プロ、アマ合同の日本野球規則委員会は先月25日、公認野球規則を一部改正し、投手がマウンド上で利き手を口または唇につけた際の規則を明確化した。
 規則では、「投手がプレートを囲む18フィートの円い場所の中で、投球する手を口または唇につけること」を禁じており、違反すれば球審は直ちにボールを宣告する。
 投手がボールにツバや汗をつけ変化を促す投球はスピットボールと呼ばれているが、不正投球には他にも、砂・やすり・爪などでボールに傷を付けて投げるエメリーボール、グラウンドの土を付け滑り止めとして投げるマッドボール、ボールの半分を汚し残り半分を磨きあげるシャインボールなどがある。

 野球の歴史は不正投球の歴史と言っても過言ではない。デレック・ザムステッグは著書「ザ・チーターズガイド・トゥ・ベースボール(野球のいかさまガイド)」で、「野球が始まり、歴史的な1球目が投げられた後、すぐにスピットボールが投げられた」と紹介している。
 またエメリーボールは1908年にラス・フォード、シャインボールは1917年ごろにエド・シコットにより生み出されたとされている。

 現在は、これらの投球術は一応、反則ということになっている。スピットボールは1920年、「それまでスピットボールを投げていた投手に限り、各チーム2人まで投げていい」ということで制限されると、ルールはその後も何度か見直され、1974年には正式に禁止された。球審は、投球がスピットボールに見えただけでボールを宣告できるようになった。

 だが、スピットボーラーが絶滅したかと言えばそうではない。代表的なのは、1962年から1983年までサンフランシスコ・ジャイアンツクリーブランド・インディアンスなどで活躍したゲイロード・ペリー。スピットボールとエメリーボールを駆使し、22年間で314勝、防御率3.11。1972年にはインディアンス、1978年にはサンディエゴ・パドレスサイ・ヤング賞を受賞(メジャーリーグ史上初の両リーグでの受賞)し、1991年には得票率77.2%殿堂入りを果たした。

 スピットボーラーでは他にも、1956年から1969年までロサンゼルス・ドジャースなどに在籍したドン・ドライスデール、1950年から1967年までニューヨーク・ヤンキース一筋のホワイティー・フォードなどが有名。エメリーボーラーでは、1966年から1988年までドジャース、ヒューストン・アストロズなどでプレーしたドン・サットンなどに容疑がかけられている。
 しかも、ドライスデール、フォード、サットンともに、それぞれ殿堂入りをはたしているから、驚きだ。

 さすがに今となってはもういないだろうと思いきや、いた。2004年には当時セントルイス・カージナルスに在籍していたフリアン・タバレスが、帽子に松ヤニがついていたとして、8試合の出場停止処分を受けた。
 2006年のワールド・シリーズ、カージナルス対デトロイト・タイガースでは、第2戦に先発登板したタイガースのケニー・ロジャースが松ヤニによる不正投球をしていたことを、投手コーチが明らかにした。
 2007年の対インディアンス戦では、ボストン・レッドソックス松坂大輔が、打席に相手打者を迎えた際に首の汗を拭った行為が怪しいとして、ボール1個分のペナルティを受けた。(松坂に悪意はなく、春季キャンプのときから、この動作が不正ではないことを確認していた)

 なぜ21世紀になった現在でも不正投球が生き続けるのか。そしてペリーなどの常習者に、殿堂の扉は開かれているのか。
 これについて前出のデレック・ザムステッグは、「投手が松ヤニを使用するのは、野球界では伝統のようなもの」としている。
 2006年のワールド・シリーズでその松ヤニを使用したロジャースについても、スポーツ専門局のESPNの記者、ジェイソン・スターク氏は「あのような寒い日に、松ヤニを使うことは、暗黙の了解で決まっているのだろう」と、ロジャースを援護。スピットボーラーの代表者であるペリーは、「ロジャースは、見つかったというミスを犯した」と指摘した。
 松坂はマウンド上で首筋の汗を拭うことを違反とされたが、マウンドから一歩でも降りれば、その行為も許される

 つまりは、不正投球は現在も生き残っており、相手にばれないようにするのがルール同じ行為でも、ルールの範囲内なら問題無いというのが、メジャーリーグの流儀のようだ。
 メジャーリーグは、1919年のブラックソックス事件から選手の八百長行為に目を光らせている。最近では、選手の禁止薬物の使用を厳しく取り締まるようになった。また、いわゆる「書かれざるルール」の根底には、正々堂々と戦う、西部開拓時代のガンマンの精神が息づいている。
 それにもかかわらず、スピットボールのような不正投球は、ばれなければ大丈夫。われわれ日本人には、何とも理解し難い風潮だ。

 ちなみに、スピットボーラーのペリーは、不正にワセリンを使用していたことから、ワセリンのメーカーに、「ワセリンは、赤ちゃんの背中を滑らかにします。野球のボールに使用してはいけません」とのコピーを売り込んだ。
 現役引退後は、新聞記者ボブ・スーダイク氏との共著で自伝「私とスピットボール」を出版。「通算300勝を達成した時にはボールに歯磨き粉をつけて投げていた」などと告白した。さらには、ワセリンを販売する会社経営に乗り出した。
 これも、いかにもアメリカらしい。

参考)丹羽政善「メジャーの投球術」(祥伝社新書)
    ロジャー・エンゼル「憧れの大リーガーたち」(集英社文庫)