鈴木杏樹「5年毎にペアグラスを…」亡き夫と交わした約束
夫・山形基夫さん(享年57)の訃報を受け、急きょ米国へと渡っていた鈴木杏樹(43)。帰国翌日の2月8日、レギュラー番組『ZIP!』に出演した彼女は「みなさんの温かいお気持ちで支えていただいております」と語り、悲しみをこらえ気丈に振舞っていた。
2人の出会いは98年。『ミュージックフェア』(フジテレビ系)収録中に腸閉塞を患い、都内の病院へと緊急搬送された彼女を救ったのが山形さんだったのだ。“運命の出会い”を果たした2人は急接近。そして交際から4カ月後の98年6月1日に電撃入籍した。
この入籍をスクープしたのは『女性自身』だった。当時、杏樹に事実を確認したところ、彼女は98年6月23・30日号で手記を寄せてくれた。彼女は山形さんと14歳の差があったが、気にはならなかったという。
《3月、久しぶりに会った彼は、私を都内に住む両親のところに連れていってくれました。それが何を意味しているのか……。「うちの息子で、本当にいいの? 基夫のほうが早く年を取っちゃうのよ」彼のお母さんが笑いながらそう言ってくれたとき、私は心のなかに温かいものが流れるのを感じていました》
ずっと年上の彼のほうが早く逝ってしまう。そんな“悲しき宿命”を受け止めての結婚生活は順風満帆だった。子どもには恵まれなかったが、家庭には笑顔が絶えなかったという。
「2人はディズニー好きで、山形さんは東京ディズニーリゾートで杏樹さんのためにサプライズパーティを開いたこともあったそうです。また結婚1周年の記念には、日付を入りのペアのシャンパングラスを買ったそうです。それがきっかけで、以来『結婚5周年ごとに日付と名前が入ったペアグラスを買おう』と誓い合っていたそうです」(芸能関係者)
最良の伴侶を得たことで、杏樹はドラマ『相棒』や情報番組『ZIP!』のレギュラーになるなど、仕事の幅を広げていく。そんな最中、夫の病気が発覚。杏樹は多忙ななかでも愛する夫のことを懸命に支え続けた。
「杏樹さんは仕事の合間を縫っては現地を訪れ、夫を励まし続けてきました。仕事をすべてセーブしてボストンに住まなかったのは、『夫はきっと戻ってくる』という願掛けの意味もあったのでしょう。実は、今年は夫婦が結婚してから15年目だったんです。杏樹さんは、ちょうど4つめのペアグラスをオーダーしようとしていたようです。6月まであと少し。夫と過ごす記念日を待ち遠しい思いで過ごしていたでしょうね……」(前出・芸能関係者)
2人の出会いは98年。『ミュージックフェア』(フジテレビ系)収録中に腸閉塞を患い、都内の病院へと緊急搬送された彼女を救ったのが山形さんだったのだ。“運命の出会い”を果たした2人は急接近。そして交際から4カ月後の98年6月1日に電撃入籍した。
《3月、久しぶりに会った彼は、私を都内に住む両親のところに連れていってくれました。それが何を意味しているのか……。「うちの息子で、本当にいいの? 基夫のほうが早く年を取っちゃうのよ」彼のお母さんが笑いながらそう言ってくれたとき、私は心のなかに温かいものが流れるのを感じていました》
ずっと年上の彼のほうが早く逝ってしまう。そんな“悲しき宿命”を受け止めての結婚生活は順風満帆だった。子どもには恵まれなかったが、家庭には笑顔が絶えなかったという。
「2人はディズニー好きで、山形さんは東京ディズニーリゾートで杏樹さんのためにサプライズパーティを開いたこともあったそうです。また結婚1周年の記念には、日付を入りのペアのシャンパングラスを買ったそうです。それがきっかけで、以来『結婚5周年ごとに日付と名前が入ったペアグラスを買おう』と誓い合っていたそうです」(芸能関係者)
最良の伴侶を得たことで、杏樹はドラマ『相棒』や情報番組『ZIP!』のレギュラーになるなど、仕事の幅を広げていく。そんな最中、夫の病気が発覚。杏樹は多忙ななかでも愛する夫のことを懸命に支え続けた。
「杏樹さんは仕事の合間を縫っては現地を訪れ、夫を励まし続けてきました。仕事をすべてセーブしてボストンに住まなかったのは、『夫はきっと戻ってくる』という願掛けの意味もあったのでしょう。実は、今年は夫婦が結婚してから15年目だったんです。杏樹さんは、ちょうど4つめのペアグラスをオーダーしようとしていたようです。6月まであと少し。夫と過ごす記念日を待ち遠しい思いで過ごしていたでしょうね……」(前出・芸能関係者)