生涯ライオンズ…「独特の美学」を貫いた西口文也のプロ野球人生
松田宣浩(ソフトバンク)、今江敏晃(ロッテ)を筆頭に、今オフも6名の選手がFA(フリーエージェント)市場に名乗りを挙げた。選手たちの本音のひとつにあるのが「より高く買ってもらいたい」だろう。
「お金より野球」…生涯ライオンズを貫いた西口文也もちろんプロが金銭的評価を求めるのは当然のことであり、選手個々の美学の問題でもある。メジャーでは当たり前のことでもあり否定できないが、「一筋」「一途」という美しさが尊重される日本だけに「お金で動いた」と言われるのも事実。声がかからぬ場合「身の程知らず」とさえ言われる。FA選手にとって覚悟せねばならぬリスクである。
一方で、十分にFA宣言できる実績を残しながら宣言せず、「●●一筋」を貫いた選手もいる。その代表格が、先ごろユニフォームを脱いだ「西武の大エース」通算182勝の西口文也(43)だ(金額はいずれも推定)。
和歌山商業高校時代は3年連続地区予選で初戦敗退。夏の予選で1つも勝ったことがない選手(ちなみに西口は高校生当時、内野手)がプロで100勝以上したのは、松本幸行(元中日)、西口ら5名しかいない。
「西口は立正大学で投手に専念し頭角を現すと、ドラフト3位で西武に指名されました。入団2年目の1996年に16勝を挙げると、翌年には15勝でMVPに輝き、1998年も13勝で2年連続最多勝利&奪三振王の二冠王となった。その後も1999年14勝、2000年11勝、2001年14勝、2002年15勝を挙げ、7年連続2ケタ勝利という偉業を達成している。FA権を得られる9年目(現在は8年)の2004年に10勝を挙げると、33歳になる10年目は自己最多の17勝5敗。34歳のこの年が、西口にとって最大の売り時だったのは間違いないでしょう」(スポーツ誌記者)
オフの契約更改で提示された年俸は3億円だった。庶民からすれば夢のような「お給料」だが、西口が脂の乗り切ったころと前後して、イチローは年18億円(人生総額190億円)、同じ投手の黒田博樹などドジャースと3年総額約35億円という契約を果たしている。
実際は税金で半分ほどもっていかれてしまうが、それでも、17億円もあれば自宅が何倍も大きくなる。自家用ヘリコプターも楽々買えるし、高級車も買い放題だ。手に入らないものなど、ほぼなくなる。しかし、西口は、メジャーはおろか国内FAすら見向きもなかった。
200勝できなくとも「もちつもたれつ」埼玉西武ライオンズは12球団でいちばんFA移籍した選手数が多い。工藤公康、清原和博、石毛宏典、松井稼頭央、片岡治大、涌井秀章、中嶋裕之などなど……押しも押されもせぬレギュラー選手が何人も球団を去っている。ちなみに2015年度の年俸総額は24億円、12球団9番目である。
これらの選手は、恩ある人の言葉に従ったり、球団環境を変えてモチベーションを高めたかったり、あるいはメジャーという高みに挑戦して自分を試したかったかもしれない。決して「お金」だけが宣言の要因ではなかったはずだが、「チームを変われば何倍もお金がもらえる」という欲がまるでなかった人など絶対にいない。
そう考えると、西口文也は正しく「己を見つめた」わけだ。
「メジャーへの憧れはなかった」「食文化が合わない」と答えた西口は、続けて独特の美学を口にした。「抑え投手が打たれずにいれば、目標のひとつだった200勝は楽に達成できましたね」という問いに、引退を覚悟した西口はこう答えている。
<(勝ちを消されても)なんとも思わない。後ろは後ろで大変なのはわかっている。自分がランナーを残して降板し、後ろの人が抑えてくれて勝つこともあるので“持ちつ持たれつ”だ>
晩年は200勝へのカウントダウンが始まったこともあり、リリーフ陣が打たれて勝ち星が消えるたびにファンはヤキモキした。
<(打たれた人に言いたいのは)打たれたとしても、それを反省すればいいだけで、引きずるのは絶対によくない。特にプロ野球のシーズンは長く、映像を振り返って修正点を見つけたり、配球を考え直したりして気持ちを切り替えることが大切。失敗は成功につながるんだ>
3年連続未勝利ながら、西武が西口を誰よりも大事にしたのは、チームの雰囲気やチームメイトの気持ちを、誰よりも考えてくれるからである。必ずや、いい指導者になることだろう。
自分のことばかり考える若者が増えているが、野球というチーム競技で育った一人の投手。彼の言葉は、今の世間に、どう響くことだろう。
(文/後藤豊)