82歳筆者が考える、「お坊さん便」論争...変化は、自然の流れだ
画像はイメージです(Jennifer Morrowさん撮影、Flickrより)
法事などへの僧侶の派遣を、ウェブ上から依頼できる「お坊さん便」をめぐる論争が、ひところ盛り上がった。
全日本仏教会は、「お布施」を定額表示されていることを問題視し、「本来の宗教性を損なっている」としてAmazon(アマゾン)への抗議文を送付。しかし世論は仏教会への主張に比較的冷淡で、むしろこうした取り組みに賛成する声が目立った。
昭和一桁世代のぶらいおんさんは、この問題をどう見たのだろうか。
昭和30年代初頭、父が亡くなったときには
先ず、最初にお断りして置きたいのは、筆者自身は"全日本仏教会"およびアマゾンとは、何の利害関係も有しない上、それ以外でも全く無関係な、単なる市井の第三者に過ぎない、ということだ。
その立ち位置で、言いたいことを言ってみたい。
第一に、全日本仏教会がアマゾンだけに「抗議文」を送付したとすれば、それは片手落ち、というものでは無いだろうか?
まさか、全日本仏教会は、アマゾンがインターネットという媒体を利用し、クレジットカード決済を行う、という行為そのものを咎めているわけでは無かろう。
何故なら、似たような行為(本来は「営業行為」という言葉を使いたいところだが、「営業」など論外と言われ、誤解されても困るので、ここでは単に「行為」としよう)は、いわゆる葬儀社や霊園の周りに存在する石材店でも普通に行われ、多くの人々に利用されているサービスであることは今では常識だからだ。
無論、このような場合「お坊さん便」の形態のみならず、法事などを準備する主体(依頼者)が、檀家として古くからお付き合いのある檀那寺(菩提寺)の僧侶の派遣を、この種の仲介業者を介して依頼するケースもまた、あり得よう。
結局、多くは法事などを準備する主催者側の都合、便利さなどによって決まる、と言ってよいだろう。
筆者が現住する地方都市でも、多分、古くからの仕来りを守って来た人々が高齢化し、実権が若い世代に移行するにつれて、祖父や親のやり方をそのまま踏襲することは徐々に減少し、「お坊さん便」スタイルが増加しているに違いない。
或る意味では、それは必然の流れとも言える。そもそも、いわゆる檀家制度そのものが『江戸幕府は、1612年(慶長17年)にキリスト教禁止令を出し、以後キリスト教徒の弾圧を進める。その際に、転びキリシタンに寺請証文(寺手形)を書かせたのが、檀家制度の始まりである。』(出典ウィキペディア)とすれば、大きく西洋文明の影響を受けるようになった明治、大正、昭和、そして平成時代を経た今、人々の意識の変遷もさることながら、法事を行う際の仕組み自体が変化するのは、むしろ自然の流れであろう。
私の知る限り、地方都市ですら、昔のような確固とした菩提寺-檀家の関係が確立しているケースは急激に減少しているようだ。これに対し、地方でも農村部、漁村部では、未だにその柵(しがらみ)から抜け出せず、むしろ困惑している旧家も少なく無いに違いない。実際に、紀南漁村部にある筆者父方の本家も古くからの菩提寺との関係、また旧家としての体面を維持するため、少なからぬ出費に呻吟していたが、結局直系で家を継ぐ者が絶え、現実的に墓を守り続けることが不可能となり、今や他の家々と共同の永代供養塔に収まっている。
この本家の三男であった、筆者の父は東京へ出て、歯科医となり、長年母校で教鞭を執り、国家試験委員などを務め、最後には開業医として没した(昭和30年初頭)が、その時点で、我が家に墓地は無く、当然菩提寺も存在しなかった。
残された若輩長男である私と未亡人の母は困惑したが、或る程度社会的地位もあった父の葬儀には、少なからぬ数の参列者が予想されたので、それだけの広さを有する空間の確保が先決問題であった。当時、今のように整った形態の葬儀社や葬儀に関する、いわゆるビジネスモデルも確立されていなかったように記憶する。そうなると、矢張り相談出来る所は寺しかなかった。
我が先祖が帰依していた仏教は禅宗、それも臨済宗であったが、調べてみると、関西には臨済宗の寺院が比較的多いのに対し、関東では、どうも曹洞宗の寺が多いようなのだ。少なくとも、父が開業して最後を迎えた町には、禅宗といえば曹洞宗の寺しか存在しなかった。幸い、近くに可成り由緒のある曹洞宗の寺院があったので、<禅宗なら曹洞でも、臨済でも、大した変わりはあるまい>という些か乱暴な、私の独断と偏見で、この寺に葬儀をお願いしたのだが、此処とコンタクトするに当たっては(父の死後、直ちに納棺その他でお世話になった)街の葬儀社に仲介を依頼した、と記憶する。
その後、我が家は、この寺に檀家として取り扱われ、お盆などには寺の当主である僧侶に、お経を上げるために立ち寄って貰えるようになった。一方、埋葬地を持たず、またその入手に高額な費用を掛けられぬ我が家にしてみれば、東京でそんな場所を探すとなると、それはまた、結構大変なことであった。
それで、公営の、都営霊園利用申込みをしてみたが、毎回希望者が多く、抽選となり、その都度外れ、という結果が暫く続いた。仕方が無いので、私営霊園にも手を伸ばした。しかし、なかなか適当な所が無い。そうこうするうち、都営霊園の周囲に存在する石材店を通じて申込めば、当選率が確実に上がる、ということを母と長女の妹が聞き込んで来て、或る石材店を介し、申し込んでみたところ、どんな仕組みになのか?未だに判然としないが、兎にも角にも、希望していた墓地の広さは確保できなかったものの、一番狭い区画があっさり当選した。そして、その石材店に、墓石の工事など一切を依頼して、我が家の墓地が確保された。霊園は父が開業し、住んでいた池袋駅近辺からは、離れた西武新宿線小平駅前に在る。
その後、この小平霊園で、墓前法要を行う機会があったが、その際にも池袋所在菩提寺の僧侶に、少なからぬ額(それも、幾らにしたらよいのか?)のお布施を準備した上で、来園を依頼すべきか?それともこの石材店で取り扱う「お坊さん便」スタイルの僧侶派遣サービスを利用するか?で頭を悩ませたこともあった。
結局、墓所の工事を依頼した、石材店にその後も、墓参時の家紋入り水桶や箒を預けてあったので、いわゆる「お坊さん便」を含めた全ての手配を、この店に担って貰うようになった。元々、この種の石材店では、法事参列者の待ち合わせ、休憩、あるいは食事を供したりするための部屋を、その店内や隣接の建物内に準備しているのが普通で、「僧侶手配」と共に、その種の依頼も一括出来るのは、利用者にとってすこぶる都合がよい、と言える。
この石材店経由の「僧侶手配」でも、当然お布施問題が生ずるわけだが、この場合には、はっきり料金表とは明示されて居なくても、実質的にその種のものが僧侶に対する「謝礼」として規定されており、利用者がその金額について頭を悩ます必要は無かったし、そのことは明らかに利用者にとって便利であった。
私に言わせれば、"お布施"で無いと、「宗教行為の本質を壊してしまう」という言い方には、どこか滑稽な響きを覚える。意地悪く、今や「宗教行為の本質」は"お布施"にしか存在し無いのですか?と反問したくなる。
端的に言って、それは税法上の問題に過ぎぬのでは無いか?結局、「企業が中間マージンを取ると、お布施と呼べなくなってしまう」から困るということに尽きる。
だからこそ、全日本仏教会の広報文化部担当者が、世の中の大ブーメランに対し、「人々と寺院をつなげる1つの手段だとは思っています。登録している僧侶を排除する気もありません」と回答した上、「世間との意識のズレ、伝統仏教が時代に追いついていないという感覚は強くあります」と述べざるを得ないことになったのも頷ける。
この問題は、先の「日本相撲協会が公益法人か、単なる社団法人か?」の論争にどこか似てはいないだろうか。結局、公益法人や「お布施」であることで税法上の優遇措置を受けられるわけだから、当事者にとっては、決して無視できぬ問題であることは理解出来る。
日本相撲協会はこの問題をクリアして、今や相撲人気も高く、本場所では「連日満員御礼」などとTVで報じられている。
"全日本仏教会"も"日本相撲協会"についても、それまでのやり方や考え方が古くなり、時代の流れに追いつかなくなった結果、そのような論争が必然的に起こった、と言えるだろう。
"全日本仏教会"も、問題をクリアした"日本相撲協会"に学び、世の中の流れや時代の要請に合致した方策を見出だし、或る意味で柔軟に対応しない限り、庶民との乖離が益々顕著になるばかりだろう。この勝負は明らかに"全日本仏教会"が"アマゾン"側の小手投げに屈した結果と言えよう。
最後に付け加えるとすれば、その呼び名や形態がたとえ何であろうと、中身が「サービス=役務」の提供である限り、現代では利用者の意向やトレンドを無視しては、決して成り立ち得ないことは自明である。