働き方改革によって日本の「長時間労働」は是正されつつあるが、一方で政府は日本人の長“期間”労働の促進に舵を切ろうとしている。(文・溝上憲文編集委員)

 15〜64歳の生産年齢人口は1990年代には8700万人だったが、2016年には7600万人と26年で1割強も減っている。長期見通しでは2036年には6200万人に減少すると見込まれている(国立社会保障・人口問題研究所)。労働人口の減少が生産性の低下を招き、経済規模の縮小をもたらすのは経済学の常識だ。 経済規模が縮小すれば税収も減少する。もう1つの課題は日本の高齢化がもたらす社会保障給付の増大だ。減少する現役世代の負担で賄っている年金・医療の持続可能性が危うくなる。こうした2つの課題を同時に解決するには高齢者も働いてもらうことだ。高齢者が働けば生産性や税収の低下を補うだけではなく、医療・年金保険料も徴収できるうえに給付額の減少にもつながる。

 しかし、その大前提は高齢者が働く気になることだ。政府は高齢者の就業率を上げるために昨年から今年にかけて政策的に誘導する方向で動き始めている。 2017年4月に財務省の財政制度審議会で公的年金の支給開始年齢を現行の65歳から68歳に引き上げる案が浮上したが、今後の年金改革の争点になるだろう。また、今年6月発表の政府の骨太方針(経済財政運営と改革の基本方針2018)に「65歳以上への継続雇用年齢の引き上げに向けて環境整備を進める」ことが盛り込まれた。さらに10月5日に開催された安倍晋三首相を議長とする「未来投資会議」では継続雇用年齢を65歳以上に引き上げる法改正について議論することが決まっている。

 これを実現するには法律的な仕掛けが必要になる。現在の法定の定年年齢は60歳だが、06年に高年齢者雇用安定法の改正により、65歳までの雇用確保義務が設けられた。企業は定年の引き上げ、継続雇用制度の導入、定年の廃止の3つからいずれか選ぶ必要がある。2013年4月からは、希望者全員の65歳までの雇用確保が義務づけられた。 だが、ほとんどの企業が選択しているのは再雇用制度などの継続雇用制度だ。定年年齢が60歳の企業が約8割を占め、定年年齢が65歳以上の企業は17.0%、定年のない企業と合わせても2割にも満たない(厚生労働省「平成29年高年齢者の雇用状況」)

 じつは65歳までの雇用確保義務は、年金支給開始年齢の引き上げ(報酬比例部分)による無年金状態を解消するための措置であった。その効果もあって、60歳前半の就業率は約76%にまで延びている。もし公的年金の支給が70歳近くに引き上げられると、当然政府は法定定年年齢を65歳に引き上げる公算が高い。その上で年金支給年齢に合わせて、従来の65歳までの雇用確保義務を70歳まで延長したいというのが政府の目論見だ。

 東京大学の川口大司教授(労働経済学)も政府が60歳代後半の就業率を引き上げるために政策誘導するシナリオとして「高年齢者雇用安定法の改正の例にならい、定年年齢の70歳までの引き上げ、あるいは継続雇用制度による70歳までの雇用確保措置を企業に求めることが選択肢として浮上するだろう」と指摘している(『日本経済新聞』2018年10月4日付朝刊)。 最近は65歳まで定年延長する企業が徐々に増えている。2016年と17年の2年間に65歳以上に定年を引き上げた企業は2000社強に上っている。ではなぜ定年年齢を引き上げたのか。独立行政法人高齢・障害・求職者雇用支援機構の「定年引き上げ等実施企業調査(1840社)」によると、70%超が「高齢社員に働いてもらうことにより、人手を確保するため」と答えている(複数回答)。

 人手不足の中で高齢者を戦力として積極的に活用しようという企業が多いが、一方では公的年金の支給開始年齢の70歳近くへの引き上げが取りざたされる中で、それに備えて引き上げる企業もある。昨年、65歳定年制を導入した大手機械メーカーの人事担当役員は「いずれ現在の60歳定年から65歳定年になり、さらには70歳雇用が当たり前になります。そうなる前に今から準備している」と語る。 だが、いかに人手不足とはいえ、多くの企業にとっては70歳までの雇用は人件費の負担も大きい。今以上の法的な雇用年齢の引き上げを望まない企業も多い。