横断幕を掲げるサポーター。日本に不利なジャッジにもブーイングをあげることはなかった<br>【photo by Kiminori SAWADA】

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 2月11日のオーストラリア戦は、6万5千人を超える観衆で埋め尽くされた。スタジアム全体が、勝利を欲する思いで覆われた。ドイツW杯以降では、もっともホームらしい雰囲気のなかで行われた一戦と言うことができる。
 しかし、オーストラリアが精神的な重圧を感じたかを問えば、答えは「NO」だろう。オーストラリアがボールを持つたびに、スタンドから激しいブーイングが飛んだりすることはなかった。日本に不利なジャッジをした主審が、ブーイングを浴びることもなかった。

 そういった雰囲気が、日本で生まれにくいのは事実である。今回が特別ではないし、相手にブーイングを浴びせればいいかということについては、議論が必要なところもある。

 いずれにせよ、スタジアムの雰囲気が誘発するようなミスを、オーストラリアに見つけることはできなかった。シリアからやってきた審判団のジャッジは、ホームタウン・デシジョンを感じさせるものでもなかった。勝利を強く求める人々が集まったにもかかわらず、スタジアムの雰囲気はいたってノーマルで中立だったわけである。

 僕が違和感を覚えたのは、ボールパーソンの動きだった。オーストラリアのスローインの場面で、日本のボールパーソンは実に機敏な動きを見せていたのである。
 ボールがタッチラインを割ったら、近くにいるボールパーソンはすぐに選手へボールを渡すことになっている。ゲームの進行をできるだけ速くすることを目的としたマルチボールシステムでは、それこそがボールパーソンに与えられた役割だ。

 しかし、オーストラリア戦はW杯最終予選の大一番である。相手のスローインでも、すぐにボールを出す必要があったのだろうか。日本が少しでも守備の陣型を整えられるように、ゆっくりボールを出すくらいの配慮があっていいはずだ。

 マイボールのスローインが遅くなっても、アウェイのオーストラリアはそれくらい想定済みだろう。それで彼らがイライラしてくれれば、日本としてはラッキーである。

 ボールパーソンを務めるのは、ジュニアユースかユース年代の子どもたちだ。「日本のときはすぐに、相手のときはゆっくりボールを出すように」というようなことは、スポーツマンシップの観点からも強制しにくいのだろう。

 しかし、日本人とは違う考え方や価値観も容認されるのが国際試合である。いつも正直者ではいけないのだ。

 総力をあげて勝つということは、ボ―ルパーソンのような小さな存在の力も、フルに活用することだと僕は思う。それで日本が勝利すれば、ボールパーソンを務めた子どもたちは、いつも以上に勝利を実感できるだろう。代表チームへの興味も増すはずだ。サッカーに必要な駆け引きを覚えるきっかけにもなる。

 実力が拮抗した相手との試合では、本当に小さな要素が勝敗を分けることが少なくない。オーストラリアを下すために何かが足りなかったのは、ピッチで戦う選手たちだけではなかった。

戸塚啓コラム - サッカー日本代表を徹底解剖