イギリスの「鉄道防犯対策」は日本と何が違うか
ロンドン地下鉄の地上駅ホーム。右上に防犯カメラがあるのがわかる(筆者撮影)
10月31日に起きた京王線特急列車内での事件をはじめ、走行中の列車内での傷害事件や放火事件が日本国内で相次いだ。自身が居合わせていたらどういう行動を取っただろうかと考えると、改めてショッキングな出来事だったと感じる。国土交通省は12月3日、一連の事件を踏まえ、車両新造時の防犯カメラ設置や非常用設備の表示共通化などの対策を打ち出した。
こうした列車内での事件に備えて、鉄道の発祥国・イギリスではどういった対策を講じているのだろうか。イギリスでは2005年、ロンドンの地下鉄が爆破テロのターゲットになった。長距離列車や地下鉄の防犯対策と非常用設備の現状を調べた。
地下鉄にもバスにもカメラ
首都ロンドンで、最も人々に身近な鉄道といえば地下鉄だ。「チューブ(Tube)」という愛称があるが、市街中心部を通る路線の車両が半円形で小さいことに由来する。建設の際、技術的に大きなトンネルを掘るのが難しかった時代に開業したためだ。
地下鉄車内のドア付近にあるSOSボタン(エマージェンシーアラーム)(筆者撮影)
そんなロンドン地下鉄車両の非常用設備を改めて確認してみると、緊急事態を知らせる「SOSボタン」はあるものの、乗客が扱える非常用ドアコックはない。これは、トンネルが小さくて客室のドアを開けても車外に出られるだけのスペースがなく、車両の下には電気が流れる第三軌条がむき出しになっているといった事情によるものだ。地下鉄車両が立ち往生した際の脱出の様子などを見ると、先頭車両前面の中央ドアを開けて外に降りているのがわかる。
一方、防犯カメラは積極的に設置が進められ、1970年代に製造された古い車両が走る路線を除き、大半の路線で全車両に標準装備されている。ロンドン交通局(TfL)によると、プラットホームをはじめとする駅構内には計7万7000基の防犯カメラが取り付けられているという。
防犯カメラ導入が進んだ最大のきっかけは、2005年7月にロンドン市内で起きた同時多発テロ事件だった。わずか1分以内の差で市内を走っていた3つの地下鉄車両が爆発し、その1時間後には2階建てバスが爆発。死者計56人、負傷者計784人を出す大惨事となった。この事件を受け、路線バスの更新車両にも防犯カメラが標準装備されている。
防犯カメラは地下鉄車内だけでなくプラットホームにも多数設置されている。地上駅でカメラがむき出しになっているのを数えてみると、7両編成の車両に対して6台のカメラがあった。
ロンドン地下鉄の地上駅ホーム。屋根付近に複数のカメラが設置されている(筆者撮影)
これらのカメラ映像のモニター画面は運転士も見られる仕組みだが、駅、そしてロンドン交通局(TfL)の運行管理センターでも確認できるという。仮にどこかの車両で放火や爆発が起きても、カメラを通じて概ねの車両位置やトラブルの状況を遠隔で把握できるようになっている。
こうしたカメラを交通局などに卸している業者は、「ロンドン市民は街の防犯カメラで1時間平均13コマは撮られている」というデータを開示している。これは交通機関だけでなく、ビルやショッピングモールなどあらゆる場所を合計しての数値と思われるが、いずれにせよ「あらゆるところで監視されている」と思ってよさそうだ。カメラの映像に、非接触式ICカード乗車券「オイスター」の行動データを組み合わせると、乗客の動きはかなりの確率で特定できるとされている。
長距離列車の非常設備は飛行機のよう
一方、長距離列車にはどのような非常用設備があるのだろうか。今やイギリスで一大勢力となった日立製の長距離列車「クラス800シリーズ」の例を見てみよう。
「あずま」車内にある非常時案内(筆者撮影)
筆者が確認したのは、ロンドンとスコットランド方面を結ぶロンドン・ノース・イースタン・レールウェイ(LNER)「あずま」の非常用設備案内だ。各車両のデッキ部分に詳細な非常時案内のピクトグラムが貼り付けられている。情報が1カ所にまとまっていてわかりやすい。
どんなことが書いてあるのか。読んでみると、航空機に搭乗した際に耳にする安全の案内によく似た内容となっている。
まずステッカーの一番上に「この車両内の出口や緊急用の設備の位置をよく理解しておいてください」(Please familiarise yourself with the location of exits and emergency equipment in this coach)と赤地に白い文字での注意書きがあり、その下に「非常時の場合」(In Case of Emergency)の対応が緑地に白文字で記してある。
「非常時の場合」の対応については、「ほとんどの緊急事態では、列車内にとどまることが最も安全です」(In most emergency situations it is safest to remain on the train)との説明がある。そして「必要であれば、列車が停止した後、外部のドアから脱出してください」「避難先は線路が敷かれた面(へ降りることになります)」など、脱出する際の注意についても触れている。
また、平面図を見ると、非常用のSOSボタンはデッキだけでなく客室内にもあること、消火器のほかAED(自動体外式除細動器、案内ではDefibrillator)が客室内に備え付けられていることがわかる。
地下鉄などと同様、こちらも車内に防犯カメラがある。最近の傾向として乗客のほとんどが座席指定された前売りの格安切符をオンラインで購入していることを考えると、運行会社はカメラの映像と併せて、特定の座席に座っている人が「どこの誰か」をほぼ把握できる。防犯のための監視はかなり高いレベルに達していると言えよう。
京王線の事件では、乗客が窓から車外に脱出した映像が残っている。「もし、ガラスを割って外に出られたらよかったかも」と思う人もいるのではないだろうか。
イギリスには実際にガラスを割るためのハンマーを備えた列車がある。西海岸本線(ウェスト・コースト・メイン・ライン、West Coast Main Line)を走るアヴァンティ・ウェスト・コーストの車両「ペンドリーノ」には、座席車中央部にハンマーを備え付けており、万一の際、車両両端のドアまで行き着かなくても、ガラスを破壊して車外に出られるようになっている。このような非常用ハンマーはフランスのTGVや中国の高速列車など他国でも見ることができる。
ただ、列車事故など緊急時を想定した車両の仕様条件に関する書類を確認すると、英国では列車内に窓ガラス破壊用のハンマーの設置は義務付けられていない。また、緊急時の窓の破壊は「窓を通じてでないと、担架で乗客が救出できない時などの『最後の手段』」とわざわざ言及している。
ロンドンの新型バスに設置された非常脱出用装置「セーフパンチ」。安全シールを外して強く叩くとガラスが割れる(筆者撮影)
一方、ロンドンを走る新型バスには、特殊な脱出用の窓ガラス破壊装置が取り付けられている。「SAFE PUNCH(セーフパンチ)」と名付けられたこの装置は、大きなボタン状になっており、安全シールを外した後、強く叩くとガラスが割れるように先端に鈍器がついている。これならハンマーを探すことなく、すみやかにガラスを割って脱出できる。また、「非常時にはこれを使えばいい」と日頃から乗客に促すこともできる。
運行妨害にはどう対応している?
ロンドンの東側一帯には、運転士なしで走る軽鉄道「ドックランド・ライト・レールウェイ(DLR)」が走っている。市内中心部の金融街・シティーと新金融街・カナリーウォーフ、ロンドン最大の見本市会場・エクセルなどを結ぶこの鉄道は全長38km。運行スタッフがボタンを押せばドアが閉まって走り出すという「半自動運転」で運行されている。
筆者はDLRを長年にわたって利用していたが、いたって順調に走る乗り物だと感じていた。ところが、最近利用すると運行スタッフが1編成(2両編成を2〜3セット連結して運行、通り抜け不可)につき1人しか乗っていない、駅員がいないことを知ったうえで、学生が閉まるドアに足やカバンを入れて運行の妨害をしているケースがまま見られる。
こうした妨害行為が起こると復旧まで何分もかかるが、ひどい例では、次の駅に向けて出発というタイミングで意図的にSOSボタンを押して非常コックでドアを開けるという妨害も実際に見た。こうなると運転指令から原因調査を求められ、動きが取れなくなる。車内に運行スタッフが1人しかいないため、こうしたケースでは列車を放っておいて犯人を捕まえるというわけにはいかない。
だが、DLRは防犯カメラを車内ではドア1つおきに設置しているほか、駅構内にも取り付けている。ビデオの分析など追跡調査は、交通専門の警察組織であるイギリス鉄道警察(ブリティッシュ・トランスポート・ポリス、British Transport Police)が実施し、犯人検挙に努めている。統計によると、12件の事例に対し8件、つまり事件のうち3分の2を検挙できているという。
DLR車内のドア付近。右上に防犯カメラ、ドア横の縦の柱にはSOSボタンや非常時のドア開閉装置などがある(筆者撮影)
筆者の肌感覚だが、鉄道警察による平常時の警備は実際のところあまり積極的には行われていない。人の出入りが多いターミナル駅では常に6〜10人の鉄道警察官を見るが、車内では目に見える形での警備はない。
ただ、ひとたびことを起こすと多数の警官が現れる。先日、スコットランドからの最終列車でロンドンへ戻った際、列車から降りた若者グループが警官6〜7人に取り囲まれていた。車内で大騒ぎしていたか、あるいは窃盗を働いたといった可能性もあるが、警察犬を連れた警官隊に囲まれて事情聴取されるのは穏やかではない。遠巻きに眺めていたが、その場でコロナウイルスの抗体検査のため、鼻に綿棒を突っ込まれつつの職務質問とはなかなか厳しい対応と感じた。
無関係の人を射殺した事例も
すでに述べたように、ロンドンを含むイギリスの街中には多数の防犯カメラが設置されている。しかし、こうした設備には問題点もある。
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鉄道警察による「怪しい人物はこいつだ」とのツイッターでの書き込みも見かけるが、誤認は本当にないのだろうか。ロンドンではかつて、2005年の同時多発テロの直後、事件に関係のないブラジル人を誤認して射殺するという痛ましい事件もあった。
各国からの観光客に交ざって、招かれざる人物もイギリスに上陸している。安全確保とプライバシーとの兼ね合いが難しいところだが、大きなテロ事件からの教訓として、市民の間からは「徹底した管理と警備」を求める声が根強い。コロナ禍のさなかは乗客が少なく犯罪発生率も低かったが、進みつつある経済の回復からあぶれた人々による犯罪行為も起こらないとは限らない。大過なく安全な運行が続くことを願ってやまない。