香川照之、CA妻と離婚も「團子とは離れたくない」繰り返される“父子確執”
4月8日、都内の有名私立中学校の入学式が執り行われた。少年から青年へと成長していく重要な時期、それは歌舞伎役者でも変わらない。この日、新中学生になったのは市川染五郎の長男、松本金太郎だ。祖父に松本幸四郎を持つ、高麗屋の跡取りでもある。
来年1月に金太郎は八代目染五郎襲名を予定、同時に染五郎が十代目幸四郎、幸四郎が二代目白鸚を襲名する。
「生まれながらに宿命を背負っているからでしょうか、金太郎はどこか大人びていてクールな印象。同じ中学校には、親友で1学年上の市川團子が在籍していますが、彼はお調子者でよくしゃべる正反対の性格です。年相応にまだまだ子どもっぽいところがありますね」(演劇雑誌編集者)
ともに子役として場数を踏み、歌舞伎界の将来を担う人材として期待される金太郎と團子。お互いに切磋琢磨してきた戦友だ。
「稽古と並行させるために、2人とも小学校から美術部に入っているそう。でも、金太郎が歌舞伎や歴史に関連する絵を描く一方で、團子はアニメや漫画の絵ばかり描いているみたいですね。市川猿之助も歌舞伎で『ワンピース』を手がけましたし、“お家柄”でしょうか」(前出・演劇雑誌編集者)
祖父の幸四郎から座頭としての英才教育を施されて、4歳にして初舞台に立った金太郎に対し、父である香川照之の“私怨”により8歳で突然の梨園入りした團子。まだまだ“跡取り”の自覚は芽生えていないのかもしれない─。
両親の訣別で犠牲になるのは子ども
昨年12月に21年間連れ添った元CAのAさんと離婚した香川。團子の歌舞伎界入りが一因となったともいわれている。そして香川は、長きにわたる確執に悩まされた父・猿翁と同じ道を歩んでしまった。両親の訣別で犠牲になるのは子どもだ。
「強引に息子を歌舞伎界に入れておきながら、しかも“市川猿之助”を襲名させようとしていたのです。それでいて今度は離婚ですよ。振り回された團子があまりにかわいそうです。香川さんの身勝手な行動に周囲からの批判は強くなり、梨園で孤立する一方だとか」(芸能レポーター)
歌舞伎研究家の喜熨斗勝氏も、離婚による香川への非難は「ありうること」として、團子を心配する。
「やはりお父さんお母さんがそろっているといないのでは、ひとりの子どもとしてかなりのハンディキャップを負うことになるでしょう。
周囲の人間も支えてくださることでしょうけれど、あの年ごろの子どもにとっては、あまりにも大きな出来事だとは思います」
現在、團子はAさんのもとで暮らし学校や稽古に出向いているようだ。彼の“身元”は、猿之助ら澤瀉屋の面々が引き受けているという。
「もともと人懐っこい性格で“スレていない”團子ちゃんは、マスコットのように可愛がられています。猿之助さんとは年の離れた兄弟のようで、一緒に携帯ゲームやスマホゲームをして盛り上がっています。
道具箱などもお下がりを使っていますし、直々に稽古もつけてもらっています。大事に育てられていますよ」(前出・演劇雑誌編集者)
一方で香川は、市川中車としての歌舞伎だけでなくテレビや映画の撮影で多忙な身。会う機会は減っているようだ。そして3月28日に歌舞伎座で開催された『俳優祭』で父子は“再会”したのだが、
「この俳優祭では、俳優さんが自ら売店や模擬店に立ってお土産、オリジナルTシャツや手ぬぐいなどのグッズを売るんです。1階では染五郎さんと金太郎くん親子がぴったり並んで接客していました」(参加した歌舞伎ファン)
一方、3階フロアでTシャツを売っていた澤瀉屋の面々。
「売り場は大盛況で、Tシャツが最後の1枚になったところで團子ちゃん仕切りのじゃんけん大会が始まっていました。彼は終了後も売り場に残って、先輩らを従えるように(笑)中心になって記念撮影に応じていましたね。
中車さんも当初はNHKの番組取材を受けながら接客に当たっていましたが、一本締めの後はすぐに場を離れました。團子ちゃんと会話することもなく、端と端で終始、距離感もあってよそよそしく感じたのは気のせいでしょうか」(前出・歌舞伎ファン)
これから心身の成長期を迎える團子にとって、やはり離婚は受け入れがたい事実だったのか。代わりに市川笑野がそばに付き人のようにくっついて、勝手わからぬ俳優祭を案内していたようだ。
高校生には襲名するだろう“三代目市川亀治郎”
それにしても驚きだったのは、昨年8月を最後に舞台から離れていた團子の姿である。身長は急激に伸びたのだろう、160センチを超え手脚もスラリとしていた。すっかり“團子ちゃん”から“團子くん”になっていたのだ。
「中学生になると舞台に出る機会は少なくなるとは聞きます。一般的にも中学生は子どもと大人のはざまでもありますし、そうなると演じる役も少なくなるのです。学校も大事だからということで、あまり手のかかる、頑張らなければならない役どころはやめておこうという風潮はあります」(喜熨斗氏)
つまり中学生は学業と稽古に専念する時期であり、子役から俳優になるための修業期間なのだという。
「可愛かった子役がしばらく見ない間に、イケメン俳優になって再び脚光を浴びるのはよくあること。團子くんも中学校を卒業し、高校生になったときに“三代目市川亀治郎”を襲名、舞台に立つのかもしれません。ゆくゆくは五代目猿之助として、澤瀉屋の座頭を任せられる存在になってほしい」(後援会関係者)
それこそが香川の悲願だった。しかし2月上旬の『週刊女性』取材の際に、かつて強く望んだ息子の猿之助襲名については、
「無責任なことを申してしまったかもしれません」
とトーンダウンしていた。
「離婚の“負い目”を背負って風当たりも強い中、團子に“自由にしなさい”という、せめてもの贖罪だったのかもしれません。そして現代劇俳優として唯一無二の地位を築いている彼が、今の歌舞伎界では小さな存在でしかない市川中車を返上してもおかしくはない」(芸能プロ関係者)
しかし、喜熨斗氏はそんな心配の声を否定する。
「いろいろなケースを想定して、すべてを乗り切る覚悟があって離婚に踏み切ったのでしょう。それにひとりの大人として“歌舞伎役者になろうと思いましたが、やっぱり辞めます”とは絶対に言えません。言うつもりもないでしょう。歌舞伎役者としてやっていくという決心は、今でも揺らいでいないと思います」
やはり、歌舞伎役者としてのいちばんの拠り所は息子なのだろうか。
「今、父子をつなぐ唯一の接点が歌舞伎なのです。それは疎遠になった香川と先代の間にはないものでした。團子と離れないためにも、彼はしがみついてでも舞台で親父の背中を見せ続けますよ。そして息子が立派な俳優へと成長していくさまを見守っていくことでしょう」(梨園関係者)
言葉は交わさずとも、わかり合えるのが父と子だ。