なぜアメリカでは、どんなに痛ましい銃乱射事件が起きても、それが単なる同情を超えて銃規制改革に結び付くことがないのか。

 13年近く前にはコロラド州で、コロンバイン高校銃乱射事件という悲劇が起きている。高校3年生のエリック・ハリスとディラン・クリーボールドは、教師1人と生徒12人を射殺(犯人2人も自殺)。アメリカの高校史上最悪の銃乱射事件となったが、それが銃規制法の改正につながることはなかった。

 アリゾナ州では昨年、同州選出のガブリエル・ギフォーズ下院議員のイベントで銃乱射事件が発生。ギフォーズは頭に銃弾を受けながらも一命を取り留めたが、連邦地裁判事やギフォーズの支持者計6人が死亡した。

 近年ではほかにも、カリフォルニア州シールビーチの美容院(死者8人)、テキサス州のフォートフッド陸軍基地(同13人)、ニューヨーク州ビンガムトンの移民支援センター(同13人)で銃乱射事件が起きた。だがそのどれとして銃規制の強化につながらなかった。

ブレイディ法以降は停滞

 昔はこうではなかった。世間を大きく騒がせる銃関連事件が起きると、規制強化を求める声が強まったものだ。アメリカ初の本格的銃規制である連邦銃器法(NFA)も、1929年の「血のバレンタインデー事件(ギャングのアル・カポネの一味が、敵対組織の6人と通行人1人を機関銃で虐殺)」がきっかけだった。

 93年にはロナルド・レーガン大統領暗殺未遂事件をきっかけにブレイディ法が生まれた。同法により銃販売店は、購入希望者の犯罪歴を警察に照会することが義務付けられた。

 だがブレイディ法以降は、大規模な銃犯罪が起きても規制強化が図られることはなくなった。なぜか。最大の原因は、全米ライフル協会(NRA)の政治的影響力が高まったことと、銃規制運動が下火になったことだろう。

 NRAは南北戦争後の1870年代から存在するが、その活動が先鋭化したのは1970年代半ばに強硬な銃規制反対派が幹部になってからのことだ。新生NRAが銃規制撤廃を活動目標に掲げる一方で、伝統的に銃規制に前向きだった民主党は94年に連邦下院で過半数割れを喫して以来、銃規制問題を避けるようになった(ビル・クリントン大統領ら民主党は、ブレイディ法案を採択したことが過半数割れの原因だと考えていた)。

 新たな銃規制法が実現する可能性が乏しくなると、銃規制運動自体が下火になった。現在、主だった銃規制推進団体は資金不足で存亡の危機に立たされている。

[2012.8. 1号掲載]

アダム・ウィンクラー(カリフォルニア大学ロサンゼルス校教授)