連日盛り上がりを見せている「東京六大学野球」2016春季リーグ戦。昨年の“早慶戦”は、お互いが火花を散らす様子を表現した各種ポスターも大変話題となり、今月5月28日、29日の「早稲田大学」と「慶應義塾大学」の試合にも注目が集まっています。今回は、野球の「早慶戦」の歴史のお話です。


【大学野球“早慶戦”】あなたは「早稲田」派? それとも「慶應」派?



お互いに刺激し合い切磋琢磨する「ライバル」という関係。
大学でこのライバル関係にあたるのはやはり「早稲田」と「慶應」ではないでしょうか。
大隈重信と福沢諭吉、それぞれの創立者もライバルであった両大学。
その関係が最も露呈するイベントが「早慶戦」です。

初めて野球の早慶戦が行われたのは明治36年。
早稲田大学の野球部が、慶應義塾大学に挑戦試合を申し込んだことがきっかけでした。
このとき、「早稲田の選手たちは朝から下駄で、早稲田から三田までの13kmの道のりを歩いてきた」のだそう。

第1回の早慶戦は、11対9で慶應が勝利を収めました。
ですが、設立まもない早稲田が思いのほか善戦したことで、慶應側からライバルと認定されます。
この試合をきっかけに、東京では野球ファンが爆発的に増えたのです。

早慶戦は、それぞれの生徒はもちろん、一般庶民も巻き込み熱狂的な試合となっていきました。
明治39年の試合では、3回に分けて行われる試合の1回目に慶應が勝利した後、慶應の学生が大隈重信邸と早稲田正門で「万歳」を行う事件が発生。
次の試合で早稲田が勝てば、福澤諭吉邸と慶應義塾正門で「万歳三唱」を行ったのです。
白熱しすぎた早慶戦に危険を感じ、3回目の試合は中止に。
大正14年まで行われることはありませんでした。

そんな中、早慶戦をなんとか復活させようと作られたのが「東京六大学野球」です。
たくさんの大学の中で戦うなら、早慶だけが険悪にならずに済むと考えられたのでしょうか。
とにもかくにも早慶戦が復活し、応援団同士がけんかをするなどのトラブルも再び見られるようになりました。

これではライバルではなく仲が悪いだけなのではと思ってしまうかもしれません。
ですが、こんなエピソードが残っています。
戦時中、学生たちが徴兵により出陣する前。慶應から「最後に早稲田と試合をしたい」との要望がありました。
こうして非公式戦として開催されたのが「最後の早慶戦」と呼ばれる戦いです。
結果は、早稲田の勝利。
試合後は、両校が互いの校歌、応援歌を歌いあい、大合唱になったそうです。

永遠の好敵手、早稲田と慶應。
その熱い関係、なんだか羨ましくも感じます。

文/岡本清香

TOKYO FM「シンクロのシティ」にて毎日お送りしているコーナー「トウキョウハナコマチ」。江戸から現代まで、東京の土地の歴史にまつわる数々のエピソードをご紹介しています。今回の読み物は「永遠のライバル! 早稲田と慶應」として、5月16日に放送しました。

【あわせて読みたい】
★恐怖の隣人「私はコレにドン引きました」(2016/5/15) http://tfm-plus.gsj.mobi/news/RqDIppbPL5.html
★新婚生活「私は妻のコレにドン引きました」お金編(2016/5/12) http://tfm-plus.gsj.mobi/news/2KBGQQfHPP.html
★そういえば、メロンパンはなぜメロンの味がしないのにメロンパンなのか?(2016/5/13) http://tfm-plus.gsj.mobi/news/5ZoOqBcQlD.html

<番組概要>
番組名:「シンクロのシティ」
放送日時 :毎週月〜木曜15:00〜16:50
パーソナリティ:堀内貴之、MIO
番組Webサイト:http://www.tfm.co.jp/city/