※この記事は2009年12月10日にBLOGOSで公開されたものです

 高知県南国市の高知空港に展示されていた、発泡スチロール製の等身大坂本龍馬像の首が折られ、壊されたという(*1)。この像はこれまでも胴体が傷つけられたり、刀が折られていたようだ。

 ニュースを最初に見た時「発泡スチロールで作ってるんじゃ、そりゃ壊れるだろう」と思った。
 みんなが遠巻きに眺めるような像ならば強度を気にする必要はさほどないのかも知れないが、みんなが記念写真を撮ったり触ったり寄り掛かったりするような像に発泡スチロールはどうなのかと疑問に感じた。
 現物は発泡スチロールの上にパテが盛ってあったりと、決して簡単に壊れるようなものではないということらしいが、それでもファーストフード店などの店頭に設置されている等身大のキャラクター像などを作る時に使われる繊維強化プラスチックのような強度はないだろう。
 この像を県が何年使うつもりだったのかは分からないが、基本的にはイタズラ程度で壊れる像を、多くの人が触れられる場所に設置した方が間違いだ。ましてや高知県ヘの入り口となる高知空港なのだから、多少予算が割高になったとしても、耐久性の高い像を設置する必要性があった。本来ならこの問題はそうした結論で、県の担当者が怒られて収束するはずだ。

 しかし、このニュースを見ていると、どうも「イタズラをするような心無い人間がいる」という考え方がされているようだ。「イタズラをする人間もいるだろうから、強度を強くするべき」ではなく、「心無い人間さえいなければ、像は壊されないはず」という考え方なのだろう。
 これがもし、一昔前の日本であれば、たとえ壊されたとしても「作り直せばいい」ということになったのではないか。経済成長著しい時代には、無駄使いは無駄だと認識されていなかった。そして、たとえ像を壊したとしても、謝ればそれで問題はなかったはずである。たとえイタズラだとしてもだ。
 しかし、今の社会では壊してしまったことそれ自体が、「人間性の欠如である」と社会に見られてしまう。以前イタリアのフィレンチェの聖堂に、女子学生が落書きをしたことが大きなニュースとして扱われたが、当事者であるはずの聖堂の人やイタリア人より、日本人の方がやたらと騒ぎ立てていた。
 そうした社会においては、もし誰かが故意にせよ不慮の事故にせよ像を壊してしまった時に、「名乗り出て謝る」という考え方にはならないのではないか。行ってしまった行為に対して、あまりに社会的な損失を負うリスクが大きすぎるから。
 どうせ謝罪しても損失を補う機会がないのであれば、人は当然謝らずに逃げおおせる事を考えるだろう。それは単なるリスクヘッジであって、決して「社会道徳の欠如」ではない。
 そして、もっとも重要なのは、「作り直せばいい」にせよ「(壊した人間の)人間性の欠如」にせよ、問題をそのように考えることは、本質的な「像の強度」という問題から目を背け、別の何かにすり替えているに過ぎないということだ。

 貧困問題を追っていると、こうした「事の本質」から目を逸らす考え方を、繰り返し目にする。
 やれ「若者の努力が足りない」だの「子供を産まないから悪い」だの「ニートを家から追い出せば自立するだろう」だの「農業に就かせればいいんじゃないか」だの。
 多くの人たちは、社会が追うべき責任を弱い個人に押し付け、「正社員として賃労働さえしていれば全てが手に入る」かのような、社会システムそのものの歪みに言及しようとはしない。
 逆に、かつての経済成長の時代だって、経済状況が良かったから気付かなかっただけで、社会システムが歪んでいたことに変わりはなかった。当時はそうした歪みは「賃労働をしている夫は偉いので、従わなければならない」という考え方となって、女性を抑圧していたのである。

 かつては金で、今は心で問題に対応しようとする日本人は、いつまで経っても問題の本質に目を向けようとはしない。
 私はこの事件に対するマスコミの言及の中に、戦後一貫して社会問題の本質に目を向けようとしなかった、日本人の本質が立ち現れている。そのように感じられるのである。

*1:龍馬像またご難、今度は首折られる(読売新聞)http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20091204-OYT1T00859.htm


プロフィール
赤木智弘(あかぎ・ともひろ)…1975年生まれ。自身のウェブサイト「深夜のシマネコ」や週刊誌等で、フリーター・ニート政策を始めとする社会問題に関して積極的な発言を行っている。近著:「「当たり前」をひっぱたく」。


眼光紙背[がんこうしはい]とは:
「眼光紙背に徹する」で、行間にひそむ深い意味までよく理解すること。
本コラムは、livedoor ニュースが選んだ気鋭の寄稿者が、ユーザが生活や仕事の中で直面する様々な課題に対し、「気付き」となるような情報を提供し、世の中に溢れるニュースの行間を読んで行くシリーズ。