失い途方に暮れる学生、これまで共に過ごして来た学友と卒業式を迎えることが出来ないかもしれないという落胆からパニックに陥る学生も多かった。
しかし、多くの学生の切り替えは早かった。いや、そうぜざるを得なかったのだと思う。学内では友人たちと卒業記念写真を撮る学生の姿が目立った。何ともやるせない思いを抱くと共に、気丈に振る舞う彼らの姿に、彼らが引っ張っていくであろうこれからの世界はきっと明るくなるはずだと一筋の希望を見つけたことも事実である。
3月15日に迫る退寮期限を前に、ハーバード大近くの配送サービス「UPS」はごった返していた。学生が荷物をまとめ、実家に送る必要が出たためだ。翌日の16日には学生は出払ってしまい、寮には学生の退寮時に出たゴミだけが残っていた。同じくケンブリッジ市にあるマサチューセッツ工科大学(MIT)でも学生が出払い、街全体はゴーストタウンと化したことは言うまでもない。
私はアメリカでキャンパスプランニング(大学のキャンパス計画やデザイン)にも従事しているが、ハーバード大と言えば、英国のオックスフォード大学やケンブリッジ大学の全寮制教育を取り入れたレジデンシャル・エデュケーションで知られる。
これは、大学の教室だけを学びの場と捉えるのではなく、学友同士が寝食を共にし、多様な価値観をシェアする学生寮での濃密な時間も教育の現場と位置付ける教育モデルのことだ。映画『ハリー・ポッター』で出てくる寮をイメージして頂ければ分かりやすいかと思う。
その性質上、集団で住まうことのできる設計が王道であり、歴史的にも踏襲されてきた。故に今回の強制退寮はスムーズに運び、これは都市計画、公衆衛生の観点からは評価して良い。
一方、「教室」と「学生寮」はレジデンシャル・エデュケーションの両輪だが、今回ハーバード大をはじめとした大学はその片方を欠く状況に追い込まれた。これは致命的な問題である。
事実、退寮や帰国を余儀なくされた学生から話を聞いていると、学生寮で同じ「空間」と「時間」を共有する原体験の価値を再認識させられる。そして、学生やその両親はその価値にこそ、高い学費や居住費を払っている。
今回のCOVID-19の感染拡大は、これまで後手に回っていた感染症対策を都市計画、公衆衛生の分野に真正面から突き付け、キャンパスプランニングのあり方も一定程度見直しを迫られることになろう。
医学生の早期卒業、キャンパスを臨時病院へ転換
アカデミアの迅速な対応は授業のオンライン移行に留まらない。マサチューセッツ州は目下の患者急増に対応するため、メディカルスクール最終年次の医学生の早期卒業を要請、ハーバード、MIT、タフツ大、ボストン大の4つが卒業を1ヶ月早めた。
尚、ボストン郊外に位置するタフツ大はキャンパスの一部を病院施設に転換し、軽症患者の隔離及び治療に使用する方針を打ち出した他、獣医学部で使用されている呼吸器系の器具も既にボストン市内の病院に提供済みだ。
私の母校であるハーバード大学デザイン大学院では、枯渇しつつある医療従事者用の個人用保護具(マスクやフェイスマスク)のニーズに応えるべく対策チームを組成した。
具体的には、キャンパス内のファブリケーションラボ(製作のための研究施設、通称ファブラボ)にある3Dプリンターの活用について、地域の病院や学内の公衆衛生やエンジニアリングといった分野のチームと協働での検討を経て、4月7日には3Dプリントされた最初の個人用保護具90個が病院に届けられた。
尚、在学生の中からは3Dプリンティングに必要な樹脂の無償提供を申し出る声が相次いでいる。本来は彼らが建築、ランドスケープ、都市計画や都市デザインのモデルに使用するべく購入した素材だ。何とも頼もしい。
ボストンは教育水準の高い学校が集積する学園都市であると同時に、全米トップクラスの医療体制を誇る都市としても知られる。理論と実践を接続し、学びを実社会に還元する。
COVID-19の感染拡大下、ハーバード大をはじめとしたアカデミアの威信をかけた戦いが既に始まっている。
今、一人ひとりにできること“Ask what you can do.”
COVID-19との戦いにおいて、アメリカ人の理想とする勧善懲悪な正義の味方は未だ現れていない。空を飛び、超人的なパワーで何でも解決してくれるスーパーマンはこの物語には登場しない。新薬の研究開発が進んでいるが、実戦配備はまだ当面先になるだろう。
尚、ボストンでは感染のピークは4月半ば、収束は夏から秋にかけてだと言われている。勤め先では9月まで在宅勤務の可能性がある旨の通達があった。「クリスマスには帰れる」ならぬ「夏までには収束する」では済まない可能性が濃厚になっている。長いトンネルを抜けるのはまだまだ先になるという覚悟を持った方がよさそうだ。
そんな環境下だからこそ、個人個人の心がけ、周囲に配慮した動き方がより大切となる。具体的には、不要不急の外出を控えることと、ソーシャル・ディスタンス(他者との一定の距離)を取ることだ。
無症状でも保菌者は多数いると言われている。「この程度のことであれば」という少しの気の緩み、心無い行動が周囲の誰かの命を危険に晒す可能性がある。それは、「他者の命を救おう、感染拡大を食い止めよう」と最前線の現場に立ち、自らの命の危険を顧みず奔走して下さっている医療従事者の方たちも含めてだ。
アメリカの周囲の友人たちは口を揃えてこう言う。「I’ll do my part. 自分は自分の務めを果たす。家に待機し、周囲には出歩かない」と。こちらで生活していると、市民一人一人が地域、コミュニティの公益最大化のためにきちんと動いてる印象を受ける。
私自身も在宅勤務になって1ヶ月、買い物も2回行ったきりだ。相次ぐ非常事態宣言や自宅待機命令、心身共に疲れるのは事実だが、現場で命を懸けて闘って下さっている方々を思うと、この程度で何のそのという気にさせられる。スーパーマンは来ない。同じ船に乗った一員として、一緒になって乗り切るのだ。
最後に、こんな時だからこそ、元アメリカ大統領ジョン・F・ケネディの有名な言葉を思い出したい。
“Ask not what your country can do for you, ask what you can do for your country.”
「あなたの国があなたのために何ができるかを問うよりも、あなたがあなたの国のために何ができるかを問うて欲しい」。
このメッセージは、彼が1961年の大統領就任演説でアメリカ全国民に対して語ったものだが、時を経て尚色褪せない普遍性がある。COVID-19拡大下での文脈で捉えるとすると、「あなたの国」は「世界」に置き換えてもいいだろう。その規模感がしっくり来なければ、まずは「愛する人」や「地域のコミュニティ」からスタートしてもいい。
一人ひとりが持ち場でできることをする。出口の見えない困難な時代の中、ケネディの言うような個人個人の姿勢こそが今問われているのではないか。
ボストンの冬は寒い。だが、ボストニアン(ボストン市民)は毎年厳しい冬に耐える術を知っている。苦楽を共にし、この難局を一緒に乗り越えた時、ボストニアンの団結は一層と強くなるだろう。そしていつの日か、また活気溢れるボストンを取り戻すはずだ。そう強く信じている。
著者プロフィール
井上貴文
アーバンプランナー(都市計画家)。米国ボストン在住。
関西学院中学部、同高等部、慶應義塾大学総合政策学部をそれぞれ首席で卒業。大学在学中には、英国スコットランドのエディンバラ大学へ交換留学。
メリルリンチ日本証券に新卒入社し、投資銀行部門にて企業の資金調達・IPO・M&A等のアドバイザリー業務に従事。大手デベロッパーの公募増資引受業務を通じ、従来から抱いていた「日本や世界の都市計画、まちづくりに貢献したい。」との自身の強い思いを改めて認識し同社を退社。
日本政府/世界銀行共同奨学生として、2018年ハーバード大学デザイン大学院(都市計画学修士課程)修了。
修了後、米国ボストンに本社を置く都市デザイン事務所Sasakiに勤務し、米国大学のキャンパスプランニング、途上国をはじめ世界各国の都市マスタープランニング案件等に従事。アーバンプランナーとして、デザイン、政策、金融等のアプローチを駆使しながら、都市が抱える問題解決に取り組んでいる。
また、ハーバード大学デザイン大学院時代の同期をはじめとした仲間と共に、東京で国際学生寮の開発に取り組む。
米国都市計画家協会所属。
趣味はまち歩き、ラグビー観戦、ピアノ。
留学やキャリアに関するブログはリンクから。
Blog:https://takafumi-inoue.com/
Twitter:https://twitter.com/iraburian