高島忠夫さんが残した「ファミリーの未来」高嶋政伸が語った晩年の姿
《母曰く最後は眠るように旅立っていった、のがせめてもの救いです》
【写真】昨年5月、高島さんと孫(当時0歳)との交流について話してくれた政伸
《父は、最後まで明るく良く通る声で笑ったり、話したりしながら、大好きだったフリオの歌声に包まれて、本当に穏やかに旅立ちました》
兄の郄嶋政宏、弟の高嶋政伸がそれぞれ事務所を通じてコメントを発表した。彼らの父であり、昭和のスターである高島忠夫さんが6月28日、88歳で亡くなった。
「その日だけ、普段は閉まっている高島さん宅のシャッターが夜まで開いていたので、珍しいなと思っていました。普段は見かけない緑色の高級車も止まっていました」(近所の住民)
輝かしい芸能生活
高島さんが宝塚歌劇団の元トップスターで女優の寿美花代と結婚したのは、'63年。
「芸能界きってのおしどり夫婦でした。もともと映画や舞台で活躍していたおふたりが夫婦でテレビに出演するようになると、その親しみやすさからお茶の間でも人気になりました」(スポーツ紙記者)
'71年から、夫婦で出演する料理番組『ごちそうさま』(日本テレビ系)がスタートし、'98年まで続く長寿番組になった。当時のことを知る芸能ジャーナリストの佐々木博之さんは、こう話す。
「スラッと背が高くて、見た目は映画スターでも、まったく偉ぶらなかった。スタッフにとってはすごく仕事のしやすい人でしたよ。だからこんなにも番組が長く続いたんだと思います」
'65年には政宏、'66年に政伸が誕生し、ふたりとも俳優の道へ進む。前出の佐々木さんが続ける。
「高島ファミリーは、芸能人のセレブ一家の“さきがけ”ですよね。しかも、全員が第一線で活躍していた。スキャンダルもほとんどなかったし、絵に描いたような理想の家族だったと思います」
幸せいっぱいに見える高島さんも、その裏では病と闘い続ける人生でもあった。
「暴飲暴食がたたって糖尿病に。さらに'98年には重いうつ病となり、25年間続いたフジテレビ系の映画番組『ゴールデン洋画劇場』の解説も降板して、治療に専念していました」(テレビ誌ライター)
'07年に復帰を果たすが、今度はパーキンソン病になってしまう。
「高島さんはもう芸能活動を続けることはできないと、表舞台から姿を消してしまいます。追い打ちをかけるように'10年には不整脈が発覚。心臓にペースメーカーを取りつける手術を受けていました」(芸能プロ関係者)
寿美は献身的に高島さんの世話を続けていたという。
「足元がおぼつかない夫を支えてリハビリをアシストしたり、インスリン注射の手助けまでしていました」(同・芸能プロ関係者)
5年ほど前までは、高島さんの姿は自宅の近所でよく見られていた。行きつけの理髪店では、
「毎月、ご自宅から歩いて来ていただいていました。でも、高島さんの体調がだんだん悪くなって杖をつくように。ある日、ヘルパーさんがうちの店までお迎えに来ていたんですが、高島さんはそれがイヤだったみたいで……」
ヘルパーを先に帰してしまったことを知った寿美は、
「車でわざわざ迎えに来ていました。仲睦まじい夫婦でしたね」(理髪店の店主)
そんな高島さんを介護し続けていた寿美も、いつしか“介護される側”に─。
「高島さんが介護施設に入り、自宅には寿美さんがおひとりで住んでいるけど、自宅介護の状態だと言われていました」(テレビ局関係者)
昨年4月、『週刊女性』は“ダブル介護”に直面しているという高島さん夫妻を取材。すると、高島さん宅に、ヘルパーや医師、看護師が訪問して来る姿を何度もキャッチしていた。
政伸がテレビで語っていたこと
5月上旬、政伸に話を聞くと、高島さんの介護施設への入所は否定しつつも、
「2人とも高齢ですから。1週間に1回、お医者さまに訪問してもらい、体調を診てもらっています。でも、カレーとかステーキとかも食べるし、普通に暮らしていますよ」
ただ、自分たちだけで家事などをこなすことは身体的に難しくなっていた。
「ホームヘルパーさんに1週間を3人交代で入ってもらい、主に生活援助をしてもらっています。僕たちがいろいろ調べて、介護保険の範囲内でお願いできる訪問介護のサービスを見つけて利用するようになりました」
食事の準備や後片づけ、掃除や洗濯など家事全般をヘルパーさんにお願いしていたという。
その後も、『週刊女性』は高島さん夫妻の取材を続けていた。
昨年10月ごろには、高島さん宅に救急車が駆けつける事態もあったという。
「何度か救急車が来て、高島さんが緊急入院していたこともあったそうです。でも、数日すると自宅に戻られていましたね。普段はヘルパーさんが大人用の紙オムツを持ってきたり、介護用ユニットバスが搬入されたりしています」(別の近所の住民)
高島さん同様、寿美も今はかなり衰弱しているのかもしれない─。だが、政伸は直撃取材にこんな話もしていた。
「仕事の合間を縫って、時間があるときは実家を訪問しています。子どもも連れていくようにしているんです」
'15年、政伸は14歳年下の一般女性と再婚し、'17年8月に男児を授かっている。
「やっぱり孫の顔を見るとより一層、元気になってくれますよ!」
高島さん夫妻は、初孫誕生の喜びを近しい人にも伝えていた。
「お孫さんが生まれて、お祝いで高島さん宅を訪れたら、“ありがとう。うれしい”と、本当にいい笑顔でした。今もその顔が頭から離れません」
政伸は、息子が生まれた直後に出演したテレビ番組で、初孫を両親に初めて会わせたときのことを話していた。
「寿美さんは涙を流して喜んだそうです。忠夫さんも、とにかくうれしそうに“この子は必ずスーパースターになる!”と太鼓判を押してくれたんだとか」(テレビ局制作スタッフ)
芸能レポーターの石川敏男さんも、こう話す。
「兄の政宏くんが芸能界に入るとき、雑誌の撮影には高島さんが最初から最後までくっついてきて(笑)。息子が芸能界入りすることがよっぽどうれしかったんだと思いますよ。だから、お孫さんにだって、芸能界の道を進んでほしいと思っていたはず」
父から息子、そして孫へ。脈々と受け継がれるスターの遺伝子─。高島ファミリーの第二幕も、華やかになっていきそうだ。