2020東京オリンピック・パラリンピックのエンブレムが「組市松紋」に決定した。

実はJタウンネット記者も、このエンブレム募集に応募して、その過程を記事にしていた。というわけで、この場を借りて「記事のその後」を伝えてみよう。


作成する記者の様子(2015年12月撮影)

年が明けても、合否はわからない

記者がエンブレム応募用サイトに登録したのは、2015年12月3日。7日に応募が締め切られ、翌8日午後に宮田亮平エンブレム委員長名での「エンブレム応募の御礼」メールが到着した。

「今回の募集では、14,599件の応募をいただきました。参画していただいた皆さま一人一人の力が、2020年には大きな力になり、大会の成功につながります」

12月22日夕方には、形式要件とデザインのチェックを終え、64作品に絞り込んだとの報告が来た。その日、箱根を取材していた記者は、帰りの東海道線車内でメールを受信。「個々の応募作品の選考状況についてはお答えできません」の一文に、やきもきしたのを覚えている。ちなみに、その前日には国立競技場で「生ガキ」を食べていた。


旧エンブレムっぽく並べた(2015年12月撮影)

年が明けて1月9日、最終候補の4作品を決定したと連絡が来た。とはいえ、自分の作品が落選したかは不明のまま。連絡が来てないってことは、もしかしたら――。といった周囲の声に、まんざらでもないと笑みを浮かべながらも、

「採用作品の最終決定前には、ご自身の応募作品を公表されませんよう、よろしくお願い申し上げます」

との指示のもと、ただひたすら待つのだった。

なかなか「公開OK」が出ない

それから3か月。ついに4月8日、4作品が発表された。その日の夜には、組織委からメールも到着。しかし、そこでは最終候補への意見募集を呼びかける一方、落選作品の「公表」については一文も書かれていなかった。「また、おあずけか......」、記者は肩を落とした。

10日間の意見募集と、最終審査を経て、採用作品が決定・発表されたのは4月25日。夜21時45分に届いたメールには、次のように書かれていた。

「オリンピック、パラリンピックのシンボルマークの権利は それぞれIOC、IPCが有しております。今後万一応募作品を公開する際には、オリンピック、パラリンピックシンボルをはずし、トップエンブレムのみの公開に留めていただきますようお願い申し上げます」

「万一」という表現が引っかかるが、ようやくこれで「公表OK」になった。イラストレーター初心者が、頭を抱えながらデザインしたエンブレム。かなり恥ずかしいが、せっかくなので晒しておこう。タイトルは「明るい東京」だ。ドン!


「明るい東京」

「オリンピックは『東』、パラリンピックは『京』の文字をベースに図案化し、エンブレムを作成した。それぞれが躍動するスポーツマンを表現し、頭部は『日の丸』に通じる日本の大和魂をあらわしている」(応募資料の「デザインコンセプト」より)

応募当時は「予想以上の出来栄え」と思っていたが、半年近く経ってしまうと、やはり我に返って恥ずかしくなってくる。慣れないことはしない方がよかったなと、改めて反省する記者だった。