昭和の時代の懐かしい固定電話

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「懐かしいなあ。電話帳で自分と同じ苗字の人が何人いるか、調べたものでした」「好きだった子と同じ名前の家に片っ端から電話しました。今ならストーカーですね」

NTT東日本と西日本は2020年6月18日、50音別電話帳「ハローページ」の発行を終了すると発表した。日本で初めて電話帳が発行されたのは1890年以来、130年の歴史に幕を閉じることになる。

スマートフォンやSNSの普及で役割を終えたと言えばそれまでだが、ネット上では「お疲れさま」と惜しむ声があふれている。

「いまや存在しない息子からの電話ばかりです」

NTT東西の発表によると、スマートフォンの普及などに伴って固定電話の利用が減ったほか、個人情報保護に関する社会的意識が高まり、電話帳そのものの需要が激減したことが廃止の理由だ。

2020年の発行部数は119万部で、ピークだった2005年(6500万部)の約1.9%にまで落ち込んだ。

「企業名編」「個人名編」ともに、2021年10月以降に最終版を発行し、その後は制作と配布を行わない。電子化も予定していないという。

NTT東西のホームページによると、日本で初めて電話帳が発行されたのは明治23(1890)年。「電話加入者人名表」という197人の電話番号と名前が掲載された1枚の紙だった。電話そのものが珍しく、加入者が少なかった。電話番号1番の東京府庁から始まり、官公庁や新聞社、銀行に交じって、渋沢栄一や大隈重信など、近代日本を代表する人物の名前が並んでいた。

1983(昭和58)年に電話帳の愛称を一般公募し、職業別電話帳「タウンページ」と、50音別電話帳「ハローページ」(企業名編&個人名編)の名称が決定した。ただ、「タウンページ」のほうは「発行部数は落ち込んでいるもののニーズはあるため、冊子での発行を継続する」としている。

ネット上では、懐かしむ声が圧倒的に多い。

「時代でしょうね。お疲れさまです。確かに今のご時勢、電話番号なんて公開されたら毎日毎日不動産投資とか節税、存在しない息子からの電話などなどばかりかかってきそうです」
「携帯電話が普及し始めた時点で公衆電話と同じようになくなっていく運命だった。携帯がない時代には、うっかり取引先の名刺とか親戚関係の電話番号忘れたときでも調べるのに役立ったけど、いまやそんな必要もない。最近では詐欺グループの情報源にしかなっていない状態でしたから」

電話帳を調べて「印鑑を落としませんでしたか?」

電話帳を使って遊んだ思い出のある人が、とても多い。

「幼少期、自分と同じ苗字の人の名前を見て、何人いるかを数えたり、珍しい名前を見つけたりして遊んでいました」
「私は割と珍しい名字なので、自分の市には1世帯、周りの市にも数えるほどでした。だから同士がいると嬉しかった思い出があります」
「30年ほど前になりますが、自由研究で自分の住んでいる市と母の親元の市とで名字を集計して比較というのをやったなーと。どっちも佐藤さん、鈴木さんはあんまり多くなかったです。地域性ですね」

電話帳の意外な効用に助けられた人もいた。

「20年以上前のことですが、父が帰宅すると、あるコンビニから電話がありました。『もしかしたら印鑑落としませんでしたか?』と。店員さんが印鑑を拾ってくれて、電話帳で調べたところ、市内に一軒しかない名字のため、きっと当家だろうと連絡してくれたのです。おっちょこちょいな父は大急ぎでお礼のお菓子を持ってそのお店に行き、ニコニコ顔で帰ってきました。店員さんと電話帳に感謝という昔話でした」
「昔、ハローページ配達交換のバイトを2週間、真夏にやったことがあります。袋に3、4冊ほど入れて片手に1袋ずつ持って4階くらいの階段を上り下りしました。当時お金がなかった私は白飯しか食べられない時もあり、ぶっ倒れそうになりながら配ったものです。今はそんな苦労がバカバカしくなるほど、電話帳以上の情報が片手に収まる時代になりましたね。それでも長い間、電話帳が社会で果たしてきた役割は言葉で言い表せないほど大きかった。多くの人々が電話帳を通じてつながっていたと思います」

昔の学級名簿には親の最終学歴、会社の役職名まであった

今では個人情報が問題になるが、昔はこんなふうに開けっぴろげだった。

「今では固定電話を持たない保護者が増えてきたし、私の子の学校の連絡網はプライバシー保護の点から廃止。代わりに学校からの一斉メールという形になっている。私が高校時代は、名簿に住所、電話番号、保護者名(続柄に職業まで)載っていた。個人情報駄々漏れ!つい最近出てきて恐ろしいと思った。でも私の親世代の高校卒業生(OB)名簿を見ると、就職先まで載っていたのにはびっくりした」
「私の中学校の学級名簿には保護者の氏名のほかに、職業欄と会社の役職名及び最終学歴を記入する欄もありましたよ。今では考えられない昭和40〜50年代の実話です。PTA役員を選出するのに役に立ったようですが」
「卒業アルバムには先生を含め全員の住所と電話番号が載っていた。有名人でさえ、たとえば野球選手のファンレターの送り先が自宅住所だったり、芸能人に弟子入りするためにその人の家に直接行ったり。卒業アルバムを見ればそれができた。個人情報という概念自体がなかったから、普通に公開されていた」
「雑誌の投書にも名前と電話番号、住所、番地まで詳しく載せていたのもあったね。なかでも文通希望の欄にそこまで載せて、よく問題にならなかったと思う」

「昭和」という時代を、こう説明する人がいた。

「大げさな言い方をすると、昭和のころまでは個人情報を社会で共有していたようなものですね。まず、引っ越すとおまわりさんが回ってきて、戸籍調査とか家族構成から勤め先から洗いざらい聞いていった。交番管内の全家庭のデータが簿冊にまとめられて、これが防犯活動の基礎。一種の社会主義国みたいだね。学校や町内で名簿を配るのは当たり前でした。私が加入した日本アマチュア無線連盟では氏名、住所、電話番号の個人情報は、全国の会員数万人が冊子で共有していました。今では自分の同僚の住所さえ、わからない人が大半です」

力自慢のプロレスラーが真っ二つに引き裂く効用も

そのかわり、よからぬ輩に被害を受けることも多かった。

「高校生の頃、私の名字と住んでいる地域を知った男性が、同じ名字に片っ端から電話をかけて、探し出された。その後からストーカー行為が始まり、親の助けも借りて何とか事なきを得ましたが、すごく怖かったです。一方的に個人情報を開示されていた時代、今思うと考えられないですね」
「旅先で出会ってワンナイトラブでもう一度会いたいからと探し出したオトコを知っている。昔だと大きなNTT(電電公社というのかな)に行けば、他の地域の電話帳も見られたんだってさ。ストーカーしていたかもね」
「そういえば、映画『ターミネーター』も電話帳で『サラ・コナー』を探して片っ端から襲っていたな」
「この間テレビでやっていた映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』でもドクの番号調べていましたね。これから先の若い人は映画を見て、あの電話の横に置いてある辞書みたいな本なに? となるのですかね。今の私達が、交換手に繋いでもらう電話が不思議な感じがするように」

また、電話帳には別の効用もあった。

「昔テレビで力自慢をするのに、分厚い電話帳を真っ二つに引きちぎるっていうのがありましたね。プロレスラーのディック・ザ・ブルーザーが来日した時、葉巻をくゆらせながら、分厚い東京都の電話帳をいきなり引き裂いたのには圧倒されました。これからのプロレスラーは、スマホを真っ二つに折るのでしょうかね」

(福田和郎)