※この記事は2009年11月05日にBLOGOSで公開されたものです

アスキーの創業者である西和彦が、「Wikipediaはネットの肥溜」(*1)というコラムを書いたことが、話題になっているようだ。
このコラムの中で、西は「問題はWIKIがPEDIAという接尾を使って、いわゆる百科事典のようなふりをしていることにあるのではないだろうか。」と、wikipediaが百科事典としての権威を被りつつ、その実は編集合戦などにより、最終的には力が真実に勝ってしまうことを問題視している。(*2)

Wikipediaは一般的には「集合知」であると思われている。『ウェブ進化論』の中で梅田望夫はWikipediaを指して、リアル世界で権威と認められた人でなくとも、知の集積による百科事典の実現は可能ではないかと、Webの新しい可能性を示した。
しかし、実際のWikipediaは西の言うような編集合戦にまみれ、全体として客観的な知を取りまとめようとする意欲は薄いように見える。表示される文面は最終的には最後に編集した人の自由でしかない。ノートで積み立てた議論は、しばしば匿名のIPアドレスに無視され、編集されてしまう。そして最終的には、Wikipediaに張り付く時間が長い人の言い分が、真実に勝ってしまう。
私は以前、この連載で元厚生事務次官宅への襲撃事件に対するコラム(*3)を記したが、このような独りよがりの編集者が、自らの表現欲を満たそうと、他人の文章を巧妙に書き換え続けている。それがWikipediaの現状である。Wikipediaのpediaという権威性に自分の身を浸そうと、編集者たちは寄ってくるのである。

かつて、ちょっとお金を持った家の書斎の最下段に鎮座あらせられる、存在感たっぷりの百科事典は、真実の塊であった。何十万円もする高価な百科事典は、編集にも膨大な金と時間が費やされて、その信頼性を保証していた。
一方、wikipediaは無料で誰もが利用することができる。ウェブサイトの維持のための費用は膨大にかかっているが、編集については人々の自主性に頼っている。その質は、知識を取りまとめようとする人や、前述のような表現欲を満たしたいだけの人、そして通りすがりの人とバラバラで、編集者の質は一切保証されていない。そうした「内容の安い百科事典」に信頼性が低いのは当たり前のことである。

だが、今の時代にどちらが有効に活用されているかといえば、Wikipediaだろう。多くの書棚において、百科事典は書棚付属のアクセサリーでしかない。
確かにWikipediaそのものの記述には、信頼性の低いものが多い。そこに書かれていることを単純に真実だと信じてしまえば、痛い目を見るだろう。
しかし、そこからリンクされる出典や参考文献、関連サイトなどを調べることによって、Wikipediaそのものの信頼性のなさはいくらでも補完できる。

百科事典の時代における「調べもの」とは、信頼性のある書籍を渡り歩くことであったが、それには手間も時間もかかる。しかも調べたい書籍が自分のアクセスできる範囲にあるとも限らない。
一方、Wikipekiaの時代における「調べもの」とは、googleで検索し、Wikipediaに記された参考文献や関連サイトを読みあさることである。もちろんそれで十分でなければ、別のサイトから辿ってもいい。一般の書籍などは、最終的には図書館に頼ることになるが、科学論文であれば、原文がWebに公開されていることも少なくない。
つまり、Wikipediaによって、調べものを達成するための百科事典の役割は、百科事典そのものが単体で回答を示すことから、多くの資料に当たるための「百科へのガイド」に変化したのである。
そうした意味で、西のコラムは「pedia」の権威についての考え方が少々古すぎるように、私には感じられた。
一方、その他の部分については、おおむね同意で、特に「肥」という表現は、「それ自体は汚らしいものでも、それを肥料として、その他の肥料と混ぜて活用することによって、大輪の花を咲かせることができる」という、Wikipediaという現代の百科事典の本質を、みごとに表した表現であるといえよう。

「Wikipediaが正確ではないなんてことは、誰でも知っている」と言う人がいるが、誰でも知っている事実を誰も口にしなくなれば、それはいずれ「誰も知らない事実」ヘと変質してしまう。そうならないためには、西のような「うるさ型」が時折口を挟むことは、よいことである。それを機会に、こうして検証し、その意味を改めて思い直すことは、事実のアップデートとなる。


*1:Wikipediaはネットの肥溜 - 西和彦(アゴラ)http://agora-web.jp/archives/767360.html
*2:「ウィキペディアはネットの肥溜」 西和彦の過激批判の「真意」(J-CASTニュース)http://news.livedoor.com/article/detail/4410246/
*3:【赤木智弘の眼光紙背】急いては事を仕損じる(ライブドアニュース)http://news.livedoor.com/article/detail/3915320/

プロフィール
赤木智弘(あかぎ・ともひろ)…1975年生まれ。自身のウェブサイト「深夜のシマネコ」や週刊誌等で、フリーター・ニート政策を始めとする社会問題に関して積極的な発言を行っている。近著:「「当たり前」をひっぱたく」。


眼光紙背[がんこうしはい]とは:
「眼光紙背に徹する」で、行間にひそむ深い意味までよく理解すること。
本コラムは、livedoor ニュースが選んだ気鋭の寄稿者が、ユーザが生活や仕事の中で直面する様々な課題に対し、「気付き」となるような情報を提供し、世の中に溢れるニュースの行間を読んで行くシリーズ。