城西大城西陸上部「足が速くなりたいなら、正しいフォームを追求しよう」【前編】
高校2年生ながら昨年の世界選手権に出場するなど、陸上界のみならず、広く注目を集めているサニブラウン・アブデル・ハキーム選手。100Mは日本高校歴代2位、200Mは同歴代1位の記録を持つ寄与のスプリンターは、2020年東京オリンピックに向けて日本陸上競技連盟が制定した「ダイヤモンドアスリート」でもある。
このサニブラウン選手を輩出したのが、恵まれていない練習環境の中で近年実績を挙げている城西大城西の陸上部だ。同部の山村 貴彦監督にその背景などをお聞きするともに、練習も拝見させていただき、野球選手も取り入れたいメニューを教えていただきました。
陸上部の山村 貴彦監督(城西大城西)
城西大城西というと、高校野球の印象が強いだろう。のちに広島でスピードスターとして活躍したエース兼四番の高橋 慶彦氏(今季までオリックスコーチ)を擁して甲子園初出場を果たしたのが1974年の夏。2度目の出場となった79年夏はベスト8に進出した。以降は“聖地”とは縁がないが、今秋は都で8強になるなど、コンスタントに上位に食い込んでいる。
それに対し陸上部は、2009年以前、つまり山村監督が指導するまでは、さしたる実績を残していなかった。山村監督は「決して意識が高い選手の集まりではなかったですね。練習する場所がないのを言い訳に、雨が降れば休み、というチームでした」と赴任当初の様子を振り返る。
山村監督は、選手時代、陸上界にその名をとどろかせた。大阪・清風高時代の1997年はインターハイで、200M、400M、4×400Mリレーの三冠に輝き、2000年にはシドニーオリンピックに出場(400M)。日本大卒業後も実業団の富士通などで競技生活を続けた。今も400Mで日本歴代2位の記録を持つ。とはいえ、城西大城西に赴任する年まで現役選手だった山村監督には指導者の経験はなかった。
「はじめは言葉遣いに苦労しました。現役選手同士なら通じ合う技術に関する表現も、そのままでは伝わりませんからね。かみ砕いて、かみ砕いて伝えるようにしました」
また、まずは視覚からと、山村監督が自らお手本を示し、正しい動きをイメージさせるようにしたという。すると、本格的な指導を受けたことがなかった選手たちは、乾いたスポンジのように山村監督の教えを吸収。どんどんタイムが伸びていった。「私が来たことで練習内容は厳しくなったと思いますが、練習すれば速くなるというのがわかったのでしょう。意識の面も少しずつ高くなっていきました」
大事なのはいかに与えられた環境でやるか限られたスペースでトレーニングに励む(城西大城西)
部として実績を挙げるようになると、部員数も年々増えていく。今年度は3学年合わせると実に94名(付属中学の5名を含む)。フィールド競技(砲丸投などの投てき種目や走幅跳などの跳躍種目)はやらず、トラック競技に特化している部としては全国有数の大所帯だ。部のスケールが拡大するとともに、指導陣も4人体制に。うち山村監督をはじめ、内藤 真人先生(アテネ・北京オリンピック110Mハードル日本代表)、外部の実井 謙二郎コーチ(アトランタオリンピックマラソン代表、現・日清食品)の3人は「オリンピアン」である。高校の陸上部でオリンピックに出場した指導者が3人もいるのは、極めて異例だろう。
とはいえ、部員が100人近くなると、指導者が4人いても、なかなか目が行き届かないところがあるようだ。そこで城西大城西陸上部では「部員同士のコミュニケーションを密にして、先輩が後輩に、あるいは正しい動きができている選手がそうでない選手に、助言するようにしています」
山村監督がやって来てから大きな変革を遂げた城西大城西陸上部だが、1つだけ変わっていないことがある。それは練習環境だ。走る練習は陸上競技場など、外の施設を利用しているものの、平日のトレーニングを行っているのは、テニスコートを3面取るのがやっとの校庭グラウンド。しかも使えるのは三分の一だけだ。補足するなら、学校の下校時間が決まっている関係で、平日の練習時間も最大2時間半と限られている。しかし山村監督はこう話す。
「部員数を考えたら恵まれているとは言えないでしょう。ですがこの環境でやっていくしかないですし、工夫をすればいかようにもなる。実際、雨が降ったら校舎の階段を使うなどしていますし、学校からほど近いところにある100mくらいの坂道を走ったりもしています」
いかに与えられた環境でやるか―。その姿勢は取材当日の選手たちからもうかがえた。この日の練習は1年生のみだったが、どこの部よりも早く校庭に出てきて準備を行い、山村監督や内籐先生が指示をする前にアップを開始した。内籐先生によると「練習内容は2週間単位で選手に伝えている」という。何をすればいいかわかっているから、当たり前のように自分たちで練習を始めるのだろう。そこには“やらされている感”は全く見当たらなかった。それでも山村監督に言わせると「2年生に比べると、1年生はまだまだ意識レベルが低い」そうだ。目線はあくまで高い。
自分で考えて、正しいフォームを表現する自発的にウォームアップを開始する(城西大城西)
山村監督は選手に対し「制服を着ている時は生活態度も含めてうるさく言う」ものの、「ジャージに着替えたら、生徒ではなく、1人の陸上選手として扱っています」。右向け右的な指導はせず、選手たちに選手としての自立を促す。「私たち指導者は何をすれば選手のプラスになるのか、模索しながら、成長するための環境作りやサポートはします。でも、速く走れるかどうかは、最終的に選手自身にかかっています。ですから、まず自分がどう動いているか把握する。その上で、正しいフォームで走るにはどうすればいいか自分で考え、正しいフォームを表現してほしい、と思っています」
山村監督は常々選手たちに「タイムを狙うな」と言っているという。それは「自分のベストの走りができれば、自ずとタイムはついてくるからです」
こうした指導のもと、今年は選手の約9割が自己ベストをマークしたという。そして城西大城西陸上部が目指しているものを体現したのが、高校2年生ながら昨年の世界選手権に出場し、一躍注目の的になったサニブラウン・アブデル・ハキーム選手(3年)である。山村監督はサニブラウン選手を付属の城西中1年の時から見てきた。
「サニブラウンは一言で言うなら、陸上競技的な頭がいい選手です。自分の中でいまどう体が動いていて、フォームがどうなっているか理解できている。ですから『こうなっていますが、どうですか?』と、具体的な質問もできます。それと性格が素直ですね。このあたりもタイムが伸びた要因でしょうか。もっとも、中学時代は成長痛で苦しみましてね。止まるまで、満足な練習はできませんでした。また中学2年から3年に上がる春休みは、燃え尽き症候群になってしまったのか、1度も練習に顔を出さなかったんです。
しかしその後、前年の成績から16人だけが参加できる都のある大会に渋々出場したところ、優勝しましてね。それが自信になったか、これを機に陸上へのモチベーションも高まり、高校ではガムシャラに練習をしていました。特に1年と2年のオフはかなりハードにトレーニングに励んでいましたね。勝てるようになってからは、もっと勝ちたいと、貪欲さも芽生えてきて、『強い選手、速い選手と一緒に走れるのが楽しい』と口にするようにもなりました」
城西大城西の陸上部には、中学時代から注目を集めていた塚本ジャスティン惇平とイブラヒム貞哉の両1年生がいる。2人もサニブラウン選手が遺していった、有形無形の財産を受け継ぐ。
後編では陸上部が実践する足が速くなるための練習法を紹介していただきます。これはマネするしかない!
(取材/文・上原 伸一)
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