パットは強めに打たなきゃ入らない。当たり前の話だが、カップの手前で止まるボールは、絶対にカップインしない。ショートはノーチャンスを意味するとは知りつつも、僕のパットはたいてい弱めだ。ここぞという時ほどショートする。

「原稿は強気なんだけれどねー。パットになると別人だね」とは、先日のコンペで一緒にラウンドした某サッカー評論家のお言葉。しかし、これでパットまで強気になったら、人間としてのバランスが崩れるわけで、弱気のパットは、そう考えるとオツなものに思えてくる。強気な原稿を維持するための必要悪と、思い込むことにしよう。

冗談はともかく、原稿で強気になれる理由は簡単だ。その件に関して自信があるからだ。逆に、パットで弱気になるのは自信がないからである。

つまり僕は、自信のあることしか書かないわけだ。他人から何を言われても、自信が揺らがないものを原稿化しているつもり。読者から屈辱的なご意見をいただいても、よって怒る気持ちはさらさら湧かない。怒り心頭に発したとすれば、それは自分の意見に自信がないことの証といえる。

だから、怒っている人を見ると、自信がないんだろうなと思う。人間は、自信や余裕がない時ほど、よく怒る。

何の話がしたいのかと言えば、TBSに怒ってしまった岡田サンのことだ。10月4日に放送された「スパサカ」で、岡田サンは小倉から、98年W杯の時に、カズを外した理由を聞かれ、「その質問には千回答えている」「もう2度と出ねえ、この番組」と吐き捨てた挙げ句、同じくTBSが中継した14日のトーゴ戦で、試合後のインタビューを拒否してしまった一件だ。

聞かれたくない質問、答えたくない質問を、いかにうまくかわすか。これこそ、代表監督に求められている重要な資質だ。

代表監督の特徴は何かと言えば、記者会見の多さにある。ひな壇に立つ回数は、試合数の4、5倍を数える。そこでいかに気の利いた台詞を吐くか。エンターテインメント性を発揮できるか。サッカー人気を占うこれは大きなバロメーターになる。

そうした意味で、岡田サンは、中村俊輔、本田圭佑、森本貴幸を凌ぐ、日本サッカー界を代表する“エース”なのだ。浮沈のカギを握っている最重要人物だと言える。ライバルはイチローであり、石川遼クンなのである。

前任者のオシムは「オシム語録」が何十万部も売れる大ベストセラーになったことでも証明されるように、喋りはイケていた。含蓄もあった。

僕のインタビューにはこう答えたものだ。

「なぜ日本人はもっと私を批判しないのか。私は侮辱されても全然構わないのに」

絶対の自信があるからそういえるのだ。カズを外した理由を聞かれたぐらいで、ブチ切れてしまう小さな器の持ち主ではない。独特の話術で、笑いを取りながら、うまいこと煙に巻くに違いない。

片や岡田サンは、笑顔さえ浮かべない。記者会見場に和やかさというものが、ほぼ一切存在しない。で、肝心の話もつまらない。いくら話を聞いても、サッカーへの造詣は一切、深まらない。これは珍しいことだ。

逆ギレすることさえある。スター性に欠けること著しい。華がないのだ。年俸は1億円以上と言われている。年間10試合そこそこしか試合はないというのに、である。サラリーマンのほぼ一生分の給与を、わずか3年で得る計算になる。美味しすぎる仕事とはこのことだ。来る南アワールドカップには、ノルマさえ課されていない。

岡田サンの暴走に「喝!」を入れる“大人”は、残念ながら、この世界に誰もいない。岡田サンは、甘やかされすぎている。

僕がTBSの社長なら、ここは何が何でも強気のパットで迫るつもりだ。岡田サンの在任中は、代表のニュースを流さないくらいの断固たる姿勢で臨むだろう。悪いことは何一つしていないのだから。

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