大学女子寮ってどんなところ? 寮母が見た30年間
「女子大生」というと、学校にサークルにバイトに旅行、恋愛と、一見賑やかで華やかなイメージがあります。けれど、10代の終わりから20代の4年間は、悶々と自分を探したり、人間関係に悩んだりと、それぞれが色んな悩みを抱えてなんとか生きていくお年頃。
『大学生活の迷い方―女子寮ドタバタ日記』(蒔田直子/編著、岩波書店/刊)は、同志社大学の女子寮「松蔭寮」で30年以上寮母を務めている蒔田さんが綴った、様々な女子大生たちの素顔が描かれた一冊で、様々な学生たちの松蔭寮をめぐる手記と、そんな彼女たちとの思い出を描いた蒔田さんのエッセイが収録されています。
そこには、右往左往しながらも何とか自分の道を見つけていこうとする女子学生を見つめる温かい視線があります。
では、女子寮での生活とはどんなものなのでしょうか? 女子寮のドタバタを綴った章からエピソードをご紹介します。
■女子大生いろいろ、部屋もいろいろ
数十人の寮生がいれば、「きれいな部屋」から「ちらかっている部屋」、入ったときにアッと声をあげてしまうような「汚部屋」まで、いろいろな部屋があるのは当然。30数年寮を監督している蒔田さんは、「『汚部屋』は、いつの時代でも途絶えることなく、必ずある」と言います。
酷暑の中2週間もベッドの中に腐ったキャベツを放置し、布団と畳をも腐らせてしまった“勇者”から、ゴミの山の中でインフルエンザにかかっていた“猛者”まで...。
その中でも、卒業式を間近に控えながらも汚部屋をほったらかしにしていた女子学生は、彼女を無事に引越しさせるために「決死隊」が組まれるほどだったそう。
出て行かなければ新入生が入れないため、決死隊は文字通り死に物狂いで取り組んだそうです。「いやだー、一人で掃除できるー」という部屋主を押しのけ、膨大なゴミを6日間に渡りひたすら捨てていき、何とか引越しは無事に済み、部屋主は決死隊の後姿を涙で拝んでいたといいます。
虫がわく部屋から洋服ダンスに汚れた食器が突っ込まれた部屋まで、汚部屋のレパートリーはさまざまですが、そんな彼女たちは、いつも気にかけられ、語り草にされ、愛さずにはいられない人々でもあったのです。
■「ふしぎのアッコちゃん」を救った蒔田さんの電話
30年も寮にいると、学生から「自殺したい」という「死にたいコール」を受けることが何度もある、と蒔田さんは言います。そのたびに心臓がバクバクなり、何が何でも駆けつけるそうです。
しかし、発達障害を抱えるアッコちゃんから「死にたいコール」があったとき、深夜2時。アッコちゃんのもとに駆けつけるには遠すぎ、時間がかかりすぎました。そこで、「荒神橋から鴨川に飛び降りて自殺する」というアッコちゃんに、蒔田さんは「荒神橋から飛び降りても骨折して痛いだけ、鴨川に飛び込んでも寒いだけで死ねないから入水はあかん!」と説得し、「そういう大切なことは夜中じゃなくて明日起きてから考えよう」と、電話でアッコちゃんが橋から寮に帰るまで誘導し、なんとか自殺をやめさせたと言います。
発達障害を持つアッコちゃんの手記も収められています。寮で同級生たちと交流し、自分の殻を破っていくアッコちゃんの姿と、それを見守る蒔田さんのエピソードは、松蔭寮と蒔田さんがいろいろな学生の心のよりどころとなっていたことを、特に強く感じさせてくれます。
最後に、蒔田さんは同志社の創始者・新島襄の「諸君、人一人は大切なり。一人は大切なり」という言葉を挙げています。学生一人ひとりに寄り添おうとする蒔田さんは、新島襄の言葉を受け継ぎながら、同志社の精神を守っていると言えるでしょう。
これから大学生になる人にも、かつて大学生だった人にもページを開いてほしい一冊です。
(新刊JP編集部)
『大学生活の迷い方―女子寮ドタバタ日記』(蒔田直子/編著、岩波書店/刊)は、同志社大学の女子寮「松蔭寮」で30年以上寮母を務めている蒔田さんが綴った、様々な女子大生たちの素顔が描かれた一冊で、様々な学生たちの松蔭寮をめぐる手記と、そんな彼女たちとの思い出を描いた蒔田さんのエッセイが収録されています。
そこには、右往左往しながらも何とか自分の道を見つけていこうとする女子学生を見つめる温かい視線があります。
■女子大生いろいろ、部屋もいろいろ
数十人の寮生がいれば、「きれいな部屋」から「ちらかっている部屋」、入ったときにアッと声をあげてしまうような「汚部屋」まで、いろいろな部屋があるのは当然。30数年寮を監督している蒔田さんは、「『汚部屋』は、いつの時代でも途絶えることなく、必ずある」と言います。
酷暑の中2週間もベッドの中に腐ったキャベツを放置し、布団と畳をも腐らせてしまった“勇者”から、ゴミの山の中でインフルエンザにかかっていた“猛者”まで...。
その中でも、卒業式を間近に控えながらも汚部屋をほったらかしにしていた女子学生は、彼女を無事に引越しさせるために「決死隊」が組まれるほどだったそう。
出て行かなければ新入生が入れないため、決死隊は文字通り死に物狂いで取り組んだそうです。「いやだー、一人で掃除できるー」という部屋主を押しのけ、膨大なゴミを6日間に渡りひたすら捨てていき、何とか引越しは無事に済み、部屋主は決死隊の後姿を涙で拝んでいたといいます。
虫がわく部屋から洋服ダンスに汚れた食器が突っ込まれた部屋まで、汚部屋のレパートリーはさまざまですが、そんな彼女たちは、いつも気にかけられ、語り草にされ、愛さずにはいられない人々でもあったのです。
■「ふしぎのアッコちゃん」を救った蒔田さんの電話
30年も寮にいると、学生から「自殺したい」という「死にたいコール」を受けることが何度もある、と蒔田さんは言います。そのたびに心臓がバクバクなり、何が何でも駆けつけるそうです。
しかし、発達障害を抱えるアッコちゃんから「死にたいコール」があったとき、深夜2時。アッコちゃんのもとに駆けつけるには遠すぎ、時間がかかりすぎました。そこで、「荒神橋から鴨川に飛び降りて自殺する」というアッコちゃんに、蒔田さんは「荒神橋から飛び降りても骨折して痛いだけ、鴨川に飛び込んでも寒いだけで死ねないから入水はあかん!」と説得し、「そういう大切なことは夜中じゃなくて明日起きてから考えよう」と、電話でアッコちゃんが橋から寮に帰るまで誘導し、なんとか自殺をやめさせたと言います。
発達障害を持つアッコちゃんの手記も収められています。寮で同級生たちと交流し、自分の殻を破っていくアッコちゃんの姿と、それを見守る蒔田さんのエピソードは、松蔭寮と蒔田さんがいろいろな学生の心のよりどころとなっていたことを、特に強く感じさせてくれます。
最後に、蒔田さんは同志社の創始者・新島襄の「諸君、人一人は大切なり。一人は大切なり」という言葉を挙げています。学生一人ひとりに寄り添おうとする蒔田さんは、新島襄の言葉を受け継ぎながら、同志社の精神を守っていると言えるでしょう。
これから大学生になる人にも、かつて大学生だった人にもページを開いてほしい一冊です。
(新刊JP編集部)