村山 昇 / キャリア・ポートレート コンサルティング

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〈じっと考えてみよう〉

宏美(ひろみ)と多英(たえ)は仲良しクラスメイトである。ある日の休み時間、2人は会話に夢中になりながら廊下を歩いていた。廊下の角を曲がったところにある階段に来たときだ。あまりにはしゃいでいた2人は、ちょうど階段を上ってきた優奈(ゆうな)と出会いがしらにぶつかってしまった。優奈は階段をころげ落ちた。優奈は足にひどいねんざを負った。数日間は松葉づえが必要だという。

宏美も多英もその日のうちに優奈の家に行って見舞いをし、自分たちのしたことをあやまった。宏美はその夜からずっと自分を責めた。「なぜ、自分はあのとき落ち着きがなかったんだろう。廊下ではもっと静かであるべきだったのに。ふざけすぎの自分に責任がある」。そして翌日も「あぁ、あのとき、あんなにはしゃがなければ、人を傷つけずにすんだはず。なぜ自分は……」。

他方、多英も反省をした。「でも、起こってしまったことは起こってしまったこと。優奈とはこれまで話す機会があまりなかったけど、これをきっかけにして仲よくなろう。それがいまできる一番いいこと」と思った。そして多英は翌日、優奈の席に行って、いろいろと話をした。

宏美はその後、優奈に対してはなにか罪悪感が残り、彼女をついつい敬遠してしまうのだった。逆に多英は、それから優奈と親密になり、今ではこの事故のことがなかったかのようである。

□ 宏美と多英はクラスメイトにけがをさせてしまいましたが、その出来事に対する反応が2人で異なっています。それはなぜだと思いますか?
(性格が異なるからというのは一つの答えではありますが、ここではそれを考えない)



悲しいことがあれば悲しむ。うれしいことがあればうれしく思う。これは人間であれば当然のことです。けれど、人は起こった出来事に対して、単純に反応しているばかりでは疲れてしまうこともあります。もちろんうれしいことに対しては素直に喜べばよいでしょう。とくに注意が必要なのは悪いことが起こったときです。

なにか自分につらいこと、苦しいこと、困ったこと、悲しいこと、罪を感じることが起こったとき、単純に「あぁ、悪いことだ。いやなことだ」と反応するだけでは、心が落ち込むばかりで、体をこわすことも出てきます。人は、いやなことほど心のなかで何度も反復したくなるし、苦しい感情ほどそれにひたりたくなる傾向性があります。悪い出来事に遭遇(そうぐう)したとき、自分の心をうまくコントロールできるようになるのが、ある意味、大人になることでもあります。

さて、設問をみてみましょう。宏美と多英は2人して優奈にけがをさせてしまいました。同じ出来事に遭遇しながら、宏美と多英はまったく異なる気持ちを抱いています。その差はどこから生じているのでしょうか。

わたしたちはなにか出来事にあったとき、その結果として気持ちが生じます。たとえば、

  〈出来事〉 →〈気持ち〉
  宝くじに当たった → うれしい
  交通事故にあった → 悲しい

このことから、なにか〈出来事〉が原因となり、その結果として〈気持ち〉が生じているように思えます。しかし厳密に考えていくと、そこにはもう一つ大きな要素が隠れています。実は、〈出来事〉の後に、〈とらえ方〉というものがあって、その後に〈気持ち〉が生じているのです。つまり因果関係は、

  〈出来事〉→〈とらえ方〉→〈気持ち〉

の3段階です。宏美の場合、この3段階の流れがどうなっているかをみてみましょう。まず、優奈にけがをさせる〈出来事〉を起こした。宏美はそのことに対し、「ふざけすぎの自分が起こした事故だ。廊下では静かにあるべきだった。それを破った自分が悪い」という〈とらえ方〉をしています。その結果、「こんなことを起こした自分がいやだ。優奈と会うのがつらい」という〈気持ち〉になった。そしてその気まずさがいまでも続いています。



多英の場合はどうでしょう。優奈にけがをさせた〈出来事〉に遭遇しているのは宏美と同じです。しかし多英は「起きてしまったことは起きてしまったこと。あやまちはだれにでもある。優奈と仲良くなって元気づけてやることがいまできる一番のこと」という〈とらえ方〉をしています。その結果、「明日、優奈の席に行って明るく話をしよう」という〈気持ち〉になった。そしてその後とても親密になって、いまは事故のことなど忘れてしまっています。

このように2人でなにが異なるかといえば、それは〈とらえ方〉です。〈とらえ方〉の違いが〈気持ち〉の違いを生んでいるといえます。

たしかに他人にけがを負わせたことは悪い内容の出来事です。しかしその悪いことを受けて、自分はダメだ、自分はこうあるべきだったんだ、と悪い方向ばかりでとらえていては、気持ちも悪い方向にしかいきません。すると、その後の行動も悪い方向にいってしまい、さらに気持ちが落ち込むという悪循環におちいってしまう。けれど多英のように、そんな悪い出来事を受けても、「これは優奈と仲良くなれるチャンスなんだ」と前向きなとらえ方をする。すると、気持ちも前向きになって、悪い状況を良い方向へ転換する行動ができます。




あなたはこれからの人生で、いろいろな出来事に遭遇していくでしょう。

その遭遇する出来事を100%コントロールすることはできません。しかし、それをどうとらえるかは、ある程度、自分でコントロールができます。その結果として、自分の気持ちもある程度コントロールできる。ですから、ものごとの〈とらえ方〉というのは、平安に力強く生きていくうえでとても大事になるものです。


“人はものごとをではなく、それをどう見るかによって思いわずらうのである。”
―――エピクテトス(古代ギリシャ・ストア派の哲学者)の言葉


[文:村山 昇|イラスト:サカイシヤスシ]