『スノーデン 日本への警告』出版記念イベントで青木理氏(右)と山田健太氏が共謀罪成立で訪れる「監視社会の恐怖」を語った

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「携帯はあなたの情報を政府に知らせています」――ギョッとする帯文が目に飛び込む、『スノーデン 日本への警告』(集英社新書)が話題を集めている。

エドワード・スノーデン氏は、2013年にアメリカ政府が全世界の一般市民を対象に大規模な監視体制を構築していた事実を暴露した「スノーデン・リーク」で世界を震撼させた元情報局員。

本書は、第一章でスノーデン氏が日本人に向けて深刻な監視社会の実情を解説し、第二章は国内外のジャーナリストらによるディスカッションという構成となっている。折しも、日本では政府が「共謀罪」の成立を急いでおり、アメリカのような監視社会はもはや対岸の火事とは言えなくなってきた。

出版を記念し、共著者のひとりであるジャーナリストの青木理氏、そして専修大学人文・ジャーナリズム学科教授の山田健太氏によるトークイベントが行なわれた。そこで語られた、日本の市民社会の危機とは――。

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山田 皆さん、4月24日にエドワード・スノーデン氏本人が発信したツイートをご覧になりましたか?

《無差別監視の問題に関心をもつ日本人の皆様、ありがとうございます。私は深く感謝しています。この本の利益はJCLU(自由人権協会)に寄付しました。JCLUの人権擁護を是非、サポートしてください!》

さすが、元スパイ(笑)、日本語でツイートしています。このツイートにある「この本」というのが『スノーデン 日本への警告』で、本書はJCLUが2016年6月4日に東京大学本郷キャンパスで主催した「監視の“今”を考える」というシンポジウムの記録を基にしています。この中で現在、ロシアに滞在するスノーデン氏とのインターネットでの生インタビューが行なわれました。

本日は、著者のひとりである青木理さんをお招きしています。ちょうど今、国会では共謀罪の法案審議が本格化しています。今日はこの問題にも迫っていきたいと思います。

青木 1990年代の半ばから後半にかけて、僕は通信社の記者として警視庁の記者クラブに所属していました。担当は警視庁の公安部。警備公安警察と言われる部署です。

ちょうどオウム真理教の事件が起きた当時で、その捜査に突き進む公安部の実態を目の当たりにしたわけですが、インターネットや携帯電話が一般に普及し始めたのは90年代後半ぐらいですから、僕が取材して知っているのはアナログ的な時代の公安警察…ということを前提にお話をしたいと思います。

当時、警視庁公安部公安第一課には約350人の人員がいました。いわゆる新左翼セクト、中核派とか革労協などが捜査の対象となる部署ですが、90年代半ばといえばすでにソ連は崩壊し、冷戦構造も終結した時代。それなのに、花形部署と言われる刑事部捜査第一課よりも人員が多かった。

共謀罪が成立すれば、今まで新左翼セクトに向けられていたような監視が一般化します。尾行して、携帯番号から家族関係、交友関係、仕事、借金、酒癖、女癖・男癖…そんなところまで徹底的に調べ上げる。そういった限りなく違法に近いような監視活動が、今後は一般市民を対象に行なわれるようになるということなんです。共謀罪は、それに対してある種の法的お墨付きを与えることにもなります。

情報機関というのはある種のモンスターで、よほど政治や社会がコントロールしないと、あっという間に水面下で巨大化して暴走しかねない。まさに米国のNSA(国家安全保障局)はその典型と言えるでしょう。

なぜNSAが暴走したかと言えば、9.11テロがあって、「愛国者法」などというものを作った当時のブッシュ政権が巨大な予算と権限を与えたからです。そうしたらあっという間に、それこそ10年程度で世界中の通信情報をかき集め、果てはドイツのメルケル首相からブラジルの大統領、日本の要人の電話まで盗聴するような組織に育ってしまった。

日本はそうした情報機関を作ってこなかったし、現在も存在していない。それに代わる治安機関が警察であり、その中核を占めてきたのが警備公安警察で、情報機関的な役割を果たしてきました。

山田 かつて新左翼セクトが対象となっていたような違法性の高い捜査について言うと、最近ではムスリムへの監視が表面化し問題になりました。2016年6月に最高裁が、警察当局によるムスリム監視を容認する判決を下しましたが、一番残念だったのは、こういった問題告発の裁判が社会的関心を呼ばないということです。

しかし、この問題は今後ムスリムだけでなく社会全体に一般の人も対象として確実に拡大していく。事実、共謀罪法案の成立に向けた動きは、その状況が加速していることの証左なわけです。

青木 確か神奈川県だったと思いますが、数年前に警察が小学校の通学路を対象として試験的に監視カメラを大量に設置したんです。ある種の社会実験ですね。で、その地域の住民にアンケートを取った。すると、「多少のプライバシーの侵害があっても、子どもたちの安心安全のためには仕方ない」という回答が7、8割にも上ったそうです。気持ちはわからなくもない。しかし、僕は市民社会の劣化を感じます。事実を冷静に直視し、市民としての権利を守ろうとする洞察力の劣化です。

日本社会は治安が悪くなったと言われますが、全くそんなことはない。これだけ景気低迷期が続いて経済格差が広がっていても、不思議なことに治安はいい。日本で起きる殺人事件の件数は戦後一貫して減ってきており、今、警察が把握している殺人事件は年間1千件を割り込んでいます。

実は、その約半数が家族間の殺人なんです。ということは、もし監視カメラに犯罪抑止効果があるのだというなら(僕は抑止力などないと思っていますが)、あるいは監視カメラがあることで被疑者の検挙が容易になるのなら(これは確かに効果的でしょう)、全家庭に監視カメラをつければいいということになる。しかし、そうなると皆さん「いやいや、それは勘弁してくれ」となりますよね。

つまり、皮相な「安心安全」なるものと引き換えに、プライバシーをどこまで売り渡していいのかということを本当に真剣に考える必要がある。誰もが安心安全に暮らしたいと思っているけれど、自由やプライバシーといった最も大切な権利をどこまで譲り渡すのか。

繰り返しますが、治安は全く悪化していない。むしろ戦後、最も治安がいい状態です。なのに自由な思考、自由な思想信条、自由な行動やプライバシーの基盤を易々と切り売りしていいのか。これは人間の尊厳と言ってもいいと思いますが、このバランスが非常に悪くなってしまっている気がします。

このバランスの悪さを、さらに加速させるのが共謀罪です。法律を作ろうとする側は「テロ対策」「安心安全のため」と言うわけですが、治安が悪くなっているわけでもないし、テロが頻発しているわけでもない。起きてもいないことに怯えて、自分から自由を売り渡すのか…これはある種の“平和ボケ”ではないでしょうか。

治安機関とか情報機関というのは実力組織です。警察は北海道から沖縄に至るまで30万人近い人員を配置して全国津々浦々に情報網を張り巡らし、大半の警察官は武器を携行し、機動隊というある種の武装組織も擁(よう)している。人を逮捕したり強制捜査したりする権限も持っている。まさに最大最強の治安機関です。だからこそ、きちんと政治や社会がコントロールしておかないと、ときに暴走して手がつけられなくなる。

仮に権限を与えるにしても、相当慎重に歯止めをかけねばならない。なのに、特定秘密保護法にしても共謀罪にしても、警察組織の恣意的な運用が可能なザル法です。ろくな歯止めもなく、外部からの監視もほとんどない。そういった“武器”を次々と投げ与えている。政治家は本来、警察のような実力組織の怖さ・危険性を認識して、それをどう制御するかに意を注ぐべきだと思いますが、今の政権にはそういった感覚がほとんどない。

かつて後藤田正晴氏が朝日新聞のインタビューで「日本に情報機関は必要だと思うか?」という質問を受けて、こんな趣旨のことを言っています。「日本は平和国家として生きていくために、ウサギの長い耳が必要だ」。

日本にも情報機関が必要だと言っているわけですが、同時に「ただし、今の日本の政治がそれをコントロールできるかと考えると、迷ってしまう」といったことも付言しています。戦前の内務省に入り、戦後も警察庁警務局で一貫して治安機関の中枢を歩んできた彼は、治安機関や情報機関なるものの本質的な危険性を知っていたんでしょう。それと比べ、今の政治家はそういった慎重さがない。

平和ボケというのは、政権が言うような外部からの軍事的脅威に対するものだけではない。自分たちの国の実力組織の潜在的な危険性に対し、市民も政治も、そしておそらくはメディアも想像力が及ばなくなっている。わずか70数年前、日本では軍や治安機関の暴走を政治が適切に制御できなかったから悲惨な戦争に突き進んでしまった。結果、国民や周辺国にも甚大な被害を与えてしまったのです。

山田 まさにその通りだと思います。海外にも特定秘密保護法や共謀罪のような制度はありますが、それを運用する上での制度上の歯止めが用意されているのが一般的です。なぜかというと、役人には情報は隠したがるという性癖があって、それは変えられない。だからこそ歯止めをかけましょうということです。

共謀罪のような法制度がある国でも、その適用範囲を厳格に定めたり、対象となる集団も「犯罪歴がある人たち」などに厳しく限定するといったことをやっています。ところが日本の場合は、そういった歯止めは何もない。

青木 95年3月20日、オウム真理教による地下鉄サリン事件が発生し、僕は公安警察が本気になった時の凄まじさを目の当たりにしました。正確に言うと、3月30日に当時の國松孝次警察庁長官が狙撃されて、ようやく警視庁公安部はオウム真理教の捜査に本気になった。

そうしたら、どうなったか。あらゆる法令を駆使し、“オウム殲滅戦”のような捜査を繰り広げたわけです。カッターナイフを持っていたら銃刀法違反。ホテルに変名で泊まったら私文書偽造。運転免許の住所を移していなかったりすれば、交通違反での逮捕も相次いだ。公安警察が本腰を入れた時の凄まじさというものに僕は驚愕して、『日本の公安警察』(講談社現代新書)を書いたわけですが、逆に言えば、共謀罪などなくたって警察はいくらでも捜査ができることを証明しています。

むしろ、公安警察的な“偏見”がオウムを野放しにしてしまった面もあります。代表例が坂本堤(つつみ)弁護士一家の殺害事件です。89年に坂本弁護士一家が失踪し、自宅にはオウムのバッヂが残されていた。坂本弁護士はオウムの反社会性を追及する活動もしていた。しかも約1年後、実行犯のひとりだった信者が重要情報を警察に内部告発までしていたのです。

なのに、警察は事件を解決できなかった。解決できていれば、松本サリン事件も地下鉄サリン事件も起きていないのだから、責任は重大です。背後には、坂本弁護士の所属事務所が神奈川県警の公安警察官による組織的な盗聴事件を追及していたからだと指摘されています。「共謀罪があればテロが防げる」と政府は主張していますが、オウムの事件ではまさに公安警察的な“偏見”がテロ防止の障害になった疑いがあるのです。

戦後70年、日本は幸いなことに自衛隊や警察が暴走して国民が大きな害を被るという経験をほとんどせずに済んできました。僕は戦後民主主義の歯止めが大きかったと思う。ところが最近、それを忘れつつあるのではないか。「お上に任せておけば安心安全」「警察を信用しろ」。皮相な思考ばかりが蔓延しています。

山田 個人情報というのはプライバシーとほぼ同義ですが、大きく分けて4つのカテゴリーがあります。ひとつは、完全にオープンにしてもいい個人情報。例えば公務員の氏名、政治家の資産状況など。これはプライバシーだけれどもオープンにすることは法的に、あるいは社会慣習として決まっています。

ふたつ目は、私たち一般市民の氏名や住所など。プライバシーだけれども、一定程度は人に知られても仕方ないと考えられているものです。3つ目は、ある具体的な業務に関連して、自分と直接の相手しか知らない情報。例えば自分の健康に関する情報は、自分と担当医師しか知らない。こういった情報は比較的重要な個人情報で、法的にも守秘義務が科せられています。

そして4つ目は、絶対にアンタッチャブル。これに該当するのが「思想・信条の自由」です。これには、第3のカテゴリーにあるような法的な守秘義務は科せられていません。なぜなら、憲法で「絶対に侵してはならない」と定められているからです。収集してもいけないし、監視してもいけないとされているからです。

ところが、今回の共謀罪であったり、青木さんがお話しになった公安警察のこれまでの捜査は、このアンタッチャブルとされている4つ目のカテゴリーに属する個人情報・プライバシーに手を突っ込んでいるわけです。そうなると、社会が当たり前としてきた大原則が壊れてしまう。共謀罪の法案成立という事態に及ぶと、それがどういうふうに変わるのか?

青木 「共謀罪は、一般市民の方々は対象になりません」と首相や法務省は説明しているわけですが、先日、法務副大臣が「対象にならないことにはならないが、ボリュームとしては大変限られる」と言い出した。問題はここで言う「一般市民」が、どういう人たちかということなんです。

例えば、政府の言うことにまったく疑問を抱かず、市民運動などにも近寄らず、選挙では与党に投票する、というような人だったら、それはもちろん監視対象になどならないでしょう。しかし、そこから少しでも外れれば、誰もが監視の対象になり得る。

共謀罪の条文を読んでみるといいでしょう。まず「組織的犯罪集団」の定義が非常に曖昧(あいまい)です。「ふたり以上で集まって、以下に掲げる犯罪の計画をした者」は、基本的にすべて組織的犯罪集団になってしまう。そして「以下に掲げる犯罪」というのは、条文の別表第三というところに列挙されているんですが、その中の「二十九」に次のような記述があります。

《日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定の実施に伴う刑事特別法(昭和二十七年法律第百三十八号)第五条(軍用物の損壊等)の罪》

米軍基地の保護を目的とした、いわゆる刑事特別法です。ならば、沖縄で現在行なわれている基地反対運動に参加している者たちは、間違いなく全員が監視対象になります。「辺野古の埋め立てをさせないため、座り込みでトラックを阻止しよう」などと言えば、間違いなく共謀罪の取り締まり対象です。

また、対象にならなくても、監視をされるだけでとてつもない人権侵害が生じる。具体的に起きたことを話しましょう。ひとつは『日本の公安警察』にも書いたエピソードで、公安部の幹部が半ば自慢げに教えてくれたことです。

ある中央省庁で局長の人事が内定した。ところが局長内定者の中には、かねてから公安部が共産党シンパだと睨む人物がいた。そこで何をしたかというと、精鋭の尾行部隊などを動員し、当該人物の周辺を徹底的に調べた。結果、彼には妻以外の愛人がいることもわかり、密会現場の写真も抑え、当該の中央省庁に警告を発した。「こんなヤツですよ」と。最終的にその人事は取り消しになったそうです。

もうひとつ例を挙げましょう。ある内閣改造があって、ある政治家が国家公安委員長に内定したという情報が入った。国家公安委員長というのは警察を所管する担当大臣です。すると警察庁警備局は、当該の政治家の選挙区がある県警に当該の政治家の周辺情報を徹底的に調べろという指示を発した。警察が本気になれば、あらゆる情報を調べられるでしょう。選挙違反関連、金銭絡みの不正、さらには愛人の有無、性癖。先ほど山田さんが言った個人情報のカテゴライズで言えば、一番知られたくない情報ですが、それを集めることも可能だということです。

そんな情報を警察が握ったらどうなるか。政治家を脅しあげたり、コントロールすることさえ不可能ではない。つい最近、文部科学省の前事務次官が政権のウソを告発しましたが、その直前、この前事務次官が出逢い系バーに通っていたという情報が一部メディアに報じられました。官邸のリークであり、恫喝(どうかつ)の狙いがあったのでしょう。しかし官邸はそんな情報をどうやって掴んだのか。答えは明らかです。

つまり、警察という治安組織、情報組織に歯止めなき強権を与えることの危険性、適切にコントロールできないとどうなるかという問題は、これらの例を見てもわかるように、真剣に考えないといけないということです。

●後編⇒深刻化する日本の「情報隠蔽体質」ーー共謀罪と公安の恐ろしい裏側とは

(取材・文/田中茂朗 撮影/本田雄士)



●『スノーデン 日本への警告』


エドワード・スノーデン、青木理、井桁大介、金昌浩、ベン・ワイズナー、マリコ・ヒロセ、宮下紘

集英社新書 720円+税

●青木理(あおき・おさむ)

1966年長野県生まれ。ジャーナリスト。共同通信社で社会部、外信部、ソウル特派員などを経て、2006年にフリーとなる。J−WAVEの番組「JAM THE WORLD」金曜日のナビゲータ―を務める。著書に『日本の公安警察』(講談社現代新書)『日本会議の正体』(平凡社新書)『安倍三代』(朝日新聞出版)など

●山田健太(やまだ・けんた)

1959年、京都府生まれ。専修大学人文・ジャーナリズム学科教授。日本ペンクラブ常務理事・言論表現委員会委員長、放送批評懇談会、自由人権協会、情報公開クリアリングハウスなどの各理事等を務める。著書に『放送法と権力』『見張塔からずっと』(田畑書店)、『法とジャーナリズム』(学陽書房)、『現代ジャーナリズム辞典』(三省堂)など