闘牛の「リングネーム化」が進む徳之島 ダイナマイト白龍、海帆汐千パンダ、大尊タイガース...
闘牛といえばスペインと言いたいところだが、実は日本でも各地で行われている。基本的に闘牛同士が角突きなどで戦うスタイルで、岩手県久慈市や島根県隠岐島、沖縄などの闘牛は有名で、新潟県長岡市の「牛の角突き」などは国の重要無形民俗文化財に指定されているほどだ。
奄美群島にある鹿児島県徳之島町もそんな闘牛文化のある地域のひとつ。同島の観光や文化、特産品を紹介するサイト「遠くの島、徳之島。」には「牛が好き」という闘牛情報ページがあり、闘牛大会の情報が頻繁に公開されている。
そこに登場する闘牛たちの名前が一番星感というか、爆走感というか、なかなかハードに攻めているのだ。
100の説明より1の実物だ(提供:徳之島町地域営業課)
名前のつけられる理由はさまざま
牛たちが、まさかずっとこの名前で育ててきているとは考えにくい。モモとか花子の中にダイナマイト白龍がいたら、どんな気持ちで呼べばいいのか、記者にはちょっと想像できない。恐らくはリングネームだろう。
それにしても、どんな感じで名前が決まるのか気になる。Jタウンネット編集部は、徳之島町の闘牛に関する情報を扱う地域営業課に取材を行ったところ、担当者は「最近は振り仮名がないと読み方がわからない、という年配の方からのご意見もあります」と笑いながら答えてくれた。
とはいえ、昔からこういった名前がつけられていたわけではない。
「戦前戦後のころは牛主の名前をそのまま付ける例が多く、山田さんであれば山田牛などとしていました。もともと闘牛は趣味や娯楽の範疇ですので、出場する牛も各々が飼育している農耕牛1頭程度だったのですが、闘牛場が設置され興行化が進んだことで、出場頭数が増え、牛主も複数の牛を飼育するようになり、リングネーム化が進みました」
最初は地区名や「○○牛1号」「2号」などとしていたが、興行としての華やかさやかっこよさも求められるようになり、現在の形になっていったわけだ。もちろん、現在でも牛主の名前や地区名が入った牛もいるので、すべての牛がド派手なわけではない。
ちなみに、牛主は基本的にオーナー兼調教師兼飼育係、とすべてを兼ねる存在で、本業は肉用牛を飼育している人が多い。そのため、抽選会の賞品などに肉牛の人工授精種(牡牛の精子)などが用意されている。
お金を払って飼育場所を用意してもらっている牛主や、本人は島外に住んでいて、いわゆる馬主のように世話金を支払っている人もおり、埼玉や大阪などの地区名が入ることもあるという。
いわゆる「お金がかかる趣味」なので、複数人の若者がお金を出し合ってグループで牛主となり、団体名を牛の名前にすることもあったりと、牛の命名に明確なルールなどがあるわけではない。基本的には牛主の自由だ。自分の子どものために飼育した牛だからと、子どもの名前をつけている人もいるとのこと。
5月に行われたミニ軽量級(700キロ級)の対戦表。見ているだけでテンションが上がる(提供:徳之島町地域営業課)
「勝っている牛はそのままですが、負けた牛は名前を変えることがあります。とても強い牛であれば、全島一チャンピオン(総合優勝的なもの)を目指す牛主などにトレードされることがあり、その場合も名前か変わることがありますね。正月などのおめでたい時期や、お子さんの入学や卒業、成人のタイミングなどに『卒業記念』などの名前をつける場合もあります」
競走馬などのように、代々強い血統の名前を、子孫にあたる牛が引き継いでいくという例もある。
かつては経済力のある家の証だったという闘牛だが、強い牛の牛主であることが栄誉であることは現在でも変わらない。人気のある牛同士の対決には大勢の観客が押し寄せ、無名でも会場を沸かせるような戦いをした牛は、一気に人気者になるという。
牛たちのパワフルな名前には、「どの牛より強くなってほしい」という牛主の思いが込められているのだろう。