※この記事は2010年03月25日にBLOGOSで公開されたものです

 今回取り上げたい記事は、先週に都条例改定問題という緊急性のある問題をやっているうちに、元記事が消えてしまった話だが、重要なニュースだと考えるので、あえて取り上げたい。
 ちなみに、元記事を読みたい人は見出しの文章をそのまま検索すれば、ニュースを自動的にコピー&ペーストして表示するだけの、アフォリエイト目当てのニュースサイトがたくさん出てくるので、そこで読んでください。

 記事の内容を要約すると、東京の女子大では、携帯電話をかけながら自転車に乗ったり、カップめんを食べながら歩く学生がいるので、最寄り駅から大学までに学生が立って、通学のマナーを指導するという。
 他にもノートの取り方からゴミの分別までといったことを教えたり、図書館の本に1日10円の延滞料を課し、完済するまで卒業を認めない大学や、学生の「茶髪・ピアス」を禁止している大学もあるという。

 要は、「最近の若者は我々よりも劣っている」というオッサンの優越感に媚びた、典型的な若者イジメ・イビリ記事である。
 若者の新聞離れが叫ばれる世の中では、こうしたイジメ記事は「読者層に対する娯楽の提供」という大義名分で肯定される。イジメ記事は世の中の「他人を見下したくてしかたのない人たち」に対する、かっこうのエサである。
 私がネット上で記事などを検索していると、2007年にもこうした記事が書かれていた(*2)ので、多分定期的に出てくる話題なのだろう。

 では、実際に最近の大学生がこうしたモラルのないことをしているのかといえば、「そりゃそういう学生もいるだろうが、大学生なんて昔からそんなものだ」というのが、私の見方である。
 ピラミッドのラクガキに「最近の若いものは」と刻まれていたなどと言われるように、大人が若者にボヤくのは昔からのパターンである。無礼な若者は社会経験を経て、やがて「最近の若いものは」とボヤく大人になっていくのだ。
 ただし、かつてと違うのは、たとえば記事の「図書館の本に1日10円の延滞料を課す大学」の例が分かりやすいが、テクノロジーの発達によって、そうした悪質な行為に対する管理監視が行いやすくなったことである。
 それこそ「延滞料を完済するまで卒業を認めない」というのは、誰に本を貸し出したかを、IDカードなどで確実に管理できるからこそ行える措置である。また、無許可での持ち出しも、出入場ゲートで自動的に監視できる。
 また、マナーについても、本当に大学生のマナーが落ちているというよりも、こうした記事のような若者イジメ情報の氾濫により、大学生を害悪視し、いくらでも文句を言っていいというような風潮が産まれてしまっていること。さらに、近隣住民の権利意識の肥大や、人間関係の希薄化が後押しをしている。
 権利意識の肥大や人間関係の希薄化という点については、少し前に、NHKのクローズアップ現代で「公園で子供の遊ぶ声がうるさい」という苦情が増えており、自治体が公園に「大きな声で話さない」という立て看板を立てているなどと報じられていた(*3)。そういうレベルの苦情が大学にも行っているのだろう。

 そしてもうひとつ。
 世間の人たちにとって重要なのは就職であり、大学での勉強ではないということもある。
 今の日本において、大学は「4年制のハローワーク」にすぎない。世間の親たちは子供を良い企業に就職させるために大学に行かせているのであって、決して勉強や大学での充実した生活を過ごして欲しいなどと思っていない。
 また、目的である会社が求めるのも、学生に対して知識を覚えてもらうよりも、こうしたモラルの醸成や、社会常識を、社会人となる前に一通り学んだ学生である。
 そうした社会的風潮の中で、大学も期待に添った「歯車」を会社に提供しようとがんばっているのだ。

 読売新聞の記事(*2)の最後に、「大学に入りやすくなり、進学の動機がはっきりしない『高校4年生』のような学生が多くなった」と指摘した上で、「意外にも、口うるさく指導されることを学生も嫌がらない。指導を強化する大学はさらに増えるだろう」と予想している。という記述があるが、それは学生がまさにそうした社会的風潮を受け入れていることを意味している。
 そうした意味で、こうした若者イジメは、同時に若者にとって「社会にとって便利な歯車になるための金言」になってしまっているのである。

 ひと昔前であれば、このような細かいどうでもいいような規制に対して、学生たちが反発をした。
 しかしそれも、経済が右肩上がりで大学さえ出れば、どんな企業に入っても生活が成り立つことを前提にした学生たちのモラトリアムでしかなかった。
 今の不安定な超買手市場である就職市場においては、学生たちは「歯車」である自分を受け入れるしかない。いくら社会に見下され、イジメ・イビリを受けようと、若者はそれを受け入れ、必死に歯車になろうと努力しているのである。
 結局、大学は歯車の需要と供給を司る大規模な工場なのだ。

 こうした記事が存在し、大学が学生たちに事細かくマナーをしつけようとし、それを社会が利用し、学生がそれを受け入れること。
 その4つをまとめて考えると、この記事が単なる若者イジメではなく、複雑に歪みまくった結果、人間そのものを受け入れることのできなくなった現代日本の凋落を、象徴する記事であると私は考えている。

*1:通学マナーや法令順守…大学生に「常識」指導(読売新聞)http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100303-OYT1T00709.htm
*2:あいさつ、出欠確認、ゴミの分別…大学の生活指導どこまで(読売新聞)http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20071109ur01.htm
*3:クローズアップ現代「公園がうるさい?急増する音のトラブル」(NHK)http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku2009/0910-2.html

プロフィール
赤木智弘(あかぎ・ともひろ)…1975年生まれ。自身のウェブサイト「深夜のシマネコ」や週刊誌等で、フリーター・ニート政策を始めとする社会問題に関して積極的な発言を行っている。著書に「「当たり前」をひっぱたく」など。