ドリームキャストの壮大な失敗に見た多大な教訓
その存在を覚えている30〜40代以上のゲームファンも少なくないだろう(撮影:尾形文繁)
なぜトップ企業が膨大なコストをかけた新規事業は失敗に終わったのか。世界有数の企業20社の製品・サービスの事例を分析した新著『世界「失敗」製品図鑑』を上梓した荒木博行氏が全3回で3社のケースを読み解きます。
第2回は「セガ・エンタープライゼス/ドリームキャスト」編。「ゲームと通信の融合」という斬新なコンセプト、競合を圧倒するスペック、キャッチーなCM戦略と成功の条件がそろいつつも、会社が傾くほどの大赤字を生んでしまったドリームキャスト事業。1つの歯車からすべての計算が狂ってしまったその苦い道程から、私たちが学ぶべき教訓とは?(本稿は新刊一部を再編集したものです)。
ゲームと通信を融合させた、次世代ゲーム機
1998年11月27日、セガ・エンタープライゼス(以下セガ)は新型ゲーム機「ドリームキャスト」を発売しました。
ドリームキャストは、1994年に発売された「セガサターン」の後継機です。セガサターンは1996年までは同時期に発売されたソニーの「プレイステーション」を抑えてシェアNo.1を維持していました。
しかし、セガサターンの春は短く、部品の確保に失敗して販売機会を逃したり、「ファイナルファンタジー」の新作ソフトをめぐる争奪戦に敗れたりと、プレイステーションに主導権を奪われていきます。
1998年3月にセガは433億円の特別損失を計上し、セガサターン事業の撤退を決定。上場後初の経常赤字に転落し、社長だった中山隼雄氏は業績不振やバンダイとの合併破談の責任を取って、社長職を退きます。
このタイミングで、発売されるドリームキャストは、新任の入交昭一郎社長にとっても決して失敗できないチャレンジでした。
ドリームキャストの最大の特徴は、入交社長がこだわった「ゲームと通信の融合」にあります。通信モデムを内蔵し、対戦ゲームや多人数参加型のロールプレイングゲームなど、高速回線を使ったネットワークゲームを可能にしました。来るべき高速通信時代に適応したコンセプトを一足先駆けて実現したのです。
スペック面でもライバル機を圧倒していました。ゲーム機のOSとしては世界で初となるマイクロソフト「ウィンドウズCE」や、NECとビデオロジック社が共同開発した「PowerVR2」を搭載。ほかのゲーム機にはない立体感に富んだ3次元映像が楽しめました。
セガサターン失敗の要因の1つと言われていたソフトメーカーの巻き込みについてもテコ入れが図られました。ソフトメーカーが参加しやすい環境を整え、入交社長はじめ経営陣が各社を口説いて回りました。プレイステーションのソフトが頭打ちになってきた背景も相まって、約320社のソフトメーカーがドリームキャスト開発に賛同します。この数字はセガサターン立ち上げ時のおよそ2倍です。
ドリームキャスト発売半年前の1998年5月、入交社長は、ソニーや任天堂が新型機をリリースする前に市場を制する意気込みを見せます。販売計画について「発売3カ月で100万台を出荷、1年後には150万台から200万台の販売を計画している」と述べ、さらに、2001年時点のセガ単体での売り上げ目標を5500億円、そのうち3000億円をドリームキャストの関連事業で稼ぎ出すプランを披露しました。
このように、まさにセガの運命を背負ったドリームキャストだったのですが、その裏側で、発売前から暗雲がたれこめていました。
半導体供給に失敗し、最大の販売機会を逃して失速
セガは、秋元康氏を宣伝担当取締役に据えて、コンシューマ事業統括本部副統括本部長だった湯川英一専務をCMキャラクターとして登場させるという奇策に出ます。
少年たちが「セガなんてだっせーよな」「プレステのほうが面白いよな」というセリフを吐くこのCMは、その自虐的な演出によって注目を集めます。
高スペックのハードウェア、話題のCMといった勢いを得て、発売直前には販売店に徹夜組が行列をつくるほどの人気を得ました。
しかし、事態は思わぬ展開を見せます。100万台を目指した年末商戦でしたが、実際にはその半分の50万台しか売れなかったのです。
その原因は、商品の在庫切れ。売るべきタイミングで、売る商品が十分に用意できなかったのです。ゲーム機の心臓と言える半導体チップの開発が大幅に遅れ、発売は間に合ったものの十分な数をそろえられませんでした。
問題の半導体は3次元のグラフィックを支える「PowerVR2」。この半導体の開発の遅れは、ソフトメーカーにも影響を与えます。半導体の仕様によって、ソフト開発の方法が決まっていくからです。
ゲーム機が店頭にない、そしてソフトも少ない。このような状況で年末商戦は失敗に終わります。この出だしのつまずきはあまりに大きいものでした。
さらに、相次ぐ改良作業により半導体の構造は複雑になり、量産してもコストが下がりにくくなってしまいました。ドリームキャストは高コスト体質、つまり利益の出にくい事業と化してしまったのです。
一方で、プレイステーションの後継機「プレイステーション2」や、任天堂の動きも注目され始めます。競合への期待の高まりと反比例するように、ドリームキャスト事業は深刻な赤字に突入していきます。
セガの1999年3月期の最終損益は328億円の赤字となり、2年連続で巨額損失を計上します。これを受け、セガは従業員4000人のうち1000人の削減や、小規模ゲームセンターの閉鎖、新規ゲームセンター出店の停止といった大がかりなリストラ策を発表します。
この追い詰められた状況において、セガは起死回生を狙って3つの打ち手に出ます。
1つ目は、価格の見直しです。希望小売価格を2万9800円から1万9900円に大幅値下げします。1台売るごとに1万円の赤字が出るという状態で、プレイステーション2が出るまでの期間限定とはいえ捨て身の賭けでした。
2つ目は、北米での販売です。価格を日本より50ドル以上安い199ドルに設定し、「通信の融合」をにらんでAT&T社と提携します。ネットワークゲームの市場が立ち上がりつつある北米での勝負に出たのです。
3つ目は、高速ネットワーク環境の整備です。セガはCSKとともに200億円を投入し日米欧にサーバーを設置。高速低遅延のネットワークを構築し、ドリームキャストが快適に遊べる環境の構築を目指しました。
ゲーム機から撤退、サミーと経営統合へ
しかし、無情にも国内販売は復活せず不振は継続。アメリカではそれなりの反応を得るものの販売促進費用が収益を圧迫し、シェアを奪う前に資金面で行き詰まってしまうのです。
セガの2000年3月期の連結決算は449億円の赤字となり、3期連続の大赤字。キャッシュが底をついたセガは、第三者割当増資という形で、大川会長個人、そして親会社のCSKからそれぞれ506億円(合計1013億円)を調達します。入交氏はその責任を取って2000年5月に社長を退任します。
2001年1月、セガは4期連続の最終赤字が確実となった段階で、ドリームキャストの生産中止を発表し、ゲーム機事業からの撤退を発表しました。
経営低迷により単独での生き残りを諦めざるをえなくなったセガは、2004年5月、セガサミーホールディングスとしてサミーとの経営統合を発表し、新たな道へと進んでいくのです。
当時社長だった入交氏は、ドリームキャスト失敗の最大の要因をグラフィックス用の半導体の「誤算」にあったと後日語っています。半導体がうまく機能せずにスケジュールがずれ込んだことで、ハードウェアもソフトウェアも十分にそろえることができずに、最大の勝負のタイミングで売り逃しをしてしまった。計算をすべて狂わせてしまったのです。
実態として、どう機能しなかったのか、なぜ機能しなかったのかはテクニカルな話になるのでここでは置いておきます。問題は、このようにプロジェクトの柱となるハードウェアの心臓部分の管理が不十分だったことにあります。
年末商戦がすべてを決めるゲーム業界、そしてプレイステーション2が出る前に市場を制するためには、1998年11月27日という発売時期は動かせなかったはず。スケジュールの実現には、ソフトウェア開発などの後工程にも影響するグラフィックス用半導体のマネジメントは最重要課題でした。しかし実際には管理が甘く、致命傷になってしまいました。
組織の「実行力」は、ほかの工程にまで影響を与える「ボトルネック」をコントロールできるかにかかっています。「ゲームと通信の融合」というコンセプトを描いたセガの構想力には素晴らしいものがありました。しかし、それを実現するための実行力というピースが欠けていたのでしょう。
入交氏は当時を振り返ってこう語ります。
「最初に歯車が狂うとその修正がいかに難しいかを身をもって知ったのがドリームキャスト事業でした」
この言葉は、すべてのビジネスに通用します。最初の歯車をスムーズに回せるかどうか。そこには、ボトルネックを正確に見極めて、それを確実に前進させていく企業の実行力が問われているのです。
「実行力」の正体とは?
私たちが関与しているプロジェクトの多くは、スケジュールがタイトであり、限られたリソースの中で行われるものです。外部の関係者が関与するケースもあるでしょう。
そんな状況では、すべてのタスクを等しく扱ってはいけません。工程の中でいちばん重要でほかに影響を与える「ボトルネック」を見極め、そのタスクをさらに分解して、最重要部分に対して優先的にリソースを張りながらリーダーがタイムリーに指示をしていくことが重要です。
プロジェクトの大小に関係なく、この「タスクの分解」「ボトルネックの見極め」「リーダーの関与」ができていない仕事は何らかの破綻を迎えます。これが「実行力」の正体にほかなりません。
このドリームキャストの壮大な失敗は、残念な結果ではありましたが、私たちに「実行力」の本質を考えさせる事例です。