旬の女性を愛し続けた中村勘三郎のモテ人生【文春vs新潮 vol.70】

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[文春・新潮]半端じゃなかった中村勘三郎のモテ方




12月5日に亡くなった歌舞伎役者の18代・中村勘三郎。少しでも歌舞伎をかじったことがあれば、彼の業績がどれだけ偉大なものであり、唯一無二の存在であるのかが分かると思う。役者を評価するときに、「華があるかないか」か基準になったりする。勘三郎は、まさに華のある第一級の役者として、歌舞伎界を牽引していた。




2012年12月20日号の「週刊文春」と「週刊新潮」は、その偉大なる歌舞伎役者・勘三郎の女性遍歴に関する記事を掲載している。タイトルは、文春が「追悼 中村勘三郎に愛された女たち」、新潮が「『中村勘三郎』 最後の女は『石川さゆり』 その前に『椎名林檎』」。重複した内容が多い両誌の記事だが、それらを記事を読むと勘三郎の女性遍歴が半端なものではなかったことが分かる。




両誌の情報を合わせた上で、勘三郎の愛した女性たちを列挙してみる。勘三郎が15歳のときの吉沢京子から始まり、太地喜和子、大竹しのぶ、岸本加世子、牧瀬里穂、樋口可南子、宮沢りえ、椎名林檎、そして最後は石川さゆり……。




これはすごい。まず、女性たちの名前を知って驚く。そして、それぞれの女性が「旬」のときに付き合っていたと知ってまた驚く。1980年に好江夫人と結婚しているが、その後も勘三郎の女性スキャンダルは増え続ける一方なのである。その勢いは、「女遊びは芸の肥やし」という言葉を体現しているようでもあった。




新潮には、椎名林檎とのツーショット写真が掲載されており、彼女が勘三郎に送った「勘三郎さん、私は、世界で一番幸せな女です」というメールが紹介されている。写真の中のふたりは手をつないでいるのだが、本当に嬉しそうな椎名の笑顔が強烈な印象を残す。




好江夫人の思いに関しては、両誌の見解が異なっている。文春は、勘三郎についての「どんな女性問題が取りざたされようとも」動じなかったとした上で、ノンフィクション作家の小松成美氏による「勘三郎さんが愛した者を、すべて愛したんです」というコメントを紹介している。




他方、新潮は、「妻の監視をかいくぐり、美女たちと逢瀬を楽しむ勘三郎。気苦労の絶えない好江さんの心中は察するに余りあ」り、夫が「ジェットコースターのような破天荒な人生を経た後に、ようやく自分の元へ帰ってきた」のは、亡くなってからであったとする。




結婚した後に、夫が何人もの、それも「旬」の女優たちと付き合っていることを知った夫人が、「勘三郎さんが愛した者を、すべて愛したんです」なんて本当に思えるのだろうか。それが梨園の掟だと言われれば、「そうですか」としか答えられない。だが、そんなのはきれい事であるように思えて仕方がない。




亡くなる半年前には、銀座のバーで石川さゆりとデートをしていたという勘三郎。これだけモテた勘三郎の人生を知ると、正直に言ってうらやましいと言う気持ちも起きてくる。芸の世界では唯一無二の華のある役者。プライベートでは伊達男。どれだけ魅力に満ちた人物だったのだろう。




勘三郎は、魅力があれば、男というものは年齢など関係なくモテるということを実証した。もちろん、私たちが同じことをするのは無理だが、そういう可能性を示してくれただけでも、ある種の励みにはなると思う。




いずれにしても、57歳での死は早すぎる。芸の面から見ても、プライベートの面から見ても、私たちは「18代・中村勘三郎」という大切な財産を失ったのだと言える。




[今週の軍配]引き分け。




【これまでの取り組み結果】

文春:☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

新潮:☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ ☆☆☆☆



(谷川 茂)