ローマで6年間を過ごし、ブラジル代表でコパ・アメリカを制覇、まだ34歳にもなっていない。ユヴェントスGKジャンルイジ・ブッフォンよりも1歳半若い。だが彼は、元ブラジル代表GKドニは、現役生活に別れを告げた。

ドニはリヴァプール時代の2012年夏、検査中に25秒の心停止を経験した。そのときから、入念に状況をチェックし、リヴァプールとの契約を解消してブラジルへと戻っていた。復帰を目指していた同選手だが、6カ月が経っても、それを実現させることができず、キャリアに終止符を打つことになったのだ。この間に、ドニは体重が10キロ増えて104キロになっていた。

「神様は僕がこれ以上サッカーをすることを望まなかったんだ。特に息子のニコラスのことを思うと、引退は残念だ。彼はまたピッチで僕を見たがっていたんだよ。でも、仕方がない。彼のためにもう少しプレーしていたかったけど、それはできない。ノスタルジーはあるけどね。僕はすでに一度死んだんだ。これからはビジネスをやる」

ドニはサンパウロで「恐竜たちの世界」という展示を企画した。先史時代に関する3Dショーだ。イタリアでも展示を企画している。

ローマで主役になったドニは、「決して忘れられない経験だ」と話している。ローマも彼のことを忘れていない。クラブの公式ツイッターで、ドニにエールを送った。

ドニがローマに加わったのは2005年。当時、バンディエーラ(シンボル)になるかと思われたジャンルカ・クルチの控えとして加入した。イタリアに来るために、違約金の1万8000ユーロ(約230万円)をポケットマネーで支払った。

だが、10月にはポジションを奪い、ルチアーノ・スパレッティ監督が築いたサイクルの主役として勝利を手にした。レギュラーとして4年戦い、2度のコッパ・イタリア優勝、スーパーカップ制覇を経験。ブラジル代表ではジュリオ・セーザルのような選手をベンチに追いやり、コパ・アメリカを制した。

下り坂に差し掛かったのは、2009年。慢性的なひざの問題を抱え、ジュリオ・セルジオにポジションを譲ることとなり、2011年に150万ユーロ(約1億9000万円)の補償金を手にし、リヴァプールへ移籍した。イングランドでは控えとして1年半を過ごし、そして前述の検査が彼のキャリアに終止符を打つこととなった。だがおそらく、それは同時に彼の命を救うものでもあった。