志村けん、ドリフ付き人時代に「実は萩本欽一さんが好き」
4月6日放送の『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』(ニッポン放送)で、高田文夫が、亡くなった志村けんさんの秘話を明かした。
高田は放送作家として若手の頃、ザ・ドリフターズの稽古場に預けられて、通った時期があったという。志村さんは先に「ボーヤ」と呼ばれる付き人になっており、その後、井山淳さんとお笑いコンビ・マックボンボンを結成する。
高田は当時の志村さんについて「ドリフターズの弟子なのに、やってることはコント55号なんだよ。志村に『どうなってんの?』って言ったら、(志村さんは)『俺、実は、萩本欽一さんが好きなんだ』って(笑)」と話す。
さらに、志村さんは「いかりや(長介)なんかバカ野郎」と言っていたという。若い頃の志村さんは、ちゃきちゃきの江戸っ子だったいかりやさんから、「お前なんか田舎っぺじゃねえか」と追い詰められていたという。
東京都東村山市出身の志村さんが、地元の東村山音頭を歌うと、当初はいかりやさんから「なんだ、その田舎くせえ歌は」と言われた。だが、次第に「それ面白いな」となり、2番をいかりやさんがアドリブで作り、さらに志村さんが「いっちょめ、いっちょめ、わーお!」などをオリジナルで付け足し、大ブレイクしたという。
志村さんが世に出る前から懇意だったからこそのエピソードを明かした高田。今後も秘話を語ってくれることに期待したい。