「欧州やブラジルからも話はあったが…」元川崎のFWレナチーニョはなぜ“日本の5部リーグ”を選んだのか?
関東1部リーグのVONDS市原に、大物外国人選手が加入した。2008年8月から2010年8月まで川崎フロンターレで活躍した、ブラジルFWのレナチーニョ(本名:レナト・カルロス・マルティンス・ジュニオール)だ。来日翌日の2月24日には、市原市内のクラブハウスで入団記者会見が行われた。
1987年5月14日生まれで現在29歳のレナチ―ニョは、ブラジルの名門サントスの下部出身。同クラブの先輩ロビ―ニョ(現アトレチコ・ミネイロ)の後継者として期待されたほどの才能の持ち主だ。
2年間所属した川崎では公式戦通算で25ゴールを記録。その後は、ポルティモネンセ(ポルトガル)、サンカエターノ(ブラジル)、岡田武史監督が率いた杭州緑城(中国)、レンティスタス(ウルグアイ)、ポルティモネンセ、チェンライ・ユナイテッド(タイ)、スカンデルベウ・コルチャ(アルバニア)を渡り歩き、昨年末にはヴァルジン(ポルトガル2部)を退団。無所属の状態になっていた。
そんなレナチーニョに声を掛けたのが、悲願のJFL昇格のためには攻撃力アップが不可欠で、強力なアタッカーを探していたVONDS市原だった。本人が愛着のある日本への復帰を考えていることを聞きつけると、フリーエージェントで移籍金が掛からないこともあり、ゼムノビッチ・ズドラヴコ監督(元清水エスパルス監督)はもちろん、木村哲昌GM、そして永野祐太郎社長までをも総動員して必死に口説いたという。
とはいえ、かつてJ1で活躍し、その後はヨーロッパ、南米、アジアでキャリアを積み重ねてきた29歳のブラジル人FWと、カテゴリーでいえば日本の5部リーグに当たる関東1部のVONDS市原が契約に漕ぎつけるのは容易ではないだろう。
実際、本人は会見で「VONDS市原から熱心なお話をいただく中でも、ウクライナ、ブラジル、ポルトガルなど様々な国のクラブから正式なオファーがありました。実際にVONDS市原との契約を結ぶ1日前にも、ブラジルの大きなクラブからお話がありました」と明かしている。
それでもレナチーニョが、VONDS市原を選んだのはなぜなのか?
本人はその理由を次のように明かしている。
「VONDS市原からお話をいただいた時に、監督からもGMからも社長からもお電話をいただき、皆さんの考えが共通していました。その共通していた考えが『市原市民のためにこのクラブがある』ということでした。『市原市民のために』、『市原市のために』ということを皆さん常々仰っているところに、すごく共感しました。(新天地を決めるうえで)重要視していたのは、クラブのビジョンであり、その先にある自分自身の未来でした。選手として自分がもっとも貢献できるクラブだと感じたし、自分に一番合っているとも思いました。だからVONDS市原と契約を結びました」
また、永野社長によると、「施設が素晴らしい」、「市民が熱心に応援している」という点も、契約の大きな決め手になったという。
まずは1年契約で34番を背負うレナチーニョに求められるのは、得点源としての役割、そしてその豊富な経験をチームに還元することだ。ゼムノビッチ監督はこう語る。
「彼のグラウンドでのプレーとポジティブな姿勢が、JFL昇格をもたらすと思っています。今年は去年よりも多くのゴールを奪いたいし、レナチーニョ選手がウチの攻撃サッカーを強化してくれることを期待しています。またVONDS市原には若手が多いので、そういった選手にとってはレナチーニョ選手の経験がすごく勉強になる。ブラジル人選手はチームをまとめることが得意ですし、そのような部分でも彼には期待しています」
レナチーニョ自身もそれを重々承知している。
「チームの勝利に貢献する、チームのゴールに貢献するということ以外にも、選手たちに自分の経験を伝えながらよりクラブとして高みを目指せるように、自分のできることをクラブに協力しながらやっていきたいと思っています。クラブだけではなく、市原市、またVONDS市原を応援してくださっている皆さんに大変感謝していますし、その方々のために自分が何をできるのか考えながら、これから勝利のため、チームの目標であるJFL昇格に向かって全力を尽くしていきたいと思います。今回このような機会に関わってくださった皆さんに感謝しながら、1年を戦っていきたいです」
J1をはじめ世界各国で実績を積み重ねてきたブラジル人FWは、日本の5部リーグのクラブにどんな化学反応を起こすのか。注目したい。
1987年5月14日生まれで現在29歳のレナチ―ニョは、ブラジルの名門サントスの下部出身。同クラブの先輩ロビ―ニョ(現アトレチコ・ミネイロ)の後継者として期待されたほどの才能の持ち主だ。
2年間所属した川崎では公式戦通算で25ゴールを記録。その後は、ポルティモネンセ(ポルトガル)、サンカエターノ(ブラジル)、岡田武史監督が率いた杭州緑城(中国)、レンティスタス(ウルグアイ)、ポルティモネンセ、チェンライ・ユナイテッド(タイ)、スカンデルベウ・コルチャ(アルバニア)を渡り歩き、昨年末にはヴァルジン(ポルトガル2部)を退団。無所属の状態になっていた。
そんなレナチーニョに声を掛けたのが、悲願のJFL昇格のためには攻撃力アップが不可欠で、強力なアタッカーを探していたVONDS市原だった。本人が愛着のある日本への復帰を考えていることを聞きつけると、フリーエージェントで移籍金が掛からないこともあり、ゼムノビッチ・ズドラヴコ監督(元清水エスパルス監督)はもちろん、木村哲昌GM、そして永野祐太郎社長までをも総動員して必死に口説いたという。
とはいえ、かつてJ1で活躍し、その後はヨーロッパ、南米、アジアでキャリアを積み重ねてきた29歳のブラジル人FWと、カテゴリーでいえば日本の5部リーグに当たる関東1部のVONDS市原が契約に漕ぎつけるのは容易ではないだろう。
実際、本人は会見で「VONDS市原から熱心なお話をいただく中でも、ウクライナ、ブラジル、ポルトガルなど様々な国のクラブから正式なオファーがありました。実際にVONDS市原との契約を結ぶ1日前にも、ブラジルの大きなクラブからお話がありました」と明かしている。
それでもレナチーニョが、VONDS市原を選んだのはなぜなのか?
本人はその理由を次のように明かしている。
「VONDS市原からお話をいただいた時に、監督からもGMからも社長からもお電話をいただき、皆さんの考えが共通していました。その共通していた考えが『市原市民のためにこのクラブがある』ということでした。『市原市民のために』、『市原市のために』ということを皆さん常々仰っているところに、すごく共感しました。(新天地を決めるうえで)重要視していたのは、クラブのビジョンであり、その先にある自分自身の未来でした。選手として自分がもっとも貢献できるクラブだと感じたし、自分に一番合っているとも思いました。だからVONDS市原と契約を結びました」
また、永野社長によると、「施設が素晴らしい」、「市民が熱心に応援している」という点も、契約の大きな決め手になったという。
まずは1年契約で34番を背負うレナチーニョに求められるのは、得点源としての役割、そしてその豊富な経験をチームに還元することだ。ゼムノビッチ監督はこう語る。
「彼のグラウンドでのプレーとポジティブな姿勢が、JFL昇格をもたらすと思っています。今年は去年よりも多くのゴールを奪いたいし、レナチーニョ選手がウチの攻撃サッカーを強化してくれることを期待しています。またVONDS市原には若手が多いので、そういった選手にとってはレナチーニョ選手の経験がすごく勉強になる。ブラジル人選手はチームをまとめることが得意ですし、そのような部分でも彼には期待しています」
レナチーニョ自身もそれを重々承知している。
「チームの勝利に貢献する、チームのゴールに貢献するということ以外にも、選手たちに自分の経験を伝えながらよりクラブとして高みを目指せるように、自分のできることをクラブに協力しながらやっていきたいと思っています。クラブだけではなく、市原市、またVONDS市原を応援してくださっている皆さんに大変感謝していますし、その方々のために自分が何をできるのか考えながら、これから勝利のため、チームの目標であるJFL昇格に向かって全力を尽くしていきたいと思います。今回このような機会に関わってくださった皆さんに感謝しながら、1年を戦っていきたいです」
J1をはじめ世界各国で実績を積み重ねてきたブラジル人FWは、日本の5部リーグのクラブにどんな化学反応を起こすのか。注目したい。