マグワイアとソーサ 1998年の記憶に残るホームラン争い

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ホームランといえばまさに野球の華だ。そんなホームランを巡って一番世界が熱狂したのは間違いなく1998年だろう。舞台は野球の本場アメリカ。マーク・マグワイアとサミー・ソーサが主役である。お互いにメジャー史上最高のペースでホームランを量産した。

【それまでのメジャーホームラン記録】


元々ホームランのシーズン記録といえば、「野球の神様」ことベーブ・ルースの60本であった。しかし、この記録を越えようとする者が1961年に現れた。その選手の名前はロジャー・マリス。記録の更新となるとファンも応援し、熱狂するのが普通だ。しかし、マリスの場合はそうならなかった。というもの、神様といわれるベーブ・ルースの記録の更新はいわば「聖域」であり、タブー扱いされていた。そのためマリスは数々の嫌がらせを受け、地元ファンからもブーイングを受ける、コミッショナーから「試合数がルースと違うから記録を認めない」と発言されるなどの仕打ちを受けた。

【野球ファンの熱狂】


しかし、時は流れて1998年、ホームラン記録を更新しようとするマグワイアとソーサの争いにはファンが熱狂した。チケットが稀に見ぬほどよく売れ、ワールドシリーズ以上の熱気とも言われた。特にマグワイアは「現代のベーブ・ルース」とメディアから呼ばれるほどの人気であった。メジャーリーグは1994年のストライキをきっかけに観客動員数が下がっていたが、このホームラン争いによってスト以前の水準に戻った。

【記録更新までの経緯】


前半戦からホームランを打ちまくっていた両者。マグワイアがソーサに追いつかれそうになると引き放すというデットヒートを見せた。9月4日の時点でマグワイアが 59号、ソーサが57号という熾烈ぶりだ。
しかし、先にマリスのシーズン最多ホームラン記録に並び、追い抜いたのはマグワイアの方であった。しかもこの2本(61号、62号)のホームランはソーサが対戦相手としてライトから見守る前で打った。

【マグワイアへの祝福】


マグワイアがシーズン最多ホームラン記録となる62号を打ったときはまさにお祭り状態。
まず、ベースを一周するときは敵の内野手ともハイタッチ。そしてホーム上にはベンチから出てきた味方の選手、そして実の息子が待ち構えており、みなと抱き合った。
さらにはライバルのソーサもライトの守備位置からマグワイアのもとに駆け寄り、互いにソーサの代名詞でもあった投げキッスを交わすなどで健闘を称えた。
そして、極めつけは客席に招待されていたマリスの遺族とマグワイアが抱き合うという感動の展開に。この試合を中断してまで行われた祝福シーンは、今もなお語り草となっている。

最終的に1998年はマグアイアが70本、ソーサが66本のホームランを打ち、従来の61本を大きく更新する形となった。また、マグワイアが放った70号のホームランボールは約300万ドルで落札されてギネス記録となっている。

【ホームラン争いのその後】


しかし、1998年の熱狂の後に待っていたのは残念なものだった。マグワイアは「愚かな過ちだった。」と語り、現役時代のステロイド使用を告白。また、ソーサも2003年に使用が禁止されているコルク入りバットを使用が発覚し、大騒動になる。

また、このホームラン争いの影響は意外なところにも派生した。マグワイアの記録更新から4年後の2002年、バリー・ボンズが73本のホームランを打ち記録を塗り替えた。しかし、このボンズもステロイドに手を染めていたことが判明し、その理由のひとつに1998年のソーサ、マグワイアのホームラン争いの熱狂ぶりに嫉妬したからと明かしたのだ。
そして近年もヤンキースのアレックス・ロドリゲスがステロイド疑惑により1年の出場停止処分を受けた。その影響もあり、彼は「メジャーリーグNO.1の嫌われ者」という不名誉な称号を得ている。

この1998年の2人の争いが多くの人々を魅了したのは事実。しかし、その一方で現在も続くメジャーリーガーたちの深刻なステロイド汚染を改めて浮き彫りにしてしまった側面もある。
「対決!ソーサとマグワイア」(学習研究社)
(さのゆう)