内田篤人が語った、右膝のケガと手術に踏み切った経緯
テレビ朝日「やべっちF.C.」(22日深夜放送分)では、昨年12月8日の欧州リーグ戦で右膝のケガから1年9カ月ぶりに復帰を果たしたシャルケ・内田篤人の独占インタビューを放送。鹿島アントラーズ時代の先輩・中田浩二氏が聞き手となり、その前半では手術に踏み切った経緯を語った。
復帰戦となったザルツブルク戦は、約10分ほどの出場となった内田。この試合を「もう少し感動というか、色々考えることがありながらグラウンドに入るのかなと思ったんですけど、試合状況が負けてて監督も急いで"入れ"っていう感じだったので何も考えることなくユニフォームを着て試合に出た感じ」と振り返る。
また、右膝のケガについては「2014年のハノーファー戦で膝の裏の腱を切って、それでワールドカップとチャンピオンズリーグをだいぶ無理したって言ったらアレですけど、それの負荷がかかったんで膝にきた」と切り出した内田。その無理が右膝の膝蓋靱帯にも影響を及ぼしたという。
「だんだん靱帯が骨化って言って骨になる。動かなくなってくるし痛みもとれないし。試合後は階段の昇り降りも大変でしたし、どんどんギューって硬くなって骨がバンバン広がっていくのが分かる」と説明すると、内田は「その間に病院も行きましたし、これが切れるリスクが一番高いので、切れたら年単位で休まなきゃいけないから早く手術しなさいと言われて半年、1年くらいプレーしていた。その間が一番怖かった」とも。
すると彼の右膝は、2015年3月のホッフェンハイム戦でさらに悪化することに。「ここまでかなっていうのはありましたね。チャンピオンズリーグでレアル戦が終わって、もう動けないと監督に言おうと思いました」と、同年6月に右膝膝蓋靱帯の手術に踏み切った経緯を語った。
それでも、サッカー選手にとって膝にメスを入れるのは簡単なことではない。現役時代に3度、膝の手術をしている中田氏が「相当な覚悟がいる」と話すと、内田も「(中田氏を)近くで見ていた分、怖いなと感じていた」と頷いた。
さらに、手術後に待っていた長く過酷なリハビリの日々に話が及ぶと、「こうやって普通にしゃべるけどよく泣きましたし、練習行く時も泣きましたし、リハビリ中もよく泣いた」と苦笑いを浮かべた内田。「自分で手術を決断したけど間違っていたのかなとか」と葛藤した様子をうかがわせながらも「僕の奥さんは小さい時から一緒で結婚してから1回もスタジアムで(プレーを)見せてあげれてないんで早く見せてあげたいなっていうのが自分の中であった」と、これを乗り越えた想いを明かした。
復帰戦となったザルツブルク戦は、約10分ほどの出場となった内田。この試合を「もう少し感動というか、色々考えることがありながらグラウンドに入るのかなと思ったんですけど、試合状況が負けてて監督も急いで"入れ"っていう感じだったので何も考えることなくユニフォームを着て試合に出た感じ」と振り返る。
「だんだん靱帯が骨化って言って骨になる。動かなくなってくるし痛みもとれないし。試合後は階段の昇り降りも大変でしたし、どんどんギューって硬くなって骨がバンバン広がっていくのが分かる」と説明すると、内田は「その間に病院も行きましたし、これが切れるリスクが一番高いので、切れたら年単位で休まなきゃいけないから早く手術しなさいと言われて半年、1年くらいプレーしていた。その間が一番怖かった」とも。
すると彼の右膝は、2015年3月のホッフェンハイム戦でさらに悪化することに。「ここまでかなっていうのはありましたね。チャンピオンズリーグでレアル戦が終わって、もう動けないと監督に言おうと思いました」と、同年6月に右膝膝蓋靱帯の手術に踏み切った経緯を語った。
それでも、サッカー選手にとって膝にメスを入れるのは簡単なことではない。現役時代に3度、膝の手術をしている中田氏が「相当な覚悟がいる」と話すと、内田も「(中田氏を)近くで見ていた分、怖いなと感じていた」と頷いた。
さらに、手術後に待っていた長く過酷なリハビリの日々に話が及ぶと、「こうやって普通にしゃべるけどよく泣きましたし、練習行く時も泣きましたし、リハビリ中もよく泣いた」と苦笑いを浮かべた内田。「自分で手術を決断したけど間違っていたのかなとか」と葛藤した様子をうかがわせながらも「僕の奥さんは小さい時から一緒で結婚してから1回もスタジアムで(プレーを)見せてあげれてないんで早く見せてあげたいなっていうのが自分の中であった」と、これを乗り越えた想いを明かした。