香川、乾、家長、清武が揃った“2010年セレッソ”を元日本代表・播戸竜二氏が回顧「あいつらが海外に行けたのは…」
シーズン再開を待ちわびているJリーグファンを楽しませているのが、過去の名勝負を放送する「DAZN」の「Re-Live」だ。現在配信中の2010年シーズン第12節、セレッソ大阪対ヴィッセル神戸で解説を務め、C大阪の一員としてこの一戦でゴールも挙げた元日本代表の播戸竜二氏に当時のエピソードを伺った。ドルトムント移籍のため、これがJリーグ最後の試合となった香川真司(現サラゴサ)が決めた“惜別のFK弾”にまつわる裏話とは――。
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――2010年は移籍1年目です。ガンバを離れた理由は?
「理由はシンプルで、2009年シーズンで契約満了なったんです。その年の10月頃に言われたんですよ、契約更新はないと。プロで最初のクラブだし、戻ってきて4年間やって、まがりなりにもチームに貢献していたという自負もあったので、そりゃあ傷つきましたよ。その時、僕は30歳だったんですが、同じ年に遠藤(保仁)、橋本(英郎)、加地(亮)がいて、二個上には明神(智和)さん、一個上には山口(智)さん、一個下には二川(孝広)、藤ヶ谷(陽介)と、30歳前後の選手が多かったんですよ。当時の山本浩靖強化部長の気持ちも分かります。世代交代もしていかなきゃいけないですし。いま言ったメンバーの中で、誰を最初に契約満了にするか、となった時に自分だったんです」
――新天地に選んだのが、ライバルのセレッソでした。
「ちょうど2010年にJリーグの移籍制度が変更されたんです。それまでは、30歳になったら移籍金なしで移籍できるというルールだったんですけど、僕らが30歳になった途端、それが撤廃になって、契約切れの選手は、年齢に関係なく誰でもフリーで移籍できるようになった。そうなったら、わざわざ30歳の選手を獲得しようとは思わないですよね。『どうしよう』と思ってた時に、セレッソが声を掛けてくれたんです。当時の強化部長の梶野(智)さんと藤田(信良)社長が、『ガンバでチームのために戦って、ムードメーカーもやって、結果も出していた。若い選手が多いセレッソには、この経験が必要や』と。それで、移籍することになったんです」
――加入当初はどんな印象でしたか?
「正直、移籍するまでセレッソに対しては、そこまでイメージがなかったんですよ。ライバルクラブというのと、ユニホームがピンクだというのは分かってましたけど(笑)。若くて活きの良い選手が多いみたいな話は聞いてましたけど、『どんな感じなの?』みたいな感じやったんですよ。ところがどっこい、加入してみると、香川真司と乾貴士の二枚看板がいて、家長昭博、清武弘嗣も移籍してきて、新人で扇原(貴宏)や永井龍が入ってきて、その上には山口蛍や丸橋(祐介)がいて、『おっ、なんか若くてええ選手いるやん』みたいな感じでしたね」
――レヴィー・クルピ監督の印象は?
「セレッソはクルピ、クルピと言ってましたけど、全くどんな監督か分からなかったんですよ。実際に行ってみると、若手を使うのが上手いな、と。その気にさせるんですよ。彼らに対して数字の目標設定をするんですよ。フォワードは年間に10点から15点、これはマストやと。シャドーなら、8点から13点とかね。若いやつらはそれをクリアしようと思って、どんどん伸びていきましたから。
良かったら若手をどんどん使っていくし、僕みたいなベテランにもちゃんとコミュニケーションをとってくれる。『バンはチャンピオンや、勝利のメンタリティーを持ってる。それをお前ら学べ、コイツの練習の態度、手を抜かへんやないか』みたいな感じで言うんですよ。こっちも気持ちええから、『レヴィーのために頑張ろか』となるわけですよ」
――2010年は移籍1年目です。ガンバを離れた理由は?
「理由はシンプルで、2009年シーズンで契約満了なったんです。その年の10月頃に言われたんですよ、契約更新はないと。プロで最初のクラブだし、戻ってきて4年間やって、まがりなりにもチームに貢献していたという自負もあったので、そりゃあ傷つきましたよ。その時、僕は30歳だったんですが、同じ年に遠藤(保仁)、橋本(英郎)、加地(亮)がいて、二個上には明神(智和)さん、一個上には山口(智)さん、一個下には二川(孝広)、藤ヶ谷(陽介)と、30歳前後の選手が多かったんですよ。当時の山本浩靖強化部長の気持ちも分かります。世代交代もしていかなきゃいけないですし。いま言ったメンバーの中で、誰を最初に契約満了にするか、となった時に自分だったんです」
――新天地に選んだのが、ライバルのセレッソでした。
「ちょうど2010年にJリーグの移籍制度が変更されたんです。それまでは、30歳になったら移籍金なしで移籍できるというルールだったんですけど、僕らが30歳になった途端、それが撤廃になって、契約切れの選手は、年齢に関係なく誰でもフリーで移籍できるようになった。そうなったら、わざわざ30歳の選手を獲得しようとは思わないですよね。『どうしよう』と思ってた時に、セレッソが声を掛けてくれたんです。当時の強化部長の梶野(智)さんと藤田(信良)社長が、『ガンバでチームのために戦って、ムードメーカーもやって、結果も出していた。若い選手が多いセレッソには、この経験が必要や』と。それで、移籍することになったんです」
――加入当初はどんな印象でしたか?
「正直、移籍するまでセレッソに対しては、そこまでイメージがなかったんですよ。ライバルクラブというのと、ユニホームがピンクだというのは分かってましたけど(笑)。若くて活きの良い選手が多いみたいな話は聞いてましたけど、『どんな感じなの?』みたいな感じやったんですよ。ところがどっこい、加入してみると、香川真司と乾貴士の二枚看板がいて、家長昭博、清武弘嗣も移籍してきて、新人で扇原(貴宏)や永井龍が入ってきて、その上には山口蛍や丸橋(祐介)がいて、『おっ、なんか若くてええ選手いるやん』みたいな感じでしたね」
――レヴィー・クルピ監督の印象は?
「セレッソはクルピ、クルピと言ってましたけど、全くどんな監督か分からなかったんですよ。実際に行ってみると、若手を使うのが上手いな、と。その気にさせるんですよ。彼らに対して数字の目標設定をするんですよ。フォワードは年間に10点から15点、これはマストやと。シャドーなら、8点から13点とかね。若いやつらはそれをクリアしようと思って、どんどん伸びていきましたから。
良かったら若手をどんどん使っていくし、僕みたいなベテランにもちゃんとコミュニケーションをとってくれる。『バンはチャンピオンや、勝利のメンタリティーを持ってる。それをお前ら学べ、コイツの練習の態度、手を抜かへんやないか』みたいな感じで言うんですよ。こっちも気持ちええから、『レヴィーのために頑張ろか』となるわけですよ」